私がずっと避けてきた協力隊に参加した理由~35歳JICAボランティアのベナン起業日記③~

はじめまして、西アフリカのベナンという国で、青年海外協力隊員として活動中の綿貫大地です。

 

1983年10月生まれの35才です。

 

JICAボランティアとして活動しながら、ここベナンで起業準備も進めています!!

 

これまでの自分の人生を振り返りながら、JICAボランティア&起業に至った経緯や実際の起業プロセスを数回にわたってお届けします。

 

今回は、人生の振り返り最終章。

 

サラヤへの転職から、青年海外協力隊に参加するまでをお送りします。

 

たくさんの経験をさせてくれたサラヤ

前回記事にあるように三菱ふそうトラック・バスを辞職すること決意。

 

転職活動をする際に決めていた条件は主に二つ。

 

アフリカに直結していること

 

これだけは譲れない、というかそのための転職です。

 

そして、できればメーカーがいいな~ということ。

 

一人一人が次工程につなぎ、商品を生産し、販売する。

 

そのみんなの力を合わせて一つのものを作り上げていく感じが好きでした。

 

そして、自分がその一工程に携わったものが世の中に出回っている。

 

発展途上国や震災の地で、三菱ふそうのトラックやバスを見ると、発展や復興の一役を担っていると思えて、とても嬉しく感じていました。

 

ベナンでも活躍しているふそうのトラック

 

新卒での就活では、とても苦労しましたが、今回は自信がありました。

 

三菱ふそうに育ててもらったし、そこでいろいろな挑戦に立ち向かってきた経験があったから。

 

中東・アフリカを中心にビジネスをしている商社や東南アジアを中心に展開している繊維メーカーなどから内定をいただきましたが、最終的にはすでにアフリカで活動してたサラヤ株式会社に転職することになりました。

 

このサイトを閲覧されている方の中には知っている方も多いと思いますが、

 

サラヤ株式会社は、大阪の化学メーカーで洗剤や消毒剤などの衛生用品をメインで製造・販売していていて、社長の人格がとても素晴らしく、社会貢献や環境事業にも力を入れている会社です。

 

アフリカにも2011年から進出していて、私も当然、その情報は各メディアで入手していました。

 

ウガンダにあるサラヤイーストアフリカの当時の社長をたまたまFacebookで発見し、直接メッセージ送りました。

 

現在は人材を募集していないということで、まずは大阪のサラヤ株式会社の本社で働くことに。

 

自分はやれる!という自信はありました。

 

しかし、私はここで転職者として一番やってはいけないことをやってしましました。

 

それは、

 

前社と比べすぎること

 

最初に配属されたのは、新たに作られたばっかりの国際物流部でした。

 

まずは前職の経験を活かし、物流の面で貢献し、商品や会社のことを学んでいく、という方針で配属してくれたのだと思います。

 

しかし、扱う金額も、取引する国の数も、すべてにおいて前職と比べてはどうしても見劣りしてしまう規模。

 

自信もあり、意気揚々と転職してきた自分でしたが、モチベーションをコントロールのが難しかったです。

 

そんなときの生きる希望はグロービスでした。

自らの志を確認できたグロービス

グロービスとは、「社会に創造と変革をもたらすビジネスリーダーの育成」を教育方針に据えた、MBAが取得できるビジネススクールです。

 

詳しくはコチラ

グロービスとは:https://mba.globis.ac.jp

 

MBAを取得する本科生とは違い、単科生ということで1年間で4クラスを受講しただけですが、人生での母校の一つと言いたいくらい素晴らしい学校です。

 

 

受講したきっかけは、将来自分はアフリカの販社において、マネージメントを任される日が来る、そうなると、物流の知識や経験だけでは不十分。

 

実践的に活用できるビジネス力を身につけたい!ということでグロービスを選びました。

 

ここでは、マーケティングやアカウンティングの基礎を学べたのはもちろん、素晴らしい仲間と出会えたことが一生の財産だと思っています。

 

ここで思ったのが、志を明確にし、その志に向かって生きている人は、能力やモチベーションも高いのはもちろんのこと、

 

人間性も素晴らしいということ

 

これは後々書こうと思っている現在起業中の企業理念にも影響を与えます。

 

大阪での1年目の退社後と週末は、グロービス一色という生活でしたね。

 

グロービス仲間との沖縄旅行

 

 

話をサラヤに戻します。

 

上記のように、会社内でのモチベーションが上がらないまま、そんな中でも上司に助けられなんとか及第点のパフォーマンスは出していました。

 

そして、2年目に希望に少し近づくことができました。

 

アフリカの事業を行っている海外事業部への異動

 

アルジェリア大使館にて

 

ここでは本当にいろいろな仕事をさせてもらえました。

 

購買・調達、契約書の作成や輸出管理、海外販社のサポートなど。

 

初めての仕事と格闘する中で、ここでも容量の悪い自分

 

いつまでもエース的存在になれない自分に焦りを抱えつつ仕事をしていました。

 

そして、3年目に変化が訪れます。

 

サラヤ株式会社初の中南米拠点であるメキシコ販社の担当者になりました。会社の立ち上げという素晴らしい経験をさせていただきました。

 

この経験は大変貴重で、今の起業準備にもとても役に立っています。

 

しかし、そうなる一方である不安がますます大きくなっていきます。

 

「おれ、いつアフリカいけるんだろう。。。」

 

 

さらに、焦りも感じていました。

 

グロービスに通う同志たちが、それぞれのフィールで戦っている姿を見て、

 

「おれも一刻も早く自分のフィールドに行かなきゃいけない」

 

 

そして、自分へのふがいなさ&悔しさ

 

「ここでは前職とは違いエース的存在になり切れていない」

 

 

そういった感情が入り混じりながら日々過ごしていました。

 

そして、そういった感情に押しつぶされそうになり、

 

サラヤ辞職を決意

 

結果的にメキシコ販社の設立自体はできましたが、実際の売り上げをあげるための、膨大なプロセスは整えずに辞職することになりました。

 

ここでも、3年後5年後にアフリカに駐在する可能性があったかもしれません。

 

メキシコ販社の立ち上げという役割を与えてくれて、これから商品にさらに詳しくなり、ゼロからの作り上げていくプロセスを経験させようとしてくれていたであろう会社には本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。

 

正直に言います。

 

一回目の転職の時と全く違い、

 

今回は逃げ焦りの辞職でした。。。

 

 

そして次のステップとして選んだ先は、

 

青年海外協力隊です。

 

ずっと避けてきた青年海外協力隊参加を決意

 

30代になって年齢も着実に積み重ねていく中、

 

早くアフリカに行かなきゃ。

 

という想いでした。

 

さて、どうやっていくか、それには様々な選択肢があります。

 

例えば

①本当にただ行ってしまって、現地で職を探す

②現地のインターンに応募し、正社員をめざす

③アフリカでビジネスをしている会社に再転職する

 

①②に関しては、はっきりいって勇気がなかった。

 

③に関しては、正直また同じプロセスを踏むのではないかという不安がありました。

 

アフリカでのビジネス経験がない自分は、また日本の本社での下積みから始まるのではないかと。

 

そして、この時は”ただアフリカに行きたい”と思う他にもう一つの感情が芽生えていました。

 

起業して自分の会社を持ちたい。

 

2社でサラリーマンとして働いてきて、

 

会社だから、、

 

時には自分的には正しくないと思ったことをやらなきゃいけない

 

会社だから、、

 

時には自分の信念を曲げてまでも前に進めなきゃいけない

 

会社だから、

会社だから、、

会社だから、、、

 

周りからそう言われて、自分の気持ちを押し殺して仕事したことが少なからずありました。

 

でも、世の中にはこの会社だから、なんていう一種のあきらめと圧力が背後にある言葉を使わなくとも、全員が正しいと思えることをして、さらに利益も上げている会社もあるはず!と思うようになりました。

 

これは私の信念の一つから湧きあがった感情かもしれません。

 

それは

 

”正義は勝つ”

 

どんなに表面上や小手先でうまく乗り切れていたとしても、根本がだめならいつかぼろをだす。

 

逆に、正しいことやっていればたとえ歩みは遅くとも、誰かどこかで見ていてくれるし、

 

最後には勝利を手に入れることができる、本気でそう思っています。

 

その信念とともに働き、それを具現化するような会社で働きたい。

 

そして、それをアフリカでやりたい、それであれば働かせてくれる会社を探すのはもう遅い。

 

それであれば、自分はどうするべきだろう?

 

自分で会社を作ろう

 

そのためにどうすればいいか?

 

・マーケティングのため、現場のニーズを肌で感じたい
・キーパーソンとなる現地人とのコネクションを作りたい
・現地の商習慣を知りたい

 

でも、資本金として用意できる金額もあまりないまま、いきなり現地に行って調査⇒起業するということは、あまりに無謀に思えました。

 

そこで、私が思いついたのは、

 

青年海外協力隊です。

 

あまりいい印象がなかった協力隊

 

大学に入る前から国際協力に興味があった私。

 

もちろん、青年海外協力隊の存在は知っていましたし、ザンビアでNGOのボランティアに参加した際も、現地で隊員と挨拶する、といったこともありました。

 

サラヤには協力隊出身者もたくさんいました。

 

しかし、ザンビア時代に、協力隊に対するイメージを勝手に作り上げてしまいました。

 

財政状況厳しいNGOのもと(実際に自分たちでも募金活動をした)、ザンビアの村で生活している自分は、国に守られながら、活動できる彼らとは違う、と。

 

完全にひがみでしたね。。。

 

さらに、ザンビアで感じたボランティアの無力感。

 

特段のスキルも経験もないボランティアが活動しても、彼らにポジティブな影響が与えられない。

 

自分はプロフェッショナルとして現地に戻ってくることを誓ったんだ、今更またボランティアとして戻るなんて考えられない。

 

そう思って、存在を知っていながらも、青年海外協力隊は自分の進むべき道ではないと、どこか存在を避けていました。

 

ただ、一刻も早くアフリカ行きたい。自分のビジネスのために。

 

電車の中でたまたま見に入った、青年海外協力隊募集の中吊り広告。

 

そこで、思いつきました。

 

そうだ、

 

青年海外協力隊という制度を利用させてもらえばいいのだと。

 

活動以外のプライベートの時間を使って、起業準備をしようと。

 

 

本業である活動はしっかり魂込めて行っています

詳細を知りたい方はこちらをどうぞ・・・http://daichiwatanuki.com/

 

 

そうなるとここでも行動が早いです。

 

これを思いついたのが、書類提出締め切りの5日前。そこから一気に書類を書き上げ、投函。

 

締め切り当日の消印でしたw

 

正直かなり自信はありましたが、健康診断の結果を少しでもよくするために食生活や運動をして最後の悪あがきをしたり、健康診断を複数回受けて一番よかった結果を提出したり、協力隊経験者に直接会って面接のポイントを聞き出したり、ネットで面接での質問を調べまくりました。

 

確実に合格するために、やれることはすべてやりました。

 

結果、まあまあの健康診断結果と、面接用の30の回答とともに面接を迎え、手ごたえはばっちり。

 

まだ、合格発表されていない面接の翌日に上司に退職願を提出しました。

 

そして、2017年の2月、無事に合格。

 

西アフリカのベナンで活動することになりました。

 

さて、ここまで自分の人生の振り返りをしてきました。

 

当初は1つの記事でやる予定でしたが、やっていくうちに書きたいことが多すぎて、結果的に3回にわたってお送りました。(これでもかなり削除しましたがw)

 

次回からはやっとベナンでの起業に向けた歩みをお送りしようと思います!

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

ではでは~

 

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