大地を蹴れ!ブルキナファソレポート①【BYCS】

PART1

はじめまして。
BYCSメンバーのさくらです!

 

昨年11月、BYCSメンバーの登里とともに、Future Codeの活動地の一つでありBYCSのハンドクリーム事業とも関係のある、西アフリカに位置するブルキナファソを訪れる機会をいただきました。

 

今回はその渡航について、記事を2回に分けて共有させていただきます。

 

ブルキナファソについての簡単な紹介はこちらの記事をご覧ください!

 

当時は、ハンドクリーム事業立ち上げのためのクラウドファンディングを開始した時期から,BYCSに関わりはじめて約9ヶ月がたった頃。

 

ブルキナファソ と自分自身との繋がりを具体的に想像することができずに悶々としながらプロジェクトに携わっていたような日々や、シアバターを実際につくっているのはどんな人たちだろうかと、その土地で生きる人とその暮らしを知りたくてたまらない日々を送っていた私にとっては、念願の渡航でした。

 

約半年にわたる雨季を経て、乾季を迎えはじめたブルキナファソでの9日間の滞在。

 

初めてのアフリカ大陸。

 

シャワーを浴びると身体から流れ落ちてゆく赤土。

 

見慣れたものは、1日1本は飲み干したであろうコカ・コーラだけだったのではないのかと感じてしまうほど、馴染みのない新鮮な光景がたくさんあるように始めは感じました。

 

自動車は突然止まっては故障するの繰り返し

 

シェフによる料理は、鶏を殺めるところから。

 

すやすや眠る赤ん坊をカラフルな布でぐっと背中にくくりつけてバイクを飛ばすお母さんたち。

 

そして、日没後の電気のない真っ暗な住居で家事をする家族の姿。

 

そのような場面に遭遇すると「なんだこれ!大丈夫なのか?」とすぐに不安になってしまっていた私の方が、あの土地では可笑しくも浮いてしまう感じがあり、その一方で彼ら一人一人は生きていく術を知っている。言葉でうまく表せられないのですが、自分たちの暮らしのサイクルを自分たち自身の力で動かすようなタフさのようなものを持っているように感じました。

 

また、首都のワガドゥグーから1時間ほど離れた村では、日中に大きな木の下で村人たちが集まってのんびりとお酒を飲んでいたり、マルシェでは物の売り買いがなされるだけでなく団欒とした雰囲気があったりと、どこか懐かしさを感じるような人と人との密接な繋がりが感じられる憩いの場を目の当たりにしました。

「ドロ」と呼ばれる地酒を村人と一緒に飲む登里選手。

 

現地に発展した娯楽がないからこそ育まれるものや、生きつづける習慣があるのだと感じると同時に、私が日本で活動しているときには、物質的な貧しさの上に成り立つ彼らの生活を必死に想像していたことにも気づかされました。

 

物質的な貧しさと言っても、特に藁のような草木や日干しレンガを使って作られていて「貧しく」みえる村人の家は、彼らの文化の一つにも見え、

 

「貧しい」って何だろう、「豊かさ」って何だっけ…?

 

というように、これまでの私のモノの見方が、ブルキナファソを訪れた私自身によって今も問われ続けていたりします。

上記に書いたような、私にとって非日常の出来事と感じられた出来事は、ブルキナファソに生きる人々にとっては日常の一部ですが、その逆もまた然りと言える事実についても、やはり考えさせられました。

 

日本で当たり前のように見受けられる、蛇口をひねると必ず綺麗な水がでてくる上水道設備や、必要だと思えばすぐに駆けつけられる病院へのアクセスとその選択の自由の幅など。

 

私のような生活も彼らのような生活も同時に成り立つようなこの世界が、これまでの歴史や現在の経済の仕組み、グローバリゼーションなどの壮大なシステム下で存在しているのだと思うと、学生の私が国際協力としてでできることは微々たるものであると、気が遠くなりそうに感じたのもまた、正直な気持ちです...。

さて、今回の記事は以上になります。次回は、Future Codeの活動を通して感じたことを中心にまとめた記事になります!

 

…が、今回の締めくくりに、(アフリカナイズ?ブルキナイズ?された気がする)私の似顔絵を。

 

私たちが滞在していた宿へ、学校のない時間帯に働きにきていた14歳の男の子が書いてくれました。

 

初めてのブルキナファソ、私の目にはこれまで述べてきたように映りましたが、彼の目に私はどのように映っていたのでしょうか。

 

 

次回もお楽しみに!!

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