こんにちは!田中瑛子(たなかえいこ)です。
バックパッカーとしてアジア・中東・アフリカを旅し、アフリカに魅了されてしまいました。
詳しくは、こちらの1回目の記事をご覧ください★
今回からは、実際にアフリカで見たこと、やったことを書いていこうと思います。
この記事の目次
初アフリカは、タンザニアでボランティア
私の初アフリカは、タンザニアのダルエスサラームでした。
なぜこの地を選んだのかというと、2つ理由があります。
1つ目は、サファリに行きたかったから
2つ目は、子どもに関わるボランティアがしてみたかったから
1つ目の時点で、ケニアかタンザニアがいいな、と思っていました。
アフリカに行く前の私は、
「アフリカ=国際協力・ボランティア」
のイメージを強く抱いていました。
そのため、初めてのアフリカ大陸をいきなり一人旅することに不安がありました。
子どもに関わることに興味があったこともあり、ボランティアを探しました。
そこで、見つけたのがNPO法人 NICEのタンザニアでの2週間のプログラムです。
英語で志望理由やできること、頑張りたいことなどを書いて応募し、書類選考を無事通過して、行けることになりました。
アフリカ大陸に行く、ということで東南アジアよりも事前の準備は大変でした。
予防接種だけでも
✔黄熱病
✔A型肝炎
✔ポリオ
✔破傷風
とたくさん打ちました。
特に黄熱病は打つ前に予約が必要だったり、副作用の割合が高かったりします。
(私も打った後に副作用が出てしまい、家に帰るのに苦労しました。)
さらに、今回行くダルエスサラームは、世界三大最恐都市とネットに書かれているところでした。
ネットの話はよくも悪くも一例ですが、油断は禁物なので、
✔貴重品はポケットなど目につくところに入れない
✔流れのタクシーには乗らない
✔お金を要求されたら諦めて出す
など自分で対策出来ることは調べておきました。
洗礼は空港から始まった
バタバタと準備が終わり、1週間ヨルダンで旅を楽しんでから、ドバイ経由でタンザニアへ!
✔ビザ取得に2時間かかる
✔ボランティア施設のピックアップが見つからない
✔散々探して電話すると彼は「EIKE」(私はEIKOです。)という紙を持っていた
など、ダルエスサラームの空港で、アフリカの洗礼は始まりました。
空港からボランティア施設に行くまでの間、黒人さんがたくさんいて、マサイ族も普通に歩いていて、「あー、アフリカに来たんだなぁ」と実感が湧いた記憶が鮮明にあります。
タンザニアの子どもたちとの交流
ボランティアの内容は、
✔学校に行って子どもと遊ぶ
✔学校の部屋1室の壁をペンキで塗る
✔サマーキャンプに申し込んだ子どもに勉強を教える
といったものでした。
初めて触れ合う、アフリカの子どもたち。全力でしがみついてくる、髪の毛を触ってくる、ものをくれと言ってくる、などそのパワフルさに、初日から圧倒されました。笑
サマーキャンプでは、タンザニア人のボランティアメンバーと協力して子どもたちに算数を教えました。
そして、「これ使っていいよ」と言われて出してもらった黒板が真っ白で、びっくりしました。
真っ白な黒板に白いチョークで文字が見えるように書いていました。
算数については、基本的なところは日本もタンザニアも変わらなかったし、タンザニアは子どもでも英語が話せる子が多かったです。
私は子どもの好奇心をつかんだり、面白い話をしたりするのが苦手なので、そういうところは、やはり現地のボランティアメンバーが上手で、さすがだなぁと思いました。
壁のペンキ塗りは、初めてのことだったので難しかったですが、こちらも現地のボランティアメンバーはとても器用で上手でした。
アフリカでは、自分たちで家を作ることが当たり前なんだそうです。
一番ショックだったこと
ボランティアリーダーは、私より一つ下の女の子で、日本にいたら同じく働いている年齢です。
ボランティア開始時、彼女と話していたときに私に一言。
「私は仕事を無くしたからボランティアをやってるのよ」
それを聞いて、
「なんで私はここに来てるのかなあ」
と思わずにはいられませんでした。
仕事が当たり前のようにあったのに。
お金だって稼げていたのに。
それからタンザニア、エチオピアを巡って失業率の高さを何度も目の当たりにしますが、その発端の出来事でした。
アフリカ行ってみたい!けど怖い・・・の人におすすめ
初めてのアフリカ、このボランティアに参加して本当によかったと思います。
治安の悪いダルエスサラームへ行くときも、現地のボランティア仲間が一緒にいてくれます。
サファリやビーチも、ボランティアが休みの日に行くことができました。
正直、ボランティアに申し込んだ時は、「ちゃんと施設に入れるし、守られているから、あまり現地の"普通の生活"を感じることもないだろう」と思っていましたが、このボランティアは「ちゃんと施設に入れるし、守られている」という感じる反面、一部ですが現地の生活も感じることができました。
言語については、タンザニアはイギリス領だったこともあり、英語が大体通じる国です。
けれどもスワヒリ語を話した方が、現地の人たちは確実に喜んでくれます。
ボランティア初日に、タンザニア人のボランティアメンバーにスワヒリ語講座をしてもらいました。
お風呂は、シャワーがないので桶に水を貯めて、体を洗っていました。水シャワー無理!!と思っていたアジアの旅が懐かしいです。
掃除機も、電子レンジも、冷蔵庫も、洗濯機もない。
アフリカの生活は日本での生活と比べて、便利とは言えなかったです。
けれども便利でなくても生活できるんですよね。
掃除機がなければ、ほうきで掃除すればいい。
電子レンジがなければ、火で温めればいい。
冷蔵庫がなければ、今日食べる分の食料を買えばいい。
洗濯機がなければ、手で洗濯すればいい。
大切なことを、ボランティア施設での生活を通じて学びました♪
その反面、ボランティアとは名ばかりで、アフリカのために何かしたいという考えは、なんて浅はかだったのだろうということにも気がつきました。
子どもたちのために何かをするには、2週間という時間は、あまりにも短かったように思います。
タンザニアのごく一部分を知ることができた期間に過ぎなかったと思います。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました^^
次回は、ボランティア施設を離れ、一人でバックパックした話について書いていく予定です!
ブログにアフリカ旅のことを書いているので、興味がありましたら見てみてください★
(タンザニアに行ったのは2018年6月です。)
▶ブログ:~脱力しながら一生懸命~