ニャンジャ語ベンバ語トンガ語⁉ザンビアで立ちはだかる言語の壁。

Muli bwanji! Ndine Nojiharu!(元気ですか?のじはるです!)

ザンビアで保健衛生関係のNGOに所属して活動しています。

今回は現地の言葉について紹介します!

 ザンビアの言葉事情

ザンビアには70を超える民族が共生しており、現地語もたくさんあります。

 

英語ニャンジャ語が共通語して認識されていますが、他にもベンバ語トンガ語などを話す人も多く、地域によって、どの言語が一番多く話されているかは変わると言われています。

 

国からの重要事項などはその地域で主流の言語と英語でお知らせするそうです。

主な現地語
  • ニャンジャ語…隣国マラウイのチェワ語と似ている、話者数およそ930万人
  • ベンバ語…ベンバ族を中心とする民族グループで話される。話者数およそ420万人
  • トンガ語…ザンビア南部および西部に居住するトンガ族など。話者数およそ150万人

 

ニャンジャ語は、地方に住んでいた人たちが仕事を求めて首都に移動し、そこでコミュニケーションを取るためにそれぞれの現地語がミックスされて生まれた言語だそうです。

 

人と共に言葉が移動する感覚が新しく、また日本語一択で生きてきた私にとって、言語の成り立ちを考えたことがなかったのでとても驚きました。

 現地語の学習に後ろ向きだった自分がいた

首都ルサカのスーパーやレストラン、タクシー、空港などは英語が通じるので、英語が話せる人はルサカの生活で困ることはないかと思います。

 

一方でザンビア人同士のおしゃべりは現地語になり、地方や村の人、高齢の方の場合は、英語が通じないことがあります。

私が所属しているNGOの外来に来る患者さんや妊産婦健診に来るお母さんたちも同様です。

 

 

同僚の人たちは英語とニャンジャ語と〇〇語(生まれた地方や家族内の第一言語)の3~4つほど話せることが多いので、相手によって話す言葉を変えてコミュニケーションを取っています。

 

英語の生活にも苦戦している私にとって、現地語のハードルは高く、後ろ向きに取り組んでいましたが、

あるとき尊敬している方から

現地語を話すとみんなと仲良くなれて、みんながどんなことを楽しんでいるのか現地でしかわからないことがわかるよ。
英語も通じるかもしれないけど壁を感じる人もいる。
現地語を話す努力をして歩み寄ったときにしかわからないことがあるよ。

と言われました。

 

ザンビアの経験とは、”自分が何をしたか”だと思っていましたが、”ザンビアの人たちと過ごした時間”が何よりの経験になるんだと感じ、それから前向きに現地語に取り組むようになりました。

 

友達が書いてくれたベンバ語の挨拶や自己紹介に使えそうなフレーズなど

 

現地語を話すとみんな喜んでくれるので嬉しくなります。

 

でも大変なこともあり、みんなが盛り上がってくれることにより、今まで聞いたことがない音に囲まれます。

 

また、複数の言語を話せることがスタンダードなので、

これはニャンジャ語でなんていうの?

と聞くと

〇〇だよ。ベンバ語だと××で、トンガ語だと△△だよ

と言われるので、何が何だかわからず1つも頭に入りません!

 

子供たちに混ざって一緒に授業を受けて、板書したり問題解いたりもしました

 

すぐに忘れてしまうので、「それって何?」と聞いたときに「昨日教えたよ」と返答されることもたまにあり、(1回聞いて覚えられるわけないじゃん)と心で思いながらも、へらへら笑うことしかできず、感情の不一致が起こしてしまうことも。

 

みんなが何を話しているのかわからない、なんで笑っているのかわからない、自分が肯定されているのか、否定されているのかわからない、という状況による不安と焦りとフラストレーションにより1回だけ泣いてしまったこともあります()

 

おしゃべりをしているときに、なんだか辛くなってしまい、「どうして目に涙を溜めているの?どうしたの?」と言われ、ぽろぽろと泣き出してしまいました。

 

泣きたいわけではなかったのですが、感情はあるのに言葉を見つけることができず、涙となった感情が表出し、私も驚きました。

 

でも温かくハグして「大丈夫」って励ましてくれたり、

 

仲良くしている子たちが駆け寄ってきてくれて、

「どうしたの?」

「なんでも話してね!あなたは一人じゃないよ!

「ザンビアまで来てあなたは強いと思うよ!できることに目を向けていこう!感傷的になったらだめだよ、いつでも電話して」

と全力で元気づけてくれました。途中からは嬉しくて泣けました。

 

異国の地で生活したからこそ、出合えた出来事で一生忘れないと思います。

 

言葉も文化も習慣も違って、何もできない私を無条件に受け入れてくれることにとても幸せを感じました。

 

現地語話者たちもスペルがわからないこともあり、まだまだ苦戦中ですが、とりあえずカタカナで聞こえた言葉をノートや携帯メモに書いて覚えています。

 

文法もわからないし、もはやニャンジャ語かベンバ語かトンガ語かわかってないこともありますが、とりあえず単語を覚えてくっつけてみるというハチャメチャなことをしています。でもこれでいいじゃないかと開き直りながら頑張っています。

 

Kusamba(クサンバ)という動詞がありますが、手を洗うときもお風呂入るときもKusambaで通じるので、1つの言葉がカバーできる意味が多いのかなと思っています。

 

あと、Youがイウエ、Meがイーネというのでなんだかカタカナに似てますよね。 

 

カタカナと英語とニャンジャ語とベンバ語とトンガ語がごちゃ混ぜですが、忘れないようにメモしています(笑)

 

ザンビアに来て分かった「日本」と「国境」の話

「日本はどれくらいの民族がいて、いくつの言語があるの」と聞かれ、「ほぼ日本人だけで日本語しか話さない」と答えると驚かれます。日本人も中国語を話せると思われています。

 

驚きましたが、確かに見た目が似ていてお隣の国だから話せて当たり前って思われてもおかしくないかと考えるようになりました。

 

 

ザンビアに来て、日本が日本人しかいなくて日本語しか話さない島国文化であることを感じました。

 

もちろん日本人以外の人も住んでいますし、原住民族や方言などありますが、私は日常生活で意識することがなかったです。

 

ザンビアでは、同じ地域でもいろんな言葉あったり、逆に同じ国の中でも地域によって全く言葉が異なったりして通じないこともあります。

 

地図上に勝手に線を引かれて国境を決められてしまったアフリカ大陸の人たちにとって、国境の境目はただの線なのかもしれないと思い、国境を越えてシェアしている言葉や文化があるのに、それを遮る国境という境目があるということはどんな気持ちがするのだろうかと考えさせられました。

 

 

東京にしか住んだことがない私にとって、たくさんの言語に囲まれる生活は新しく、その背景にある文化や歴史を考えるきっかけにもなり、ザンビアで生活できてよかったなと思っています。

 

それにしても、34つの言葉を理解して話しているザンビアの人たちは本当にすごい!!

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