はじめまして、アフリカ大好き女、松浦由佳(27)と申します!
タンザニアで雇用創出のための事業をスタートさせるべく、昨年の10月より現地で活動している者です。ジャクソンと呼んでください!
この度わたくし、学歴もなく、ストリート生活を送っている青年に職をつくるために、タンザニアでパン屋を始めることにしました。しかし、わたくし実はパン屋での経験なんて一切ない、超ど素人なんです。
「いやいや、やばいでしょ、何それ」って思われた方、ぜひ、私が現地で奮闘する様をリアルタイムで見て面白がってやってください。
連載第一回目の本稿は、なぜパン屋経験のない私が、タンザニアでパン屋をすることになったのか?をお話いたします。
話はさかのぼること約10年・・私がまだミニスカートで街を闊歩していた頃へと戻ります。
この記事の目次
マイケルジャクソンに恋をしたらアフリカにいた。
「初めて訪れたアフリカで、貧しいのに目がキラキラした子どもに心奪われて・・」
と言いたいところですが、実はわたしそんな強烈な原体験があってアフリカに導かれたのではありません。
私の運命は、マイケルジャクソンが亡くなった日に既に決まっていたのです・・。
彼が亡くなった当時、大学受験を控えていた私はキング・オブ・ポップの死を悼みながら、「Man In the Mirror」を聴いている時に神のお告げを受けたのです。
「彼の思いを継承するのは君だ」と。
(「何を言ってるんだ、コイツは」と思われた方、正しいです。)
ショービジネスの世界で神と崇められたマイケルジャクソンは、実は、陰で世界の恵まれない子どもたちへの支援を続けていました。そんな姿に感銘を受けた私は、いつか自分も誰か他の人の役に立つことをしたいと願うようになっていました。
天啓を受けた後は、脇目も振らずに国際協力の道を志すと同時に、アフリカの魅力にどっぷりと浸かりました。
ちなみに、なぜアフリカ?と聞かれれば、それは「国際協力→アフリカだー!」という、乏しい知識からなる単純な連想ゲームの賜物であります。何はともあれ、私はマイケルジャクソンを通してアフリカに出会ってしまったのでした。
大学ではスワヒリ語を専門に勉強し、タンザニアで1年間留学をする機会を得ました。その留学中に、将来はここで現地の人のためになることをしようと決意しました。
ボランティアの限界・・
大学時代は、NGOでの活動に精力的に携わっていました。そこでは、ケニアのHIVポジティブのシングルマザーたちを支援していました。
はじめての国際協力で、私は日本とケニアを繋ぐことに大きな喜びを感じていました。
しかし一方で、ボランティアの限界を感じることも多々ありました。
当時、私たちは、支援をしているママたちの手作りバッグを日本で販売する活動を行なっていました。現地のお母さんたちへの支援方法はというと、バッグの製作代としてお給料を送金するといったものでした。
つまり、日本での売れ行きに関わらず、現地のお母さんたちには一定の金額を送り続けていたのです。
当然、売れ行きの芳しくない月もあるため、そんな時には、泣く泣くマクドナルドのアルバイト代を充てていました。ボランティアのあり方としては最悪です。
次第に私は、現状の活動を継続させることだけで精一杯になっていってしまいました。
「現地のお母さんには何が本当に必要なのか?」
「現状を改善するためにできる施策は他にないのか?」
そんな当たり前のことを考える余裕すらなくなってしまっていたのです。
そうだビジネスをしよう!
そんなことで悩んでいた時に出会ったのが「ソーシャルビジネス」でした。
ソーシャルビジネスとは、社会問題の解決を目的としたビジネスのことです。なるほど、事業収益をあげていくことができれば、継続的に支援が可能となります。
当時私たちがNGOで行っていた活動も、きちんとマネタイズし、プロダクトとして売れるものを追求していれば、ビジネスになり得ていたと思います。しかし、当時の私にはビジネスとして事業を回すスキルが圧倒的に不足していました。
そんなわけで、大学を卒業した私は、ソーシャルビジネスを学ぶために株式会社ボーダレス・ジャパンにジョインさせていただきました。ここでは、ネット通販やライティング、店舗設計など、ありとあらゆる分野の業務に携わらせていただきました。本当に貴重な経験をさせていただいたと感謝しています。
そして、昨年10月より単身タンザニアに渡り、「タンザニアで雇用を創出するためのビジネスを始める」という、兼ねてからの目標に取り組んでいます。
明日のご飯の心配をしなくてよくなるの?
さて、私が職をつくって雇用したい!と考えている青年たちですが、彼らは日本で言うところの、いわゆるホームレスです。
例えば、今年20歳になるKelvinくんは、生まれてすぐに両親をエイズで亡くし、おばあちゃんに育てられていました。しかし、6歳になった時にそのおばあちゃんも亡くしてしまい、それからはストリートで生活しています。
一度は学校に通っていた時期もあったそうですが、一人で生きていくには食い扶持も稼ぐ必要があります。昼間は、信号待ちしている車の窓拭きで小銭を稼ぐようになり、学校へ通うことは諦めざるを得ませんでした。
今は、同じような境遇の仲間で集まり、助け合いながらストリートでの生活を続けています。
ストリート生活を送る少年・青年には十人十色の事情がありますが、彼らの多くは、Kelvinくんのように幼い頃に両親を亡くしたりして学校をドロップアウトし、学歴のないままに大人になってしまいます。
毎日がその日暮らしのため、それを打開するための十分なお金やそのための教養も身に着けることが難しいのです。
私がタンザニアのダルエスサラームで出会った青少年たちは、助け合いながら清く生きていましたが、何かのきっかけで彼らが窃盗集団に成り果てても誰も責めることはできません。
実際、ダルエスサラームでは、夜間の青年による窃盗事件が多発しています。
また、タンザニアでストリート生活を続けるのは、常に危険との隣り合わせでもあります。
寝ている間にスコールがくれば、避難場所を探すために夜中に雨の中を彷徨わなければなりません。また、マラリアを媒介する蚊に刺されれば、翌日から高熱と闘う羽目になり食い扶持を稼ぐことができなくなります。
最近も、2人の男の子がマラリアになってしまい寝込んでしまっていました。
この世は全然平等なんかじゃない
神様って意地悪だな。
彼らと出会ってそう思いました。
生まれてきた時から、自分で何かを選択する前から、彼らのスタート地点は遥か後方にあるのです。
「なぜ、私は彼らの境遇で生まれなかったのだろう?」と、理由なんてないのに考えずにはおれませんでした。
私のようなちっぽけな人間がこんなことを言うなんて傲慢でおこがましいのですが、彼らにチャンスをあげたいのです。
運命のいたずらで、持てる者として生まれてきてしまった私ができることがあれば、その持っているものを出し切ってから死にたい。そう思い、事業を立ち上げる決心をしました。
ところでなんでパン屋さん?
さて、肝心な事業のお話です。
学歴のない彼らに職をつくるには、スキルが必要な手仕事をつくろう!と考えました。
手を使う仕事としていくつものビジネスプランを検討したのですが、中でもパン作りは、産業としての発展の余地があると感じました。
タンザニアにはパン食の文化がありますが、日本のものと比べると、まだまだ伸び代があると言えると思います。
中でも、初めは「クロワッサンに特化したホテルへの卸し」事業を柱にスタートさせる予定です。
クロワッサンの製造には、適切な温度管理と相応の設備が必要になりますが、今のところタンザニアにそれを満たしたパン屋はありません。
つくるのが難しいクロワッサンだからこそ、その特殊性を活かせば、ビジネスとしての勝機があると見込みました。
日本のパン製造の技術は、世界トップレベルだと思います。そのスキルを持ってすれば、タンザニアだけにとどまらずアフリカ一のパン屋を目指せると確信しています。
気合いで5ツ星から受注いただいちゃいました
随分と偉そうなことをたくさん宣ってしまいましたが、実はわたし、お恥ずかしながらパン屋での経験は全くありません。ただ、やる気と熱意だけはあります!!!!!
パンづくりの経験はなかった私ですが、タンザニアでは自宅のキッチンを使って、毎日手捏ねでクロワッサンを焼き続けました。(YOUTUBE先生には大変お世話になりました。文明の利器に感謝です)。
そのクロワッサンを持ってホテルに営業をかけまくり、結果、4ツ星、5ツ星ホテル5件から注文をいただきました!
厨房を作りたいんじゃー!
ここまで読んでいただきありがとうございます。
なんとかかんとか言ってきましたが、わたし、お金ありません!!!!!
そんなわけでクラウドファンディングで現在資金を募っております。
ほんの少しの応援したいお気持ち、もしくは素敵なリターンに惹かれましたらぽちっとしていただけると大変嬉しいです!
https://camp-fire.jp/projects/view/123947
次回は、ど素人の私がタンザニアでパン作りに挑戦した様子について書きます♡