アッサラームアレイコム!(アラビア語で「こんにちは」)
はじめまして。現在、青年海外協力隊 助産師としてモロッコで活動しているサトユカです。
今回ご縁があり、AAAでモロッコについて書かせていただくことになりました。
どうぞよろしくお願いします!
さて、早速ですが、私の住むモロッコについて簡単に紹介していきます。
モロッコってどんな国?
面積:44.6万平方km(日本の約1.2倍、西サハラ除く)
人口:3,603万人(2018年)
民族:アラブ人(65%)、ベルベル人(30%)
言語:アラビア語(公用語)、ベルベル語(公用語)、フランス語
宗教:イスラム教(国教)スンニ派がほとんど
政体:立憲君主制
主要産業:(麦類、オリーブ、タコ、イカ、イワシなど)
※外務省ホームページより抜粋
モロッコは大西洋と地中海に面した北アフリカのマグリブ地方(アラビア語で「日沈む場所」の意味)に位置しています。
北部の都市タンジェからスペインまでは、ジブラルタル海峡をはさんで、たったの14㎞。フェリーで渡ることもできるんです。(天気の良い日は海の向こうにスペインも見えます!)
中東のアラブ文化、モロッコ南部のベルベル文化、そしてヨーロッパの文化。
モロッコは様々な文化が融合しており、それぞれの土地で異なった世界を感じることができる魅力的な国です。
モロッコでは話される言葉も様々
公用語のアラビア語とベルベル語をはじめ、保護領時代の影響を受け、フランス語も広く通じます。
さらに、モロッコ人同士の会話ではほぼアラビア語モロッコ方言である「ダリジャ」という言葉が使われています。
それらに加え、英語教育もされており、北部にはスペイン語も話せる人も。モロッコでは2言語は当たり前、多い人は5言語以上も話せる人もいて、彼らの言語能力の高さに驚かれる毎日です。
そんなモロッコ。サハラ砂漠や青い街シャウエン、迷路のような旧市街地や名産品である、陶器や絨毯…。今や「フォトジェニックな国」で人気となり、海外から多くの観光客が訪れています。
が!今回は、観光だけでは味わうことのできない、住んでいるからこそ分かるモロッコでの本当の生活についてお伝えしていきたいと思います。
イスラム教国での生活って?
先ほども紹介したように、モロッコは国民のほとんどがイスラム教を信仰しています。
「イスラム教」といったら、真っ先に思い浮かべるのは豚肉や飲酒の禁止ではないでしょうか?(私がそうでした)
出国前はモロッコに住む2年間、豚肉を食べることも大好きなお酒を飲むこともできないと半ば諦めていたのですが…。
モロッコではどちらも購入することができました!
豚肉は私の住んでいる街では購入することができませんが、首都ラバトでは販売している店もあります。また、モロッコに多く存在する「カルフール」というフランスに本社を置くスーパーでは、ベーコンや生ハムも売っています。
お酒についても、都市部にある観光客向けの一部のレストランでは飲むことも可能です。(私の住む街では片手で数えられるくらいです)
酒屋も街中には存在し、先ほど述べたカルフールでは、食料品や日用品とは別のフロアや地下にお酒コーナーがあります。が、いるのは外国人やモロッコ人でも男性のみ。いまだにモロッコ人の女性を見かけたことがありません。
女性がお酒売り場にいると相当目立つようで、店員さんには私の顔を覚えられ、挨拶や握手までしてくれるようになりました…。
農村部ではお酒自体も置いておらず、売っていたとしても小さな町では外国人が買うとさらに目立ってしまうため、購入を控えている隊員もいます。
日本にいたときより、お酒が遠いここでの生活ですが、モロッコにはご当地ビールのカサブランカやワインの産地も多々あります。モロッコでは赤ブドウから作られる白ワインのグリが有名です。
さて、毎日イスラム教徒と過ごす中で、現在までに2つの大きなイスラム教の行事を経験することができました。「ラマダーン」と「羊犠牲祭」についてそれぞれ紹介していきます。
ラマダーン
イスラム教徒には守るべき5つの義務として、①信仰告白、②礼拝、③喜捨、④断食、⑤巡礼があります。断食はその中の一つで、モロッコでは「ラマダーン」と呼ばれています。イスラム暦の9月に行われ、開始と終了の日時は月の満ち欠けによって決まります。
- 日の出から日没までの間、一切の飲食を断つ
- 日中の喫煙や性行為、人の悪口や噂話は控える
- 病人や妊婦、月経中の女性や旅行者は免除される
などのルールがあり、欲を断つことで、神への献身と奉仕、信仰心を高めたり、を経験することで貧困者への共感、思いやりの心を深めるという目的もあるそうです。
断食と言っても、全く食べないわけではなく、日没後に「フトール」と呼ばれる食事をとります。
写真でわかるように、フトールは炭水化物のオンパレード!モロッコ人は「断食は健康に良い」と言っていましたが、夜間のまとめ食いや睡眠不足で果たして本当に健康に良いのかは最後まで疑問でした…。
「フトールで太―る!」とよく日本人同士で冗談を言っていたものです。
レストランやいつも男性達で賑わうカフェは日中閉まっており、街全体がいつもとは違った雰囲気で、酒屋もラマダーン期間中はずっと開くことはありません。(そのため、ラマダーン開始前にお酒の買いだめは必須!ということを今回学びました)
私もイスラム教についての理解を深め、モロッコ人の生活を体験するために、半分ほどの期間、ラマダーンに参加しました。現地の人々と同じ生活をする中で、共感することや宗教や文化についての話も増え、彼らと少し距離が縮まったような気がします。
ラマダ―ン明けの街中や職場では人々が「エイド・ムバラク・サイード」とお祝いの言葉を掛け合い、2日間イードと呼ばれる祝日となりました。この期間に実家に帰省し、普段なかなか会えない家族と会うモロッコ人も多いようです。
羊犠牲祭
「犠牲祭(イール・アル=アドハー)」とは、イスラム暦12月10日から数日間行われます。
ちょうどハッジというサウジアラビアのメッカ巡礼の最終日ということもあり、世界中のムスリム達はお祭りモード。
犠牲祭では、モロッコでは主に羊を生贄として神に捧げることが多く、「羊」犠牲祭と呼ばれています。私も同僚の家に招待され、参加しました。
羊犠牲祭では、基本的に1家に1頭羊を用意します。
羊は1㎏あたり、日本円で600円ほど。一頭2~3万円近くなり、これはモロッコ人の収入からみると決して安くない値段です。
犠牲祭前はスーパーや街中に羊販売のテントができ、街中に獣臭が漂っていました。
犠牲祭初日の午前中に屠殺は行われます。多くの家庭では肉屋を呼び、行ってもらうことが多いようです。
肉屋も1日に15件も回るそうで、大忙し。全身羊の血だらけになりながら、働いていました。
私は職業柄か、出血や内臓などを見ることに慣れてはいますが、羊が屠られ、肉の塊になっていくまでの光景はかなり衝撃的でした…。
内臓等の処理は女性達の仕事で、私も手伝いました。
肝臓や腸をひとつずつ丁寧に洗っていきます。犠牲祭1日目は腐りやすい内臓から、串焼きや煮込み料理などにしていただきます。
翌日は同僚の親戚の家に招待され、この日は羊肉のクスクス(モロッコの主食である世界最小と言われているパスタ)にしていただきました。
このように、生贄にされた羊は頭から足の先まで余すことなく、大切にいただきます。
捌かれた肉の1/3は貧しい人へ、1/3は近所の人や知人へ、残りの1/3は自分達でいただく。そんなルールもあるようです。
日本にいた頃は、パック詰めされた肉をスーパーで買うことがほとんどで、屠殺場面を目にすることはありませんでした。
羊犠牲祭はただただ残酷な場面を目にする日だと思っていましたが、幼い子も含め、親戚一同が集まり、命に感謝しながら食事をとる中に私も混ぜていただき、何だかとても温かい気持ちになりました。
生きること、食べること、信仰心について考えた1日でした。
ちなみに羊犠牲祭当日は街中のお店はほぼすべて閉まっています。また、国の祝日となり、多くのモロッコ人が実家へ帰省するため、電車やバスなどは大混乱。この時期にモロッコ旅行に来る際は注意が必要です。
モロッコのどんな小さな村にも必ずといっていいほど存在するモスクや、毎日5回ある礼拝、お祈りの合図であるアザーンを聞くと、イスラム教の国にいることを実感します。
宗教や文化、習慣も大きく異なるモロッコという地で、生活するだけでも毎日新しい発見の連続です。協力隊としての任期は残りあと1年半弱。これからもモロッコの魅力もどんどん探していきたいと思っています。
皆さんもぜひ、異国情緒あふれるモロッコにお越しください!
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