タンザニアで学んだお裾分けの心。〜"与えること"を恐れていませんか?〜
Habari zenu?

アフリカを愛し続けて10年、約3年半ぶりにタンザニアに帰って来ました、sumi(@sumi_tz)です。

現在、青年海外協力隊(2017-2)、コミュニティ開発隊員としてタンザニアに赴任しています。

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タンザニアのリアルを伝えたい!第3弾は、村で暮らす中で学んだ、"お裾分けの心"について。
ボランティアと聞くと、無償で尽くす行為だと思ってはいませんか?

また、アフリカには物乞いが沢山いて、お金を強請られるといった印象を持ってはいませんか?

もちろん、それも事実。

だけど、ボランティアの1人として村に入り込み、生活をする中、与えることよりも与えられることの方が多い、と実感しています。

これは何も精神的なことだけを指すのではありません。

タンザニアに来て5ヶ月ですが、一体どれだけの住民が、私のために時間とお金を費やしてくれているか…それに対して、私はどれだけのものを返せているんだろうと、時折申し訳ない気持ちになってしまいます。

もとより、"助け合いの心"が強く、客人を最大限歓迎する国民性だからかもしれませんが、これでもかってくらい尽くしてくれるんです。

今日はそんなタンザニア人との実際にあったエピソードと、彼らから学んだ"お裾分けの心"をご紹介します。

客人は必ず家に招き、もてなしなさい    

これは、村で行われた結婚式で、母から娘に伝えられた言葉です。キリスト教の教えに基づいた考え方だと思うのですが、 村の多くの住民たちに根付いていると感じます。

(※タンザニアはキリスト教徒とイスラム教徒が半々(少数だが、土着宗教も有)ですが、私の赴任するイリンガ州は内陸部ということもあり、キリスト教徒が大半を占めています。)
↑結婚式で花嫁に家財道具をプレゼントする様子。

村を歩く中、これまで何度も「Karibu nyumbani kwetu!(私たちの家においで!)」と誘われてきました。

そして、家に上がると、ウガリや焼きトウモロコシなど、何かしら振舞ってくれる人が殆ど。どんなに貧しかろうが豊かだろうが、おもてなしの心に差は感じられません。

電気も水道もない、小さなお家。お婆ちゃんと孫の2人暮らしで、暮らしが大変なのは見て取れましたが、それでもお婆ちゃんは孫にコインを渡し、マンダジ(揚げドーナツ)を買いに行かせ、初対面の私に振舞ってくれました。

食べてくれてありがとう                         

これまで何人の人にソーダを奢ってもらい、何件の家で食事をご馳走になり、何度無料で車に乗せてもらったことか。またどれほどの時間、畑仕事の手を止め、拙いスワヒリ語で尋ねる質問に嫌な顔一つせず、答えてくれたことか。

そして驚くのが、私がお礼を言うと、必ずといっていいほど、「食べてくれてありがとう。訪ねてくれてありがとう。」と逆にお礼を言われること。

まだたった5ヶ月ですが、何年分もの優しさをもらっているような気がしてなりません。

私が遠い日本から来たボランティアだからという理由もありますが、勿論それだけでなく、タンザニア人同士でも"お裾分けの心"を感じるやりとりは多々…

例えば、道端で何か食べている時に知り合いに会うと、迷わず「一緒に食べよう」と声をかけ分け合ったり。

自分の庭の木になった果物を通り掛かりの子どもたちに取ってあげたり。

自然と与え合う姿に最初は随分と驚きましたが、よくよく考えるとスワヒリ語の動詞の活用に受身や使役と並んで、相互形があるのも頷けるな…と。

(※相互形〜動詞の語尾にnaをつけるとeach otherの意味合いとなる。ex. penda 愛する→pendana 愛し合う、gawa 分ける→gawana分け合う)
"与える勇気"を持つこと                        

ただ、それと同時に、人に物をねだることに対する抵抗もないような気がします。

「ジュースを奢って欲しい」、

「Tsh500/=(約25円)くれないか」と悪びれもなく言われたり。

「今度はsumiの家に遊びに行くから、ウガリ作ってね」、

「ダルエスサラームに行ったらお土産買って来てね」と頼まれたり。

あなたはこう言われた時、どのような行動をとりますか?

私は、こうした場面に出くわす度、いつも葛藤が生まれます。

ここで与えてしまったら、もっと多くの人から求められるようになるのではないか。ただでさえ日本人=金持ちの印象が強いのに、余計にお金を持っていると思われるんじゃないか、と。

与えた後の影響を恐れるあまり、自ら壁を作ってしまっていたのです。

私の中で、いくら豊かな日本で育ったからといって無条件に振る舞うのは違うと思っています。また、危機管理の面からも「自分はボランティアでお金はないんだ」と大っぴらに言うようにしています。

ただ、時には同僚にご馳走したり、街に出かけた時にはお土産を買って帰ったり、野菜をもらったら、その野菜で作った料理を届けたりと、自分なりのお裾分けを始めることにしました。

もしも、同じタンザニア人同士、日本人同士の同僚・隣人だったらどんな行動をとるか、を基準に関係性を築こうとしているところです。

初めて自分からお金を差し出した瞬間   

ただ、そんな私も一個人として無用なトラブルを避けるため、お店以外では、お金を差し出さないようにしています。現金の貸し借りは関係性を一気に崩しかねないとの思いからです。

それでも一度だけ、自らお金を出したことが…それは、大家さんと一緒に暮らす少年の父親が亡くなったとの報せを聞いた時でした。

母親はすでに亡くなっており、両親とも失った少年。いつも私の生活を助けてくれる身近な存在だっただけに、そんな彼の肉親の突然の死に、涙が止まりませんでした。

そして、僅かながらも御香典のつもりにと、大家さんを通してTsh10,000/=(約500円)を渡すことに。

ただ純粋に、何か出来ることはないかと思った末の行動だったように思います。
日本人だから、ボランティアとして来たから、"与える側"に立つのではない。

同じ村に暮らす一人として、困った時に助け合い、嬉しい時に分かち合う。

本当の意味で"お裾分け"ができるのは、対等な関係が築かれてこそだと思っています。

まだまだ、完璧に壁が取っ払えた訳ではありませんが、少しずつ心から信頼できる人が増え、分け合うことへの抵抗が減っているのが進歩だな、と。

出張や旅行で短期間訪れるだけでは築けない、住民同士の関係性を築けるのが協力隊の良いところだと感じます。

この2年間はとにかく"タンザニア人になるんだ"、との思いで、とことん住民の輪に入っていきたい。この経験が、いずれ"仕事"としてアフリカに向き合うことになった時、相手の目線に立つ助けになると確信しているからです。
↑炭や火までお裾分けしてもらいつつ、生活。

 

 

タンザニアで培ったお裾分けの心、この先もずっと忘れずに持ち続けていきたいと思っております。

 

 

 

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