Habari zenu?
アフリカを愛し続けて10年、約3年半ぶりにタンザニアに帰って来ました、sumi(@sumi_tz)です。
現在、青年海外協力隊(2017-2)、コミュニティ開発隊員としてタンザニアに赴任しています。
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タンザニアのリアルを伝えたい!第2弾から、いきなりディープなタイトルとなってしまいましたが…一緒に考えたいのは、家族って一体何だろう、ということ。
アフリカに来て驚いたことの一つが、"子どもの多さ"…といった声は、よく耳にされるのではないでしょうか?
タンザニアの人口ピラミッドを見てみると、見事に富士山型。0-4歳の割合が最も高く、19歳未満で過半数を占めています。
実際、私も赴任してから毎日村を歩きまわっているのですが、いたるところに子ども、子ども、子ども…
インタビューのためにお家を訪問しても、たくさんの可愛い子どもたちが迎えてくれます。
その際、必ずといっていいほど確認するのが、"Huyu ni mtoto wa nani?(この子は誰の子ども?)"ということ。
特に学校終わりの時間帯や週末だと、親戚や近所の子どもたちが、わんさか集っているので、誰が誰の子どもか混乱してしまいます。
そして驚くべきことに、各家庭、実子だけでなく、親戚や他人の子も一緒に住んでいるケースが殆ど。
その主な理由としては…
- 親が出稼ぎに行ってるため、親戚に預かってもらっている。
- 自宅が学校から遠いため、親戚宅に下宿している。
- 両親ともおらず孤児のため、里親に育てられている。
一概には言えませんが、上記の理由が多いように思います。
3.にあたる、両親ともいない孤児に対しては、RDO(Rural Development Organization)というNGOが3〜4ヶ月に1回、油や石鹸などの支援物資を届けに来ているのですが、対象者は年々増加しているとのこと。
↑ RDOが調理用の油を配給する様子。
あなたは、孤児と聞くと何を思い浮かべますか?
"孤児"と聞くと、ただ"親のいない子"として一括りにされがちですが、目の前にいる一人一人の話を聞くと、本当に色んな背景があることが分かります。
両親とも病気で亡くし、親戚に引き取られた子や、父親を事故で亡くし、母親には逃げられ、現在は祖母に育てられている子など…親を亡くした原因も、病気であったり事故であったりと多様です。
そんな中で驚いたのが、とあるお婆ちゃんと女の子とのお話し。
1人の女の子が、学校の休暇期間にお婆ちゃんのもとに遊びに来ていました。
普段のインタビューと同じように、お婆ちゃんに対して、「何番目の子の孫なの?」と何気なく尋ねてみると…なんと、旦那と愛人との間にできた子の孫だと言うのです。
旦那も愛人も既に亡くなっており、女の子はお婆ちゃんをまるで自分の祖母のように慕っていました。
私は思わず、「旦那さんが愛人との間に子どもを作って許せたの?」とお婆ちゃんに尋ねてしまいましたが…お婆ちゃんは笑顔で一言、「仕方ない。許すもなにも、子どもは誰の子であろうが、子どもに変わりないでしょ。」と。
"子どもには罪はない"よく聞くことですが、こんなにもすんなりと心の中に入ったのは初めて。
そしてこの時、自分の考えが如何に小さかったか、気付かされました。
きっと私は、"愛人の子どもや孫を自分の子のようになんて育てられない…"と無意識に考えていたのだと思います。
もちろん、愛人を作ることが正しいとは思わないし、このお婆ちゃんのケースが全てのタンザニア人に当てはまるとは限りません。
しかし、少なくとも村に来てから、亡くなった夫と第2夫人との子どもを育てている別のママにも会いましたし、血の繋がりなく一緒に暮らしている家庭も、珍しい話ではないように思います。
家族って一体何なんだろう。
ふと、そんな問いが自分の中に浮かんできました。
血が繋がっているかいないか、一つ屋根の下に暮らしているか暮らしていないかだけの次元じゃない。
タンザニアの村に来てからというもの、誰の子と関係なく、周囲の大人みんなで子どもたちを育てているんだな、と感じる瞬間が沢山あります。
例えば、裸足で走ってる子や汚い水を飲もうとしている子に通りがかりの大人が注意をしたり。
私が飴をあげようとすると、必ず周りの大人たちが「両手で受け取りなさい」と声をかけたり。
子どもたちの成績も、性格もみんなが知っている。まるで自分の子のように怒り、可愛がり、見守る姿に、家族の壁を越えた繋がりを感じます。
これはほんの一例に過ぎません。
幸せそうな家庭もあれば、必死に毎日を生きる家庭もある。実の親子なのにトラブル続きの家庭もあれば、たとえ血が繋がってなくとも円満な家庭もある。
いつも話を聞くと、何もできない自分をもどかしく感じ、 どこまで踏み込んでいいものか、常に葛藤が付き纏います。
でも、"今日の出逢いが相手の10年後を変えるかもしれない。今日の行動が自分の10年後を変えるかもしれない。"との思いで、勇気を出して向き合うと、相手も真剣に心を開いてくれる。見えるもの感じるものが格段に変わる。
毎日のインタビューのお陰もあってか、日本にいる時以上に、人の家庭事情を把握しているような気がします。(笑)
でもそれはタンザニアの村では特別なことでなくて、みんながみんなの事情をよく分かってる。だからこそ、必要な時に助けを求め、手を差し伸べられるんだろうな、と思います。
いつか、私も村のみんなにとって、家族のような当たり前の存在になりたい。
↑家族のように同じ時間を過ごしているGladnessと。
さて、タンザニアの家族の姿が少しでも届きましたでしょうか。ここでは敢えてお婆ちゃんと女の子の写真は出しませんでしたが、「仕方ない。許すもなにも、子どもは誰の子であろうが、子どもに変わりないでしょ。」と言った時の、お婆ちゃんの笑顔を思い浮かべてもらえると幸いです。
これまで私は、いくら日本でアフリカについて学んでも、自分の目で見ていないからか、"実際のところはどうなのだろう…?"とモヤモヤした気持ちは拭いきれませんでした。
ただ、村に来て顔の見える一人一人と向き合うことで、良くも悪くもタンザニアの状況をダイレクトに受け取れることができます。
そして、今まで当たり前に思っていたことの"枠の小ささ"に気付かされる。
こうした些細な心の動きをこれからも大切にしていきたいな、と思う今日この頃です。
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