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皆さん、こんにちは。5月も半ばに入り、私たちのクラウドファンディングも残すところあと2週間余りとなりました。ルワンダからの留学生を持続的に招くことができるよう、「ネクストゴール」達成に向けて気合を入れています。
今回は、留学生の出身大学であるPIASS(プロテスタント人文・社会科学大学)と、そこで教えておられる佐々木和之さんについて、お話しさせてください。
PIASSは、ルワンダ南部の街フエにある小さな大学です。フエは首都のキガリから車でおおよそ2時間半の距離にあります。キガリよりもさらに高地にあり、標高は1800メートルくらい。いつも涼しくて、快適な気候です。フエは植民地時代に学芸の中心となるべく建設された街で、当時はベルギー王妃の名前を取って「アストリダ」と呼ばれていました。
フエの街
PIASSは、神学部、教育学部、開発学部の3つの学部から構成されています。学部が3つしかないので、universityではなくinstituteという言葉を使っているんですね。佐々木さんは、開発学部にある「平和・紛争研究プログラム」の主任をされています。
私は1998年から毎年ルワンダに通って調査をしていますが、佐々木さんに初めて会ったのは2003年頃でした。佐々木さんは、1990年代初めからエチオピアでNGO活動に従事していたのですが、1994年に起きたルワンダの虐殺に衝撃を受け、英国のブラッドフォード大学でルワンダについて勉強していました。私が初めて出会ったのは、彼が博士論文の調査のためにルワンダを訪問しているときでした。
佐々木さんは、2005年からご家族とともにルワンダに住み、現地のNGOに参加して紛争後の和解と共生のための活動に従事しています。その後、ブラッドフォード大学で博士号を取得。2011年からPIASSで教えています。(詳しくは、支援団体のホームページ「ルワンダの平和と和解のために」http://rwanda-wakai.net/をご覧ください)
佐々木さんはここ数年、毎年数人の日本人留学生を受け入れています。その数は既に20人に達したと聞きました。その半分くらいが東京外大生です。ルワンダで平和について学ぶのは、素晴らしい経験だろうと思います。PIASSには、ルワンダ人の他にブルンジやコンゴ民主共和国など周辺諸国からも留学生が来ています。彼らと交わることで、アフリカ人といっても様々であること、一つの紛争にも多様な見方があることを知ることができるでしょう。
講義中の佐々木さん(中央)
アフリカから留学生を呼ぼうとするとき、考慮しなければならないのは、しっかりした学生を送ってくれる体制があるかどうか、ということです。こうした体制を備えている大学は、それほど多くありません。佐々木さんがいるPIASSなら、この点は全く心配ありません。今回も、ムレカテテ・シュクルさんとエリー・ロドリグ・イチャーツェさんという2人の優秀な学生を選んでくれました。
ムレカテテ・シュクルさん
エリー・ロドリグ・イチャーツェさん
お二人からのメッセージは、現代アフリカ地域研究センターのホームページに掲載してありますが(http://www.tufs.ac.jp/asc/fundraising/180404piass-student-message.html)、二人とも苦学して大学に入り、チャンスをつかみました。PIASSに留学していた元日本人留学生の河野賢太さんも、2人に太鼓判を押しています(https://readyfor.jp/projects/asc-piass/announcements/75018)。彼らを東京外大に受け入れられることを本当に嬉しく、また誇りに思っています。
でも、くどいようですが、これからが本番です。留学生を呼ぶことを1年や2年で終わらせたくありません。これを続けていかねばならないと思っています。そのために、将来的にまたクラウドファンディングをやることがあるかも知れません。ただ、まずは今回の機会に来年以降の留学生招致にも使えるよう、「ネクストゴール」を設定しました。
若い時の海外経験は何物にも代えがたいものです。私自身、大学3年生の時に2年間休学し、チュニジアの日本大使館で派遣員の仕事をしていました。派遣員というのは、何でもやる大使館の補助要員です。二十歳の何も知らない若造でしたので、周りにいろいろご迷惑をかけたと思いますが、本当に良くしてもらいました。大使館の方々はもとより、青年海外協力隊の方々によく遊んでもらいました。何かというと集まってカラオケをし(当時は限られた数のカセットテープしかなかったので、いつも同じ曲を歌ってました)、人生であれほどカラオケをした2年間はありません。一方で、チュニジアが面白いなと思い、これからもアフリカに関わっていけたらと強く考えるようになりました。いろいろな意味で、自分の一生を決めた経験だと思っています。
若い人にはどんどんアフリカに行ってほしい。そして、アフリカの若い人にもどんどん日本に来てほしい。今回は、少しでもそのお手伝いができて、嬉しく思っています。
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