Jambo!!! 初めまして、AfricanHandsの刀根泉(とねいずみ)です。
アフリカンハンズは2012年、同級生だったyachiと私の2人で立ち上げたブランドです。今も変わらず2人のままです。
2人とも創業当時は、32歳/既婚/子供ナシ!でしたが、今はもう2人とも40手前の2人の子持ちです。
私は、今、手のかかる2歳と4歳の娘と、更に手のかかる旦那を抱えながらも、なんとかこのビジネスを続けています。
私はティンガティンガアートのバイヤー、プロモーター、商品デザインを主にやってます。
この記事を読んでくださっているほとんどの方は、ティンガティンガアートそのものはご存知やとは思います。
が、「AfricanHandsを知ってる!」って方は、99%の確率でイナいという自信があります。もう8年目やのに。笑
そこには、理由があります。
それは、発信してこなかった!
と言う事実一つです。
なので、ここで少しAfricanHandsについて紹介させてください。
この記事の目次
AfricanHandsとは
私たちは、東アフリカのタンザニア・ウガンダ・ケニアの3ヶ国に直接出向き、ただの買い付けだけではなく、一から商品作りに参加し、企画し、現地の人たちとモノづくりをしています。
正直にお伝えするならば、ただ買い付けただけのものもあります。
主な販路は、伊勢丹三越グループ全店。
7年経ってもアフリカの魅力から解き放たれることなく、いつかティンガティンガをディズニーレベルまで日本で有名にしたい!と本気で思ってるんです。
そして、ディズニーレベルまで有名にしたいと思ってるのに、発信してこなかった矛盾をまず反省し、ここにいます。笑
AfricanHnadsはこうして生まれた。
アフリカンハンズの2人は同級生。
一応、いま思えば、国際経済科と名のつく科で学んでいたわけですが、“国際”にも“経済”にも申し訳ないほど、いつも何かやらかしてたオバカな2人。
語学力で言えば、無に近かった。
相方は学生時代、夏休みに行ったアメリカで
シャワーを浴びたければ「アイム シャワー!」
トイレに行きたいけば「アイム トイレット!」
そんなレベル、私はそれ以下。
しかしその後、それぞれが留学や会社員をしながらバックパッカーを経験して、一応、それなりの大人になり、最後にたどり着いたアフリカの地でまた何かやらかしたいと構想を打ちたてました。
「貧困」というイメージとは裏腹に、街ゆくアフリカの女性は皆、とにかくおしゃれ!!!
また原色に原色や、柄に柄!を合わせるという斬新なセンス!
このセンスと日本人女性の感性を合わせて、何かできないか?それが社会貢献に繋がったら素敵!!ということで、最初はウガンダ女性とフェアトレード!と言う思いで起業準備を始めました。
が、その過程で、運命的に出会ったティンガティンガアートに心打たれすぎた私は、このアートを見て
と感じ、2人は各国パート分けし、お互い別国でそれぞれ活動開始することになりました。
その時は、アフリカの革命児と呼ばれるほどの、有名な方がもうすでにティンガティンガビジネスをやってるとは知らなかったのです・・・。
AfricanHnadsは本気で向き合う。
そう、巨大と思われるライバルがいるなんて知ってたら、もしかしたらできていなかったかもしれない。。
そして、知った時にはもうスイッチがオンになってしまってた。
最初は、とにかく好きだと感じる絵を仕入れ、100人近くいるアーティスト全員から1枚でもいい買ってあげたいと思ったし、全員の生活を私が守る〜!って、心から思ってた。
熱すぎる女だった。
絵が技術的に上手でない人、センスのない人、全員に寄り添いアドバイスした。
ライバル社はもう何年も前からやっているので、一緒のことをしていてもダメだと思い、全てオーダー、仕入れる絵の半分以上はアフリカンハンズオリジナルの絵を描いてもらうことにした。
価格的にも、買い叩くことはしないやり方を選んだ。
だから、ティンガティンガ村にきて、お土産物として買っていく日本人の方がはるかに安く、手に入れてた。
けど、そのぶん、日本で通用しないクオリティなら、何度も書き直してもらった。そのうち、アーティストもダメ出ししなくても、渾身の力作を持ってきた。
ヒット作は毎年生まれた。
アーティスト達の生活が少しづつ潤っていくのがわかったし、アーティスト達と私の間に絆が生まれるのを肌で感じ嬉しかった。
何よりも私自身も自分の居場所ができた気がして、天職だとさえ感じた。
African Handsは身体も張る。
アフリカ渡航は、年に3、4回。一回の滞在は約6週間。
タンザニアでの仕事が終わると、いつも相方のいるウガンダまでボロッボロのバス(スパイダー)で、二つのボーダーを陸路で超え、40時間かけ、500キロを超える荷物を持っていく。
もちろん野ションは当たり前。
タンザニア人からの「お前のお尻白いんやな」のくだりはしょっちゅう。
長距離でバスの床は尿で水たまりになってることもあるし、そこに帽子を落とし、見捨てず被って帰ったこともある。
昼間の車内は、窓から差し込む日差しと、効かないエアコンでサウナ状態、私は半裸状態。
キリマンジャロが見え、タンザニア・ケニアボーダーに着く頃には、隙間風で寒さに凍えそうなので半裸終了。
何よりもシートのスプリングがお尻に突き刺さり続ける。
ボーダーではお決まりの、税金のぼったくりとの戦いは割と壮絶。
そして一段落した頃には、ゴキブリの小さいのが大量に体を這う、そしてたまに噛まれる。
アフリカ内輸送だけでも、色々苦労はあるけど人間って怖いことに慣れる。ので、もちろん最初はお金がなくてやった当然の苦労。でも、利益が出だしてもスパイダー輸送はやめなかった笑
EMSで始めた国際輸送も、エアカーゴになり、海上コンテナへ。初めて40フィートのコンテナをフルにした時は、涙が出た・・・。
African Handsは本気で愛する。
帰国後、その絵にきちんと合うように、一つ一つ丁寧に額とマットを選び、額屋さんも丁寧にこだわって作ってくれた。
Africanhandsのティンガティンガの額は、ひとりの73歳の額職人がこだわって一つ一つ手作りしています。
「癌なんです」と告白され涙し、
検査だという日、私は打合せを抜け涙声で電話した。
「どうでした?」「9年前からや!歳やから進行せんの」
それはよ言わんかい!#africanhands#tingatinga pic.twitter.com/G6BmwmFbH1
— Izumi Tone🇹🇿11.29〜wiki3 (@AfricanHands_JP) September 26, 2019
それが名古屋三越栄店のグランドフロアでウッドパネルに飾らた時は、心が震えた。
これまで、オンラインショップを持たなかったのは、何百枚と買い付ける大量の絵のひとつひとつに思い入れがあり、お客様に自分の口でそれを伝えたかったから。
売れた絵を梱包するときは、毎回、娘を嫁に出す気分だった。
時代に背いたやり方やったけど、リピーターは確実についていたし、いつも気づけば、在庫がなくなっていた。
African Handsは本気で行動する。
創業から7年の間に経験したこと。
- スワヒリ語の勉強
- 現地でホームステイ
- ティンガティンガアート、弟子入り
- ティンガティンガオフィシャルショップのサティフィケート取得
- インポート
- 500種類を超える雑貨の個人通関
- 百貨店ビジネス参入
- アーティストを招聘し、百貨店でライブアート
- アーティストが自宅滞在
- タンザニアツアー
- 2度の出産
こう書き出してみると、色んな経験したのも、売上も怖いくらい右肩上がりだったのも、最初の4年間でした。
アフリカ雑貨ビジネスのバブルを先取りし、百貨店の富裕層のお客様が飽きるまで売りまくった4年。
いつまでも売れると思っていました・・・。
もう一回言います!
African Handsは正直である。
実際、子供が2人でき、ポップアップで回る販売回数を減らし、ゆっくりでいい!と怠けてた。
そ〜、新しいことしなくなったアフリカンハンズは完全、自業自得の“暗黒時代ナウ”です。
仕事<子育て こんな公式が当たり前になっていました。
でも前回、2019年2月にタンザニアで、優秀で、そして頑張っている素敵な日本人たちに出会ったことで、色々刺激をもらい、再起をかけよう!と思ったんです。
もう偶然のバブルはこない!
もう先取りもない!
若手たちがどんどんアフリカに進出し、すでに時代に置いてかれてる気さえする・・・。
私は、初心に戻って、ティンガティンガを見て「あっ!ティンガティンガや」っていう人が一人でも増えるように、そして、目の肥えている日本人に、「素敵!おしゃれ!かわいい!欲しい!」と思ってもらえる商品をどんどん発信しながら作っていきたいと思う。
同じように、アフリカンハンズとともに頑張ってくれる現地の人たちの生活が少しでも豊かになったらいいと思う。
やっぱり、アフリカが好きやねん。
現地では、とにかく、何もスムーズにはいかないけど、アフリカにいるとムッチャ面白い事しか起らない。
色々思い返しても、いちいち面白いと思えるから、よっぽどアフリカが好きなんやと思う。
アフリカ人の誇りとセンスを、絶対に高級路線に乗せる!
再びやる気に満ちています。
IzumiTone Twitter →
https://twitter.com/AfricanHands_JP
AfricanHands Web→
http://africanhands.net