南アフリカ共和国に1年間留学していた谷野理星さんの留学エッセイ。日本人だからこそ感じた様々な課題、葛藤に真摯に向き合い、彼女が出した答えとは。
この記事の目次
「自分を非植民地化?」南アフリカが私に教えてくれたこと。
「南アフリカに留学したい!」約1年前にそう言って親を泣かせてしまったのを覚えています。南アフリカ共和国というと、アフリカで一番経済開発が進んでいると言われていますが、その分国内の格差が大きく、故に治安もかなり悪いとも言われています。そんなところに女子1人で1年間行くなんて。最初は拒否反応を示してしていた両親でしたが、大きな不安よりも私の夢を優先して最終的に行かせてくれたことは、今でも感謝しています。
南アフリカに惹かれトリコになるまで。
私は、海外大に一年交換留学できる大学のプログラムを利用して渡航しました。大学で文化人類学と開発学を勉強していたので、これらの分野の研究が進んでいるオーストラリア、カナダ、イギリスにある大学を候補として考えていました。
しかし、私は学問を極めるだけではなく、研究されている地域に実際に身を置き、そして現地の人と共に学ぶことで、初めて見えることがあるのではないか、と思っていました。そこで実践活動の多いアジアに絞って大学探しをしていたのですが、もっと探してみると、なんと南アフリカにも行けることが発覚しました。
「え!?南アフリカ?」と最初は思ったのですが、社会背景や人種の多様性など、私が知りたかったことが詰まっている場所じゃないか!と思い、ここに行きたいと思うようになりました。アフリカ全土から生徒が集まるケープタウン大学で勉強できることも、新たな価値観に触れられる絶好の機会だと思いました。とは言っても、最終的には直感で決めました。未知の世界すぎてイメージできないことが多く、行って見なきゃ分からない!と思ったんです。
南アフリカに到着したのは現地の冬で、かなり肌寒い風がビュンビュン吹いていました。しかし私は寒さなんて気にならないほどワクワクしていました。学校が始まる前には、少し街を見て回り、ケープタウンの持つ色々な顔を楽しんでいました。
街を囲む豊かな自然は、その中でも息をのむほど魅力的でした。朝どんなに早くても寒くても、部屋の扉から出るとすぐに目に入る山々を見るだけでアドレナリンが出て、1日頑張ろう!と気合が入りました。特に、初めてのハイキングで、ケープタウンの三大山の一つであるライオンズヘットという山に登ったのですが、頂上から見たサンセットの景色は一生忘れられません。太陽の光が反射する雲が果てしなく広がっていて、故郷から遠く離れた地で一歩踏み出した私を、壮大に迎えてくれているように思えました。
これは私が南アフリカでの出会いと学びを通していかに自分を「非植民地化」し、新しい道を切り開いていったのか、というストーリーです。
ケープタウンの美しさとは裏腹に、やはり南アフリカが抱える様々な問題から目をそらすことはできませんでした。生活していくうちに、どれだけ格差が思っていたより深く社会に埋め込まれているのかが分かってきました。
南アでは、植民地化やアパルトヘイト政策によって白人と非白人の間に階級が作られ、肌の色によって与えられる富の量にかなり大きな差が出ていました。26年前に白人政府が崩れやっと民主主義が始まったのですが、未だに格差は目に見える形で残っています。
アパルトヘイト政府によって強制的に移住させられた非白人たちは、インフラの整っていないタウンシップに住み続けています。そこでは家族全員が、一つの部屋がそのまま家になったような場所に暮らし、水道は近所の住人20人くらいと共同で使い、質の良い医療や教育を受けられない状況となっています。
私は「歴史」としてアパルトヘイトのことをたくさん聞いたり、本で読んだりしていましたが、実際は「過去に起きたこと」などでは全くありませんでした。
私が、あるタウンシップ「イミザモイエトゥ(「もがき」という意味)」を訪れた時、案内してくれた方にこの理不尽な社会に対してどう思って日々暮らしてるのか聞いて見ました。すると、
「これが現実だよ。受け入れて前に進むしかないさ。」
と、反対側のエリアを眺めながら言っていました。そこには、タウンシップとは比べものにならないほどの豪邸と、整備されたインフラに囲まれた暮らしがありました。少しずつ良くなっている部分もありますが、すぐ近くに住んでいるはずなのに、肌の色が違うと生活も全然違う、というのが南アフリカの現状でした。
さらに私は、人種による格差問題だけでなく、キャンパス内外で起きる様々な問題を目の当たりにしていました。他のアフリカ諸国民を敵対視したゼノフォビアアタック、性別や人種の弱みを利用した性的暴力、理不尽な労働条件に反対した黒人労働者のストライキ、などが次々と起こりましたが、それぞれに一つの原因があるのではなく、国が抱える様々な問題が絡み合って発生している状況でした。私はその背景の複雑さに圧倒されていました。
そんな時、ケープタウン大学のHumanities(人文科学部)で学ぶことができたおかげで、南アフリカの政治や社会背景理解を深めることができ、少しずつ身の回りで起きていることの本質がつかめてきました。それぞれの問題には特有の原因があるのは確かだけど、その根本はいつも植民地化とアパルトヘイト政策がもたらした社会の歪みに起因しているのだ、ということを学んでいきました。
私も含め、Humanitiesで学んでいる学生として、国をいろんな側面で非植民地化するにはどうしたらよいか、を探求するのは私たちの興味でもあり、義務でもありました。
ある授業では、肌の色が違う生徒がそれぞれの経験に基づいて、南ア社会の問題に意見する、という血の通った議論が繰り広げられていました。意見が衝突することで教室に緊張感が漂うこともありましたが、居心地が悪ければ悪くなってしまうほど、より解決に近いリアルな議論になっている実感がありました。また、どんなにヒートアップしても、みんな異なった意見を持つ人を尊重し、また、大学でこのような議論を交わすことができる環境自体に感謝していました。
しかし、人種に関わる問題に触れていくにつれ、私は自分の立ち位置を探すのに苦労しているのに気がつきました。
議論の中心はほとんどが、「人種による経験の違い」だったので、南アの人種区分[白人、黒人、カラード、インディアン]のどれかとして南アで暮らしたことのない私は、どのようにこの話題に関わっていいのか分かりませんでした。完全な第三者として、このデリケートな話題に首を突っ込む資格はないんじゃないか、そう思うととても場違いに感じました。
仲良くなったアメリカ人留学生も差別をうけるなどの辛い経験をしていました。彼らは人種問題が蔓延している南アフリカに来たことで、自分の人種とそれ故の立場により敏感になっていました。
ある時、オランダ系の伝統ダンスをするパーティーに、アメリカ人の友達を誘って行ったら、私と彼女以外皆白人で、黒人の彼女はその居心地の悪さをトラウマに感じてしまったという出来事がありました。他にも小さな出来事が重なって、私は自分の無神経な行為で誰かを傷つけてはいけない、と些細なことも注意するようになりました。
こうして、人種に関する話題は身の回りで繰り広げられているのに、身をもってそれを経験していないというということが辛くなっていき、「なんでここに来たんだろう?」と自分に問いかけるようになりました。
モヤモヤが続いていたある日、仲良くしていたケニア人の友達とファーストサーズデイ(街のギャラリーを自由にまわって見れるアートのイベント)に行きました。その時自分が悩んでいたことについて意見を聞いてみると、彼女がこんなことを言いました。
「周りの人達は私に、『なんで君がファーストサーズデイにいるの?アートを楽しむのは白人がすることなのに。』って言うかもしれない。また別の人達は、私が南アフリカ出身じゃないって分かった瞬間『劣ってる』って見下すかもしれない。
でもこんなのは全部人の価値観でしかないんだよ。周りの人がこう言うかもしれない、っていう恐怖は、自分の好きなことやって、ありのままでいることを諦める理由にはならないんだよ。」
と。日々見た目や出身地でジャッジされてしまう彼女が、こんなにも自分を強く持ち、自分に正直に生きている。それがただただ頼もしく、自分を見失いかけていた私に、大きな勇気を与えてくれました。
彼女以外にも、授業やサークル、学外の活動などいろんなコミュニティで出会った仲間もまた、自分に自信をもって、やりたいことに純粋に精を注いでいて、刺激を受けました。それでいて常にオープンで、留学生であった私とも、よそ者でもゲストでもなく同じ学生として接してくれました。
みんなと過ごしているうちに、私は私のままでいいんだ、と思えるようになってきました。「日本人でありながら、アメリカのプログラムに属し、南アフリカの大学に通っている」そんな自分をそのまま受け入れればいいじゃん、と。
また私は、授業で学んだ非植民地化の考え方を自分に適応させることで、個人として成長できました。
「人種、階級、ジェンダー」という社会学のコースでは、インターセクショナリティという概念を使って、南アフリカ社会から取り残されている人の立場を理解する、ということを学びました。インターセクショナリティは、一個人がいかに「貧乏か裕福か」などの一つの側面では判断できず、(人種、ジェンダー、障害、国籍、年齢などの)いくつかの不利な側面が絡まった立場に置かれているか、ということを証明してくれます。
このコースでは、「人種」と「ジェンダー」の両方で不利な立場にある黒人女性が、どう非植民地化運動から除外されているか、ということを主に学びました。
私は黒人女性ではありませんが、コンプレックスをいくつか持つという点において重なる部分がありました。例えば、完璧に英語が話せないことや、南アのどの人種区分にも当てはまらないこと、また他の人と違う体の特徴を持つこと、など挙げるとたくさん出てきます。
このインターセクショナリティという概念は私の視野を広げ、自分が無意識にハマろうとしていた型を壊してくれました。物理的に何かが変わったというわけではありませんが、「〇〇だからこういう人物にならなければいけない」という考えから解放され、自分のどの側面も受け入れられるようになりました。
私のお気に入りだったシアター・パフォーマンスの授業も、ダンス好きの私にとって大切なことを教えてくれました。「南アフリカのパフォーマンスの系譜」というコースでは、いかに南アの演劇やダンスなどのパフォーマンスに多様性が詰まっていて、〇〇ダンスという枠に収まらないユニークさを持つのか、ということを学びました。
演劇やダンスは、社会問題に対して人々に強いメッセージを届ける力があるため、南アフリカでは非植民地化においてかなり重要な役目を果たしています。近代の演出家や振付家は、11個の公用語に代表される南ア文化の多様性を最大限に活かして、クリエイティブな作品を作り続けています。
私はダンス公演を観に行く機会が多かったのですが、振り付けや構成、シーンの変化も含めた演出一つ一つが、既存のテンプレートにほぼ乗っ取ることなく独自のものでした。例えば、舞台構成でよく使われる、「直線や丸、左右対称」などの綺麗で整った構成はほとんど目にしませんでした。
無秩序だけど、美しい。
そう思いました。このアーティストたちの創造性は、私が気づかぬうちに自分に落とし込んでいた踊り方や作品の作り方の「普通」を見直すきっかけとなりました。南アのアーティスト達は、社会が構築した理不尽なルールから脱却して、自分らしく生きることを人々に伝えていました。しかし、彼らは私にも、居場所は「探す」ものじゃない、自分が「居場所になる」ものなんだ、という、大事なレッスンを教えてくれました。
その後あった学外のダンスグループの発表会では、この感覚に浸りながら踊ることができ、とても気持ちよかったのを覚えています。
このように、自他共に愛する人々と出会い、自分の生き方にインターセクショナリティという概念を重ねて考え、踊り方にも独自の多様性を見出すことで、新しい自分を発見することができました。
この国の非植民地化運動は南アフリカの未来のためにあるのだと思っていました。しかしそこには人生のヒントがたくさん詰まっており、一人の人間として私を成長させてくれました。
このストーリーは、あくまでもケープタウンで過ごした日々のほんの一部でしかありません。ケープタウンでの出会いや経験を通して得たことを話すとキリがなくなってしまうほどたくさんあります。
私の1年の交換留学は、コロナパンデミックによって完全に果たされることはありませんでしたが、それがまたすぐにケープタウンに戻る言い訳になればいいな、と思っています。
そのくらい、今、南アフリカ、ケープタウンは私にとって大切な場所です。