初めまして!藤本安之です。
小学1年生からサッカーを始め、人生の大半をサッカーと共に生きてきた僕がなぜアフリカに行こうと思ったか。
アフリカで何を経験し、何を感じたのかを感じたままに書き綴っていきたいと思います。
この記事の目次
幾度の挫折からオーストラリア→アフリカへ
小学校、中学校と地元である大阪府岸和田市のサッカーチームで過ごし、高校からはセレッソ大阪U-18へ。ここで一つ目の大きい壁にぶち当たる。
その後、大阪産業大学に進学し体育会サッカー部へ。ここでも試合に出れない、怪我をするという壁に。
不完全燃焼の気持ちが嫌だったため、まわりは就活している中サッカーへの情熱を捨てきれず、選考会を受け卒業後は声をかけてもらえた福島ユナイテッドFCへ。
しかし、社会人となった1年目から解雇という現実を知る。実力の世界で生きているので仕方ないが切なく儚い時でした。
翌年度には三重県にあるFC鈴鹿ランポーレ(現:鈴鹿アンリミテッドFC)へ。
チームとして個人として昇格という目標を掲げるものの、達成できず自分自身の不甲斐なさを感じる。
翌年には新しい挑戦をしたいと思い、活動の拠点をオーストラリアのブリスベンへ移し5年間をサッカー選手として過ごしました。
その後、再度新しい挑戦、刺激が欲しく未開の地でもあるアフリカの地へ。
ジンバブエでサッカー選手に
ひとことで言うと、「縁」です。
ジンバブへ行く前には違う国への話がありましたが、様々な事情もあり話が流れました。
ジンバブエではチームを紹介してもらえそうという話を貰い「それは面白そう!行くしかない!」という流れです。
正直、オーストラリア生活を順風満帆に過ごしていたので、挑戦することは悩みました。
最終的には、5年という年月を過ごしたオーストラリアでは味わうことが出来ない、新しい経験、刺激を味わいたくアフリカ挑戦を決意しました。
ジンバブエの豪華すぎる選手生活
現地へ渡航後、練習参加をしましたが、そのチームのオーナーがホテルを経営していたため、参加させてもらっている間はホテル泊をさせてもらっていました。
いざ用意されたホテルへ行くとそこはVIPルーム!!
部屋の中には、
- 冷蔵庫
- 電子レンジ
- ケトル
- 大きめのソファ
- ダブルベッド
想像していたアフリカ生活とは真逆の生活です。
極めつけは湯船もあり、週に5日は湯船でリフレッシュできる環境と素晴らしい状態サッカーが出来る喜びに浸っていました。
食事に関しても部屋にまで届けてくれるし、現地食であるサザ(とうもろこしを練ったもの)より米が食べたいとシェフに要望を出せば通るぐらいの待遇をしてもらいました。
敷地内にはグラウンドもあり、部屋から徒歩30秒で練習に行けます。
サッカージンバブエ代表チームも宿泊するようなホテルで良いホテルであることは間違いないです。
「それ使っちゃうの!?」衝撃の練習環境
日本とは違い芝生が整っているわけではありません。
- 芝生が長い
- 芝生の下の土は雨でぐしょぐしょ
- 翌日にはかんかん照りの太陽で固められカチカチに。もうただのコンクリート
- グラウンドの横は森のためボールが飛んでいくと取りに行くことも大変
一番の驚きは、飲水の時間になったときに水の入れ物をみると10リットルぐらいのタンクにどこかから入れてきた水です。
コップもなくどうやって飲むのか見ていると、みんなが手にしたものはコーン。
さっきまでグラウンドに置いていたコーンをコップがわりに。
コーンを取れなかった選手はマーカーを手にしています。
穴が空いているマーカーをどのように使うか見ていると、器用に掌で塞いでいます。そのまま口に持っていき力士スタイルで飲みます。
日本のようにボトルがない世界なので仕方ありませんが、マーカーには驚ました。
日本やオーストラリアの整った場所でサッカーをしてきた自分には厳しい練習環境ではありました。
ただ、そのような環境でも楽しそうにやっている現地出身選手を見ていると環境だけが全てではない、ボールが蹴れればいいのではないかと認識しました。
ホテルの外は命がけのアドベンチャー
ホテルでの生活は実に快適ではあるのですが、近くのスーパーまでは正規の道を通ると徒歩1時間ほどかかかるため、裏道を通ることになります。
チームメイトに連れて行ってもらった初回に衝撃を受けました。
敷地を出て1つ目の難所が、肩ぐらいまで育った草をかき分け進んでいくのですが、気持ちは実写版トトロです。
そこを抜けた先に待っていたものが長さ3mほどの川です。
チームメイトからは「おい、ヤス!ここからは川だから気をつけろ」と言われ川を見てみると・・・。
色がダークグレー!!!
落ちたら病気になりそうという不安を抱きつつ橋を見ると、横幅15cm、分厚さ4cmほどの木の板が置いてあるだけ。
チームメイトがBridgeと言っていましたが、ただの木の板です。
と言っても、みんなからは
の一言で終わります。
危ないから先に渡れと言ってもっらたため「ええ奴やな」と思い渡っていると後ろから揺らしてきます。
落ちそうになることと橋が壊れないか心配になりつつも、「ええ奴」と思った気持ちを返してくれと思いつつ渡りきりました。
その後はスラム街の端にあるスーパーまでたどり着いたものの、日本人が珍しいのか客が全員ガン見して絡んできますが、現地語であるショナ語がほとんどなので聞き取れません。
冒険をしてまで行ったスーパーで買ったバナナは格別でした。
毎日を精一杯生きる。
ホテル等はいい環境にあるが、それ以外の面では日本に比べると正直進んでいないと感じる場が多くありました。
ですが、その環境下でも現地の人は楽しくやっていました。
そのような光景を見ると、進んでいるだけが全てではない。整っているだけが全てではないのではないかと感じることが出来ました。
毎日を精一杯生きる。
どのような環境下でも楽しいことを見つけるだけで生活が豊かになるのではないかと再認識させられたアフリカ滞在でした。