学生の頃から興味のない科目は全く勉強しなかった。国語や社会は特に興味がなく嫌いだった。
日本語は喋れるから問題ない。ただ覚えるだけのように思えた社会科目にはうんざりしていた。歴史なんて知らなくても仕事はできるし、政治は興味ある人が率先してやってくれたらそれでいい。地理は行けば覚える。
いつもそんな理由をつけて、興味が出ない自分に大丈夫だと言い聞かせていた。
この話は「アフリカ」と聞いてもそれが世界のどこにあるのかわからず、さらにはそれが国名なのか?とバカなことを言ってしまうほど無知だった三十路過ぎの女が、アフリカに住むことになったという奇跡的な軌跡である。
小越みずゑ(コゴシミズエ)現在37歳。
私がアフリカと出会ったのは結婚した翌年2013年、32歳の時だった。
福岡で高校卒業後、大学で上京。建築学科を卒業し、そのまま建材メーカーの商品開発者として就職。3年半、東京という大都会でOL、というよりはサラリーマンとして朝から終電まで働いた。
「仕事は趣味のためのお金を稼ぐ手段」だと割り切り、金曜の定時退社に向けて木曜は終電まで働いた。休日出勤なんぞ言語道断。金曜は定時のチャイムと共に会社を去り、翌週の多忙に備え家事洗濯を済ませ、寝れる状態で車で北上。
死ぬほど好きなスノーボードのためである。
毎週のように借家のあった埼玉から新潟の魚沼まで車を走らせ、土日を満喫した。日曜の帰りは渋滞を避け、夜遅くに帰宅。もちろんお金をセーブするために高速は峠部分だけ乗って、あとは基本下道。
収入のほとんどはスノーボードのために消えていった。夏も山梨の室内ハーフパイプ場に通い、スノーボード。何かに取りつかれたかのようにスノーボードをしていた。とにかくスノーボードが自分の人生だと思い込んでいた。
もっと雪に近いところで暮らしたい。
自然とそう思うようになり、転職し北海道札幌に移住。スキー場まで車で30分、職場まで電車で10分。今までの東京生活は何だったんだ?と思うほどのパラダイスだった。
いい雪が降れば夜明け前からスキー場を歩いて登り、ひと滑りしてからの出社。リアル朝飯前スノーボードである。北海道では夏も山で楽しんだ。毎週のようにどこか山に登りに行った。
一緒に山を登るパートナーと出会い、その人がそのうち旦那になった。結婚式を終え、落ち着いたころに新婚旅行に行くことになった。
行先は・・・
タンザニア。キリマンジャロ登山が目的だ。
なぜキリマンジャロなのか?ただ単に「大陸最高峰」という言葉とあまり人が行く場所ではないということに魅了されただけだった。
途上国支援ってなに?アフリカ・・・って国名?
当時の私は、アフリカどころか途上国にも無知だった。キリマンジャロがアフリカにあるのは知っていたが、アフリカが大陸の名前だということは熟知できていなかった。
初めてのアフリカ。
登山、サファリ、ザンジバル。タンザニアのいいトコどり。
風景・自然・動物・人、見るもの全てがカオスで、刺激的で、面白く感じ、ワクワクした。
すっかりアフリカの、いや、タンザニアの虜になってしまった。
帰国後はすぐタンザニアショックに陥った。それまでアメリカやイギリスなど先進国と呼ばれる国には多く出向いていたものの、途上国はタンザニアが初めてだった。だから余計にタンザニアと日本との違いに疑問を抱いた。
同じ地球上にある場所なのに、どうしてあんなに違うのだろうか。
不思議で仕方なかった。一度興味が沸くと、とことん知りたくなる。普段絶対読まない本を読み漁り、アフリカに関する講演にも出向いた。インターネットを開けば常に「アフリカ」や「タンザニア」と検索をかけた。旦那も驚くほどだった。
調べていくうちに「青年海外協力隊」という存在を知ることになる。
興味のないことにはとてつもなく疎かった私は、協力隊という言葉すら聞いたことはあるような気がするが、どういうものなのかは一切知らなかった。
当時32歳。
協力隊としてタンザニアに住む、という夢が一瞬頭をよぎった。そんなことが許されるわけがないと思っていた。しかし。旦那に協力隊のことを話してみると、意外な反応。「応募してみたら?」と‥その返事に唖然としながら、応募に向けて仕事が終われば図書館や公共自習室などに向かいTOEICや途上国支援の勉強に励んだ。
「タンザニアに住んでみたい」その一心だった。
協力隊の試験はトントン拍子に進み、合格。それなりに自信はあった。
サラリーマンとして10年間働き続け、趣味の登山やスノーボードのおかげで体力もあるし、少ない物で生きるすべはなんとなく知っている。子供のころから大きな病気をしたこともなく、健康診断は常にオールA。我ながら協力隊としてふさわしい人材だと自負していたので、合格は腑に落ちるものだった。
Web上での結果発表の翌日、家に任国や配属先の知らせが届く。
ドキドキしながら仕事から家に戻り、封を切る。
今でもその瞬間はスローモーションで思い出せる。
あの紙を開く瞬間。
「赴任先 タンザニア キリマンジャロ州 モシ」
目を見開いてなんども読み返した。間違いなくそこには一度行ったキリマンジャロの麓の町である「モシ」という名前が書かれていた。
キリマンジャロの山に呼ばれている気がした。
一瞬ゾクッとし、気持ち悪い感覚もあった。
でも山好きがきっかけでタンザニアに行き、その大好きな山から呼ばれて戻れるということは、なんというご縁なのだろうと、冷静に受け止めた。
新婚旅行にいったのが7月、そしてその翌年2月には協力隊としてタンザニアに行くことが決まった。
アフリカもタンザニアもよくわかっていなかった三十路過ぎの女は、こうしてタンザニアのキリマンジャロの麓の町に住むことになったのである。
続く…
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