こんにちは!東京農工大学大学院の小野綾香と申します。
今回は、研究室三昧のリケジョ院生(私)が初アフリカで人生が狂い…いや、爆速で動き出した話の第二弾!
ということで、ケニア2都市での全く異なるホームステイ体験記をお話ししていこうと思います。
第一弾ルワンダでの海外インターン編はこちら
実は、ケニアでの体験談は、帰国してからまだ誰にもきちんと話していないので、日本初公開です(笑)
さて前回は、アフリカIT立国を目指すルワンダでの海外インターンでの挫折経験によって、
「“リアルな”アフリカを知りたいという気持ちが膨れ上がってきたルワンダ最終日」
で話が終わっていました。
この記事の目次
第2章 ケニア編 スタート!!!
0.そもそもなぜケニアにきたのか
「アフリカに行ってみたい!」という人に例外なく当てはまる課題、、、。
それは、
「どの国に行ったらええんや、、、」
だと思います。
私もその1人でした。事の始まりは、ルワンダへの渡航の1ヶ月ほど前。
私は、ルワンダ行きを決めたとほぼ同時に、『せっかくアフリカに来るんだから、自由に多くの経験をできる限りたくさんやろう!』と思っていました。
特に妙案の思いつかなかった私にできたことは、日程が決まっているルワンダでの海外インターン後に1週間の自由時間をプラスして、復路の航空券を取ることだけでした。
ルワンダの2週間の滞在は首都キガリ周辺なので、残りの1週間はルワンダの地方都市への自由な旅にしようと考えていました。
どこに行こうか、ゆる〜くリサーチをしていたときです。
私の大学唯一(?)のアフリカ人の准教授の先生(ガーナ)に話を持ち掛けてみました。
とってもいい子で紹介できるけど、ケニアはどう??
突然“ケニア”という地名が浮上し調べてみると、なにやら”東アフリカVISAを取得するとお得に東アフリカ3カ国(ルワンダ・ウガンダ・ケニア)を回れる”ということを知りました。
そして、今まで出会った誰よりも陽気なそのガーナ人准教授のノリに乗って、ケニア行きを決めてしまいました。笑
そして、モンバサに住むというその留学生の彼女から、ナイロビに住む親友の女性(Linet)と弟くん(Naftali)まで紹介してもらえることになりました。笑
直前にそんな話が生まれたので、急いでルワンダからケニア行きの飛行機を予約し、あまり下調べせずとりあえず行く準備だけを行いました。
数日後、pick upの時間などの連絡しているとき、
(心の声:ウフフじゃないわ!!!そんな持てるかい!!)
なーんてことも起こりつつ…
まあ、その代わり空港までの送り迎えやホームステイ先の心配は一ミリもなくなったので、「ま、いっか!」と開き直り、東アフリカのハブ地と言われるケニアへの渡航はノリとご縁で決まったのでした。
1.なんでも飛び込んで経験した首都ナイロビでの挑戦
さてさて、Startup Africa in ルワンダ(詳細は前回記事を参照)も終わり、いよいよひとり旅スタート。
ルワンダのキガリからケニアのナイロビまで、Kenya Airwaysで3時間程度のフライト。ナイロビ空港から、ケニアの地に足を踏み入れました!
出口にいるタクシーのキャッチのおじちゃんの営業をうまくかわし、
「Hi Ayaka~~~!!」陽気なNaftali(弟)くんと合流。
荷物(バックパック、スーツケース計20kg超え)を全部持ってくれるというなんともジェントルマンの彼(22歳)。Linet(姉)とNaftaliは2人ともKAWANGWARE(カワングァーレ)村という村で近くに住んでるというので、向かうことに。
”Local bus? or taxi?”と聞かれ、やっと、生のアフリカを体験できるチャンスに迷わず『LOCAL BUS!!』と回答。空港から少し離れたバス乗り場へ向かいました。
↑荷物を持ってくれるNaftaliくん。スーツケースの中身は全部頼まれた衣類です笑
そのマイクロバスは、現地では“マタツ”と呼ばれています。電車が発達していないケニアでは、地方都市から首都ナイロビへの交通手段として、地元民の足としてめちゃくちゃ頻繁に使われているよう。車内に料金表もないし、行き先や停留所を表す電光掲示板がないのは、途上国あるあるとして、途上国の多い東南アジアのバスと違うのは、
バス停がない! ドア開けたまま動く! バスガイドの人、バスの壁をバンバン叩いてお客を呼ぶ!
ことでした。
ケニアのバス事情が面白すぎるので、かばん持ちと降車場所の案内はNaftaliくんに一任して(笑)、私は隣の席になったスレンダーのお姉さんと、ちょっとチャラそうなガイドお兄さんと話すことができました。
インターンシップのためにナイロビまで通っているというスレンダーお姉さんから、ナイロビの話を聞くと、
- インターンシップ経験はナイロビにしか機会がない
- バスの窓から見える多くの物売りの人々も、ナイロビに仕事を求めてきたもののスキルのなさが原因で仕事につけず物売りとして生きるしかない
- 途中の工事中区間は粉塵がものすごく、みんなハンカチで口を塞ぐ(実際にみんなやってました)
というケニアのリアルな姿を教えてもらいました。数時間前まで綺麗な街並みだったルワンダとの違いを目と耳と鼻と口で体感することができたのでした。
↑空港から市内に向かうローカルバス
行き先が単なる数字のみで表示されている(行き先の数字を知ってないとバスが分からない)ド派手なマタツを乗り継いでたどり着いたKAWANGWARE(カワングァーレ)村。
2日間泊まらせてもらうLinetの部屋に着いたのはすでに17時過ぎでした。13時にナイロビ空港到着したのに、、、なにはともあれ、暗くなる前に少しでも早速村の様子を知ろうと2人に付いてきてもらい、街中探検に出かけました。
道路整備されておらず粉塵立ち込める、カワングァーレ村の印象は、正直に“The途上国”のイメージ。
個人経営の屋台が道の両端に並び、ヤギや鶏がそこらへんを闊歩する。でも、アジアと違うのは、街中にやたらたくさんの「m-pesa」と「saloon」の文字。
ここではあまり詳しく触れませんが、「m-pesa」は途上国fintechの代表例として知られる、送金システム。個人が銀行口座を持てない代わりに、Line-payのような仕組みが利用されています。
さらに、美容室である「saloon」は、ドレッドを結い直したり髪を洗ってもらったりに使います。ケニアの女性では収入の1割を美容代に使うのだとか。
↑カワングァーレ村
↑ホームステイ先
道端を観察しながら歩いていると、トタン板で出来た小学校(VICTORIOUS JUNIOR’S CENTRE SCHOOL)を発見。
中に入って校長先生を呼び出し、
ケニアの子供達や教育について興味があるので、ぜひ授業に参加させてほしい。
やらせてもらえるなら、授業もやります!
一緒についてきてくれた2人が現地ケニア人だったことが、おそらく校長先生の大きな安心材料となり、少し話してすぐにOKの返事をもらえました。
middleクラス(10歳前後)のクラス担任の先生を紹介され、算数の授業を朝10時から1コマ分行うことが決まりました。家に帰ってLinetの手料理を食べ、トイレとシャワールームが一体化された空間で久々の途上国感に戸惑いながら汗を流し、ようやく授業の準備を始めました。
ちらっと見せてもらった教科書を参考にしようとしましたが、せっかくならケニアにはない勉強の方法を伝えることにしました。すでに体力はクタクタでしたが、ワクワク感が抑えられず眠りについたのは0時をとうに超えた頃でした。
そして約束の朝10時。
middleクラスのケニア人の子供達18人に自己紹介をし、授業を始めました。10歳のケニア人の子供達のレベルなんてわからなかったので、用意したのは「100マス計算」。ただ時間と説明の都合上、実際には5×5の25マス計算を行いました。笑
驚いたのは、ケニアの教育のレベルの高さで、地方都市のローカル小学校ではあったにもかかわらず、計算が得意な子は日本人並みのスピードと高い正答率でした。
一方で、消しゴムや鉛筆を全員が1個ずつ持っているわけではなく、隣の人に借りなくてはならない子も多く、教育を受ける環境は日本とは大きく異なっていました。
授業の最後に、私から8つの質問をしました。内容としては、好きな教科、嫌いな教科、将来の夢、お金持ちになったらどう使うか、などです。
好きな教科は、算数、国語(スワヒリ語)が85%、嫌いな教科は、科学、社会という回答が半数を超えていました。
これほど、偏った回答が得られたことに驚き、何か理由があるに違いないと考え、私なりに考察してみました。
「子供達の教科の好き嫌いは、"教え方"に起因しているのではないか。」算数や国語は、日頃よく使うので教科書の内容もしっかりしたものでしたが、科学や社会科は、日頃の生活にはない概念で、興味やイメージを膨らませる実験装置や地球儀などの物も、トタン板で囲まれただけの学校に設置されているはずもありません。
ケニアは、公立の小学校は無償で通えるなど、周辺アフリカ諸国に比べ教育制度が整っていると言われていますが、まだまだ身の回りの仕事と直接関連しない分野に対する教育は疎いのかもしれない、と感じました。
また、胸が苦しくなった質問について。
「お金持ちになったらなにをしたいか?」という問いに対し、大多数の子供が、
『I want to help the poor(or the needy).(貧しい人、助けが必要な人を助ける)』
と答えたこと。
自分も決して恵まれた境遇ではないのに、いやそうだからこそ、もっと困っている人の気持ちが分かり、助けたいと思うのかなと、感じました。
次の日は、ケニアNo1大学のナイロビ大学(http://www.uonbi.ac.ke )を訪問し、adminの方にインタビューしました。
ナイロビ大学のビジョンとして、World-top-classの大学にしていきたい、という強い思いを終始語られていました。ケニアの経済的な発展は、小学校や大学などの教育機関が先導して良い人材を育てているからかもしれません。
ケニアで河野ご夫妻との出会い
そして、ナイロビ最後の夜は、私が出国前からずっと楽しみにしていた日でした!ケニアの地で野菜の卸売り事業をされている、日本人の河野ご夫妻のお家にご招待していただき、ディナーをご一緒させて頂きました!
AmoebaX社(http://www.amoebax.com/ )を経営されている河野邦彦さんは、『ケニアの玉ねぎおじさん』として有名で、現在、ケニアのストリートベンダー向けの赤玉ねぎの卸売り販売「YasaFi」というサービスをされており、物凄い勢いで拡大しておられます。
私がアフリカについて興味を持ち始めた時に、河野さんのSNSを拝見し、twitter経由でご連絡して、実際に現地で会ってお話を伺う機会を設けて頂きました。
様々なコメントから伝わるその熱い起業家魂と周りの人を想う温かさに私自身心を動かされたので、みなさんも是非覗いてみてください!!(河野さんのtwitterはこちらhttps://twitter.com/KKawano5 )
お家に到着すると、奥さんである理恵さんが迎えてくださいました。少し話してすぐ、理恵さんの溢れ出るhappy感が体全身に伝わってきて、ナイロビの治安のためにずっとピリピリしていた私の心が癒されました。
理恵さんの、見知らぬ私を受け入れる心の広さ、邦彦さんだけでなく、インターンの学生(https://twitter.com/banzaimaasai )や他の社員の方も本当の家族のように接する優しさ、何より『旦那が困ったときは自分が養う!』という男らしさ(理恵さん、すみません笑)に惚れてしまい、生まれ変わったら理恵さんと結婚したい!と思ったほどです!笑 (理恵さんのtwitterはこちらhttps://twitter.com/KawanoYOME )
紹介しだすとキリがないのでこのくらいにしておきますが、何が言いたいかというと、【本当に会おうと思えば、意外と会える!】ということです。自分が刺激をもらえるすごい起業家の方に、ガンガンアタックすべきです。
『なぜ会いたいのか、会って何を知りたいのか』、連絡しようとするときに、自分の頭も整理されるのでちょうどいいです。断られるか、会ってもらえるかの判断は、相手にお任せしちゃえばいいんじゃないかなと思います!
↑ディナーの最後に玉ねぎポーズでパシャリ
2.快適すぎるインド洋沿岸都市モンバサでの生活
混沌としたナイロビから飛行機に乗って約1時間。次に向かったのは、アフリカ大陸の東側沿岸部のモンバサという街。
この街は、イスラムとキリスト教が共存しています。空港から一歩外に踏み出すと、ナイロビのカラッとした肌寒さからは一変、日本のそれに近い蒸し暑さが襲ってきました。
モンバサでのホームステイは、大学に留学に来ていた女の子、とその旦那さん&お父さんと一緒の家(マンション7F)でした。
その家は、モンバサの島の入江に位置し、ベランダに出ると穏やかな海と、緑が広がる対岸と、その上に透き通る空の蒼が一面に広がり、気持ちよすぎて思わずポーズを決めてしまいました。笑
モンバサとナイロビの都市間での教育事情に違いがあるのかと、モンバサでも小学校で先生をやらせてもらうことになりました。
モンバサでは、ホームステイ先の近くの“New Shamy School”という私立の小学校の校長先生が大歓迎で受け入れてくださり、2クラス(10歳前後のクラスと13歳前後のクラス)を担当することになりました。
まず、初めの教室を案内されてすぐに驚いたのは、やはりイスラムの街ということもあり、女の子がみんなイスラムの衣装である(ベール)を纏っているということでした。そして、その前の授業が理科であったことが、想起される人体の図が、黒板にとても上手く描かれており、この小学校のレベルの高さが思い知らされました。自らすすんで黒板を消してくれる生徒の存在に、なぜか一瞬で安心感を覚えたことを覚えています。
さて、授業の10歳前後のクラスの生徒からは年相応に、日本の歌をせがまれたのですが、13歳前後のクラスの生徒からは、日本人/中国人/韓国人の違いを尋ねられました。
この質問は、アフリカに行った人の中ではあるあるな質問のようですが(笑)、意外と自分も「あれ、何が違うんだっけ」と考えさせられました。
(今のところのベストアンサーは、「じゃあ逆に、ケニア人とタンザニア人の違いって何?まあ、そんな感じ!!」です。)
ともあれ、私がイスラムにほとんど初めて出会って関心を抱いたように、彼らにとっても日本人(中国人と勘違いされていても)と初めて近距離で触れ合うことで、“海外”に興味を抱いて、勉強するきっかけのほんの一部になれたらいいなあと、(偉そうに)思いました。
授業の後、みんな外に出てきてワイワイ写真を押しのけられながら撮ったり、逆立ち大会が突然始まったり(もちろん参加)、頭での思考が追いつかないことばかりでしたが、気がつくとずっと笑っていた気がします。
常に動き回っていたナイロビでの生活とは異なり、モンバサでは、ココナッツ割りや近くのビーチでのシュノーケリング体験をすることができ、この章のタイトルにあるように「快適すぎる」ゆったりとした時間を過ごすことができました。
3.ルワンダとケニアでの滞在を終えて芽生えた感情
長々と書いてきたので、かなり読むのに疲れてきた頃かと思いますが、もう少しだけお付き合いください!
3週間のルワンダとケニアも終わり、心に浮かんできたのは、
ビジネス立案で挫折した時の猛烈な悔しさ
ケニアでの飛び込み先生として挑戦した時の幸福感
そして私がどんな感情であっても常にゆったりとしたアフリカの時間の流れでした。
ありきたりな言葉かも知れませんが、実体験によって内から生まれてきたこれらの感覚こそ、日本で同じ経験をしても、おそらく目を留めることはなかった大きな糧ではないかと感じています。
アフリカだったから。
次の一瞬に起きる予想もできないカオスの環境だったから。
一つ一つの出来事に対して120%の意識で向き合えたのかなと思います。
↑渦潮=カオスのイメージ
日本に向かう帰りの飛行機で、すでに、
うおおおおおおおおおおおおおお!!!やるぞおおおおおおおおおお!!!
そんな感情がふつふつと、いや、お湯が沸騰するようにグツグツと生まれていました!笑
4.これからのアフリカとの関わり方
誇張ではなく、初めてアフリカに行って、人生の速度が爆速で進み始めた気がしています!
しかし、アフリカでの体験は、これまでの人生の速度v0に変化を持たせただけの加速度a0にすぎません。(理系っぽい感じも一応アピールしておきます)
その一度の加速度に甘んじて気を抜いていると、過ごしやすい日本では、またすぐに元の速度に戻ってしまいます。今回のチャンスを最大限活かすには、加速度を与えるようなアクションを常に取り続けていかなきゃいけないと思いました。
現在の私の目指す未来。
一緒におしりを叩いて進み続けてくれる車輪のパートナーや仲間が欲しい、できれば近くに。
そのような想いから、周りの一歩踏み出したい人に対して、カオスな環境での挑戦を応援し、(なんなら一緒に飛び込み、)そして一緒に走り続けられるコミュニティを作りたいと考えています!
と同時に、一度走り続けることに疲れて、車輪が止まったり迷ったりしてしまった時も、ちゃんと受け止められる、命綱にもなりたい。
この記事を読んでいるあなたも、きっと一歩踏み出す勇気が出なかったり、今の人生の速度をもっともっと上げたいと考えているんじゃないでしょうか。
そんなあなたにとって、少しでも後押しできるような体験記になればいいなと思い、二回にわたって拙いながらも記事を書かせて頂きました。
私自身も、なぜアフリカでこんなに勢いづくことができたのか、自分ができることはアフリカに本当にあるのか、未だよく分かっていません。
なので、それを確かめるために、次のアフリカ渡航をもう決めちゃいました!迷ったらやる!!
ここまで読んでいただいて本当にありがとうございます。
もし、少しでも何か動き出してみたい!と思って頂けたら、この上ない幸せです。ただ、実際に一歩踏み出すか、踏み出さないかは、自分自身でしか決められません。
何から始めていいのか分からず、迷子なのだとしたら。このページを閉じて、一歩目のアクションとして、まずルワンダかケニアへの航空券を調べてみることをお勧めします。次の話はそれからです。