アフリカの東に位置する小さな一国、ルワンダ。
「アフリカの奇跡」と呼ばれるほどの経済発展があり、IT立国でもある国だ。
そんなルワンダは過去に、「20世紀最大の悲劇」というジェノサイド(=大量殺戮)があった歴史を、皆さんは知っているだろうか?
まだ記憶に新しい人もいるかもしれない、1994年の出来事…。
フツ族とツチ族の民族紛争…???
ルワンダのジェノサイドは、一般的にはフツとツチの民族対立として知られている。
しかし、詳細に見ていくと一口に民族対立とはいえない。
ではそもそも、フツとツチはどういった民族なのかというと…。
人口の割合ではフツが80%強、ツチが10%強を占める
(ちょうど日本の東京以外(フツ)と東京(ツチ)の人口の割合と同じくらい)。
ルワンダがヨーロッパに植民地支配されていた1910年頃、ヨーロッパ人は両民族を下記のように考えていた。
フツ | 背が低く、鼻はぺちゃんこ ずんぐりとした体型 | ⇒ | 劣っている |
ツチ | 長身で高い鼻 やせ型 | ⇒ | 優れている |
…どうして、やせ型だと優秀なの…?
思わずつっこみたくなる考え方である。
しかし、旧約聖書を基にした人種思考をもっていた当時のヨーロッパ人からすると、ツチが優秀なのは当然だった。
とはいえ、フツとツチを見分ける際に、わざわざ鼻の高さを測っていた、であったり、牛の保有数で判断していた、という話があるように、実は見た目に大きな差はない。
(ないんかい!と、ここもつっこみたい)。
フツとツチの区別は、第一次世界大戦後のベルギーの植民地統制によって形作られた部分が大きく、ルワンダ人にとってはフツとツチの違いは社会的に大きな意味はなかったのだ。
ツチを優秀だと考えていたヨーロッパ人たちは、1900年頃からツチを優遇しながら植民地支配を進めた。
官僚への登用や教育面での優遇を通じてツチに政治的な特権を与えていくことで、フツとツチの間に社会的・経済的格差が生まれた。
そして、民族性が大きな意味を持つようになった。
ベルギーの支配がはじまった頃、ツチのことを「半神半人」と崇めている、というメッセージが次世代へと伝えられてきたとも言われている
(こういった言い伝えが後に響いてくることになる…)。
ところが1950年代になり、ヨーロッパに第二次世界大戦の疲弊がでてきたころ、ルワンダの植民地支配は崩壊し始める。
ツチとフツの立場逆転
1950年代、優秀で優遇されていたツチと、差別を受けていたフツの立場が逆転した(なんと!!)。
理由は様々考えられるが、大きく
- キリスト教の影響
- 第二次世界大戦後に起きた国際社会の在り方の変化
がある。
1.キリスト教の影響1950年代後半に、カトリック教会が中心となり、フツの下層階級に対して同情を寄せ始めた。理由は、
①キリストの山上の垂訓
②カトリック司祭が歴史的に虐げられてきた地方出身であった
③これまでの政策がやりすぎだったと考えた
などだと言われている。
2.第二次世界大戦後に起きた国際社会の在り方の変化
国際政治の中心がヨーロッパから米ソに移行し、新興独立国が次々に国連へ加盟していくと、「植民地統治体制の民主化や自治・独立に向けた準備を進めるべき!」との国際世論が高まった。
この影響により、フツの不満が表面化していった
(よく今まで不満を表面化しなかったね…)。
1や2により、だんだんとフツの人々に政府から権限が与えられ始める。
1959年の選挙でフツが議席の9割を獲得、植民地支配していたベルギーと国際連合はルワンダから立ち去った。
そして、フツが政治権力を独占することで、国内政治の主流派はツチ→フツへ。
最終的に、今度はフツに対して行政ポストや教育の優遇措置が行われ、それまでと反転した社会的地位が誕生したのであった。
フツが政権を握ってから
ここからは、ちょっと複雑だ(いや、今までも複雑で、かなりはしょって説明しただけだけど…)。
簡単に説明すると、
フツが政治のトップに立ってから、数年は安定していた。しかし、だんだん多党制の導入による影響をはじめ、政治的に混乱してきた。
一方で、1950年代からすでにツチを標的にした虐殺は始まっていて、1960年代半ばには20万人近くが難民となり隣国に逃げていた。
難民となっていたツチはだんだん、ルワンダで続く抑圧と彼らを受け入れている国での冷たい冷遇が嫌になり、RPFという名のチームを結成した。
政治を牛耳るフツ(つまりはルワンダ政府)はRPFだったり多党制だったりにより、権力喪失の危機感を抱き始めた。
1993年にルワンダ政府とRPFの間に和平合意は交わされたものの、緊張状態は高まっていくのであった…。
その後の話。
1994年のジェノサイド以前の出来事は、ざっとこのような形である。
(かなり簡潔に記しているため、精通している方からは「違う違う!」というご意見があるかもしれない… その時はこっそり教えて下さい)。
それでは、次の記事が1994年以降、特に激しくなったルワンダ・ジェノサイドの詳細である。
- 加藤佑太朗,2016,「なぜルワンダのジェノサイドは起きたのか――民衆の動員と参加から見た全体像の構築」『パブリック・ヒストリー』13: 110-29
- 武内進一,2004,「ルワンダにおける二つの紛争――ジェノサイドはいかに可能となったのか」『社會科學研究』55(5/6): 101-29
- 武内進一,2009,『現代アフリカの紛争と国家――ポストコロニアル家産制国家とルワンダ・ジェノサイド』明石書店
- Dallaire, Roméo, 2003, Shake Hands with the Devil: The Failure of Humanity in Rwanda, Random House Canada.(=2012,金田耕一訳,『なぜ,世界はルワンダを救えなかったのか――PKO司令官の手記』風行社)
- Rusesabagina, Paul and Zoellner, Tom, 2006, An Ordinary Man: An Autobiography, Viking Press.(=2009,堀川志野舞訳『ホテル・ルワンダの男』ヴィレッジブックス