無理やり連れて行かれた南アフリカでの高校生活が人生のターニングポイントになった話。

南アフリカにあるケープタウン大学でPhD留学をしている、Saoriと申します(@saori_chris_)。

 

ご縁あってALL ABOUT AFRICAさんのサイトに寄稿させてもらうことになりました。宜しくお願いいたします。

 

「なんでまた南アフリカ?」とよく聞かれるので、自己紹介がわりに私の南アフリカとの出会いについてお話したいと思います。

アフリカなんて本当は行きたくなかった

南アフリカ行きを知らされたのは、中学校3年生の時でした。父親の南アフリカへの出向が決まり、私も一緒について行くことになったのがきっかけです。

 

当時15歳。フリカと聞いて連想できたのは「サバンナ」「野生動物」「貧困」程度でした。

 

日本で普通に生活していた私は、突然のアフリカ移住にとても戸惑いました。

 

快適な日本での暮らしを諦め、なぜ「アフリカ」へ行かなければならないのか。

 

納得がいかず、よく両親に反発していました(両親は両親なりの考えがありました)。

南アフリカで女子高生

私は通っていた中高一貫校の高校進学を辞退し、中学卒業のタイミングで南アフリカ ダーバンにある現地私立高校へ編入しました。

 

いやいや連れていかれた南アフリカ。でも現地では思いがけない貴重な経験が待っていました。

 

人種の多様性に触れる。

高校のクラスメイトとの集合写真 。ちなみに私は1列目の左から2番目です。

 

南アフリカでは多様な人種が存在することから、「レインボーネーション」と呼ばれています。

 

私が通っていた高校では、生徒の半分がインド人、もう半分近くが白人、そして残りの少数が黒人やカラード(混血)、イスラム系、アジア系といった構成でした。

 

それぞれの文化を尊重する意識が高く、学校生活で特にそう感じたのが、体育のマラソンの授業がラマダンの時期と被ったときでした。イスラム教の生徒は日中は水も飲めないことから、授業の見学が許可されていました。

 

また、ヒンズー教のお祭りであるディワリ(Diwali)。インドでは祝日なのですが、南アフリカでは正式な祝日には制定されていません。しかし、学校では彼らの文化を尊重して、ヒンズー教の生徒のみ授業を休むことが認められていました。

 

こうした光景は、多様な人種が共存する南アフリカならではだと思います。

 

それまで日本で暮らしていた私にとっては、こうした文化や習慣に対してフレキシブルな様子がとても新鮮に感じました。

 

みんなちがって、みんないい。

インド人のグループに面倒を見てもらっていたので、友達の多くがインド人でした。

 

様々な人種・宗教が混ざり合う南アフリカでは、人それぞれ考える視点や価値観が異なります。

 

学校では「自分らしくいればいい」、「意見をはっきり伝える」ということを学びました。

 

日本で「人の目を気にして過ごすのは少し生きづらい」と感じていた私にとって、こうした南アフリカでの環境は非常に居心地の良いものでした。

 

日本は発展していて、非常に便利な国。でも私にとって心が自由」だと感じたのは、南アフリカでした。

 

挫折を経て自分が成長できた場所。

学校から帰ってきては授業の復習。最初の1年間は電子辞書で一単語ずつ調べる毎日でした。

 

南アフリカの高校に通ってから、授業は全て英語。小学生でも知っているような専門用語(足し算、引き算etc)さえ知らず、最初は苦労しました。

 

それでもコツコツ努力し続けたことで、最終的に成績優秀者の一人に選ばれるまでになり、「意外と私もやればできる!」と自信を持てるようになりました。

 

挫折も経験しましたが、私にとって南アフリカは自分を大きく成長させてくれた第二の母国です。

 

物乞い。貧富の差。不平等な世界。

貧困層が暮らすタウンシップ

 

現地では、南アフリカの悲しい側面も目の当たりにしました。

 

それは母親に車で迎えに来てもらった学校の帰り道。お茶をしてから家に帰ろうと、モールへ向かっていたところでした(なんとも気楽な高校生活でした笑)。

 

道端で同じ年くらいの子が物乞いをしているのを見かけ、違う国・違う境遇で生まれただけで、私と何も変わらないのに」と心に刺さったのを今でも覚えています。

 

社会の不平等さを実感した出来事でした。

 

アパルトヘイトが廃止されてから20年以上。今も現地では「単純労働は黒人、管理職には白人」といった構図が見受けられ、本当の意味での平等な社会はまだまだ先のようです。

 

HIV感染の現状に衝撃を受ける。

南アフリカで通っていた母校の様子。芝生のグラウンドからは海が見えました。

 

南アフリカではHIV感染が未だ深刻な問題になっています。

 

ある授業で南アフリカの平均寿命が56歳であること、その主な原因がHIV感染であることを知り、父親の年齢に近かったこともあって「この年代で親を亡くすなんて私には考えられない!」と大変ショックを受けました。

 

その衝撃的だった記憶がずっと心の中に残り、次第にHIV研究に興味を持つように。

 

日本に帰国後、学部3年生の頃からHIV研究を開始し、現在は吉田育英会の派遣奨学生として「HIV陽性の母親から生まれてきた幼児の免疫」に関する研究を南アフリカで行っています。

 

私にとってHIV研究は大好きな南アフリカに貢献できる手段のようなもの。いつかこの国に貢献できることを夢みながら日々研究に打ち込んでいます。

おわりに

多感な時期を南アフリカで過ごしたことで視野が広がり、価値観も変わりました。私のアイデンティティ形成に大きな影響を与えたと思っています。

 

最初は行きたくもなかった国、南アフリカ。今では自らの意思で再び戻ってきてしまうほど、惚れ込んでしまっています!笑

 

南アフリカとの出会いはまさに人生の転換期でした 。

 

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