ケニアで体育隊員をしています、塙慎太郎です!!
僕は今ケニアの南西ビクトリア湖沿いの“Sori”という小さな田舎町で青年海外協力隊として体育の先生をしています。
学校には去年の8月に配属されたので既に1年、協力隊生活(原則2年)も折り返しを迎えています。
僕がなぜ“青年海外協力隊”になりたいと思ったのか、その3つの理由をここではシェアさせてもらおうと思います!!
ソフトテニス漬けの毎日
僕は今まで武道、格闘技、球技など様々なスポーツをしてきました。その中でも一番楽しかったのが、高校の時に始めたソフトテニスでした。
ソフトテニスを始めた理由もなんとなくでしたが、大学もなんとなく強豪校で競技を続けたいと思い日本体育大学に進学しました。
部活のチームメイトの中では底辺のレベルでしたが、1度踏み込んだら辞められないという気持ちで4年間全うすることができました。
面白い先生になりたかった
そもそも僕は日本体育大学に進学した時は、将来は体育教師になる!!と心に決めていました。
しかし大学3年生になった頃から
と考えることが多くなりました。
4年生になると
と思うようになり、常に教員ではなく他の“何か”を探していました。
その頃には企業就職組はほとんど就職先が決まっており、それまで教員志望だった僕は少し取り残された感覚でした。
そんな悩める子羊だった5月頃に大学の校舎を歩いていると、“海外で先生をやりませんか?”という看板を見つけ、青年海外協力隊の存在を知り、その日のうちに応募に取り掛かりました。
その日は春募集締め切り4日前で、大急ぎでGTECという英語のWEB テストを受け履歴書や小論文を書いたのを覚えています。笑
海外での生活に興味があった
僕は中学生の頃から唯一“英語“が大好きでした。
きっかけは中学生の時にスウェーデンに交換留学生として行ったことでした。
食べたことのない料理、見たこともない景色、日本とは違う生活など様々な異文化に触れ、めちゃくちゃ刺激的だったのを覚えています。
その時から「もっと海外に行きたい!!海外の人と話がしたい!!」と考えるようになり、学校の外国人の英語の先生に積極的に話しかけたり、英語の弁論大会に参加するようになりました。
しかし高校、大学では部活動中心の生活になり「海外行きたい」という気持ちを押さえ込んでいたのですが、心のどこかでその熱は冷めておらず、青年海外協力隊の広告を見た時はとても胸が踊りました。
まとめ
青年海外協力隊になる人には、
「元々国際協力に興味があって協力隊になりたかった」
「自分のやりたかったことを経験できるから協力隊になった」
という2つのパターンがあると思います。
その中で僕は圧倒的に後者でした。
募集していた時点ではまだケニアがどこにあるのか、どのような国なのか全く知らず、国際協力という面では知識も関心もとても薄かったと思います。
しかしケニアで1年生活して「ここに来て良かった」と心から思うようになりました。
アフリカ、ケニアは当初想像していたものとはかけ離れていて、素晴らしい自然、人、文化に日々魅了されています。
アフリカに来たから経験が豊富になって良い先生になれる!!とは思いませんが、ここに来て僕の視野は確実に広がったと感じています。
アフリカめちゃくちゃ楽しいです。
皆さんも是非アフリカに飛び出してみてはいかがでしょうか??