EP②現地の人々と共に過ごした2年間のウガンダ協力隊ライフを大公開!-ただいまが言える場所-

 

こんにちは!

協力隊としてウガンダで小学校の先生をしていたアンリです。

 

前回はウガンダの小学校事情を紹介させて頂きました。記事はこちらから▽

 

結構良い意味で意外なことが多かった!とか、

ウガンダで小学生にはなりたくないと思った!(  笑)

などなど、感想もいただくことがあったりして。

 

まだまだ身近ではない、偏見の多いアフリカについて、触れる・知るキッカケになることが出来、書いて良かったなと感じています。

 


今回EP②では、ウガンダの生活について紹介していきます◎

ここがやっぱり皆さん一番の興味あるあるポイントなのではないかなーと!

というのも、任期を終えて帰ってきて、ほぼ100%聞かれるのが

「生活不便だったでしょ?」

「電気や水道は通ってたの?」

「どんな生活してたの?」

 

そんなこともあり、今回は2年間ウガンダで暮らしたという経験から、

アフリカで生活する中で気づいたこと・感じたこと

これから生活をする方に向けてちょっとしたアドバイス等ができたらいいなと考えています。

 


協力隊として活動をする利点のひとつとして、

『現地の人々と共に、

彼らと同じように生活をする』

という点があると私は考えています。

 

派遣される国々で基準が異なったり、その国の中でも活動地によって大きく変わってくるのですが、その地に住む人々と出来るだけ同じ生活を送ることが出来ます。

 

私の場合は、活動場所であった小学校の真隣に立つ長屋の集合住宅の一部屋で生活をしていました。

人さんやその家族(町の近くに軍基地があった影響で)、町でキヨスクを経営している人、また町の専門学校に通う学生さんなど、みんな同じ集合住宅に住んでいました。

 

日本からやってきたからといって特別な待遇があるわけでもなく、彼らと同じ生活水準で生活をする。だからこそ見えてくることが沢山ありました。

 

わたしの住居のある集合住宅です。みんなドアが内側に向いていて、真ん中は共有の洗濯物干しスペース。左手奥にあるのがトイレ。)

 

わたしの感じたウガンダライフ

無駄な時間が、
日常の大切な時間に

わたしの住居には水道が通っていなかった為、料理をするにも体を洗うにも、必要な水は外から汲んでくる必要がありました。

電化製品も全く持ち合わせていない生活をしていたので、日本では機械が勝手にやってくれることも、一から自分で行う必要がありました。

 

当然洗濯も、洗濯機はないので、まず外に3つ並べたタライに水を溜め、手洗いをします。これが本当に大変な作業で!

平日はずっと学校勤務だったこともあり、休日にまとめて洗っていた為、いつも汗や泥がついた服たちが山積みに。

 

土曜日は洗濯をするために、いつも1日の半分が潰れていました。

でも、その無駄に思えるような時間が、わたしにとっては大切な時間だったんです。

 

土曜の朝、ニワトリの鳴き声と共にわたしを含め隣人みんな起床。

ぞろぞろと、みんな自分の家の前にタライを並べ、外に座って、洗濯を始める。

そんな日常が、いつも別々の生活をしている住民みんなが顔を合わせる時間を作っていました。

 

「聞いてよ、今週は仕事が大変でさ。」

「昨日ごはん作りすぎちゃったんだけど、要る?」

「来週は出張で家を空けるから、よろしくね!」

「杏里、洗濯下手くそだな。ちょっと貸してみな!教えてあげるよ。」

 

文明の利器が発達した日本では、手で洗濯するなんて手間な作業で、便利な機器を使うことで、そんな無駄を省くことが出来ています。だけれど、ウガンダではその時間が大切なコミュニケーションを生んでいました。

 

便利なのが全て良じゃない。

 

私たち日本人が“時間の節約”という名の下に忘れてしまった大切なことを、教えてもらった気がしました。

 

また、そんな会話が飛び交う時間は、ひとり暮らしだということを忘れさせてくれました。

協力隊って、知らない地にひとりで活動をする。

そんなイメージで不安もあったけど、実際には気にかけてくれる人がいて、家族のように扱ってくれる人々に囲まれた生活は、孤独とはかけ離れていました。

 

(綺麗に洗った洗濯物が、土曜日の午前中に並んでいきます。)

 

”助け合いの精神”

わたしの学校では日本でいう給食というものはなく、お金をプラスして払う子どもたちだけ食事を得ることが出来る仕組みでした。

 

だけど、食事を得た子どもたちは、それを独り占めすることなく、他の友だちたちと食事を囲んで一緒に食べます。

提供されている食事だって、そんな多い量ではないし、ましてや何人もとシェアしたら、自分の分は少しになってしまうはずなのに。

 

「持つものが持たないものに与えるのは、当たり前のことでしょう?」

 

そんな教え子の言葉に、自分の損得ばかりを考えていた自分に気づかされました。

 

(プラスで提供されるポショ&ビーンズ。代表的な東アフリカ料理で、ポショはトウモロコシ粉をお湯で練って作ります)

 

乗合バスを利用すれば、荷物をたくさん持っている人の荷物をみんなで持ったり

 

壊れた車があれば、

どこからともなく集まってみんなで押したり

 

道で困っている人がいれば、

手を差し伸べてくれて

 

断水した時は

みんなが持ってる限られた水をシェアして。

 

確かに、「持つものが、持たないものに」の精神があるからこそ、支援を受けることが当たり前に思ってしまうなんてこともあることは事実。

 

だけれど、ウガンダで暮らしてみて、その助け合いの精神が彼らの良さであること。

また、私たち日本人が学ぶべき姿であると感じました。

 

(わたしが風邪をひいたとき、今日はごはん作るの大変だろうからってわたしの分まで盛りつけてくれました。あんまり食欲がなかったけど、この優しさに助けられ、すぐに回復!)

 

”シンプルな
クリエイティブライフ”

ウガンダでの生活は、日本の“便利さ”とはかけ離れたものでした。

手に入るものも限りがあって、望めば手に入る日本での暮らしとは大違い。

 

実際、わたしが日本を出発する時は、そんな不便さが怖くて、スーツケースに色んなものを詰めていったなんていうのも、今思い出すと必要なかったなーと思います。

 

というのも、ウガンダで生活をしていく中で、彼らはその不便さを物ともせず、自分たちでクリエイティブに物を作り出していたんです。

それが最終的に自分の考えていた便利さ・豊かさを考え直すキッカケまでになりました。

 

例えば、彼らは物理的にもう着れない!となるまで服を着倒します。そうなった後も、ゴミ箱に投げ捨てるのではなく、そのボロ布を掃除用具に変身させて、最後まで使います。

もし服も穴が開いたりサイズが変わってしまっても、街のテーラーさんに頼めばパパッと修理・調整してくれて、また着ることが出来るようになります。サンダルに関しても、壊れたら街の修理屋さんに持っていけば直してくれるので、いつまででも使い続けることが出来ます。

 

子どもたちだって、サッカーボールはないけど、靴下を丸めたり、ビニール袋なんかを使ってボールを作って遊んでいました。フリスビーを教えたら、次の日にはバケツの蓋を見つけてきて、それをフリスビー代わりにして遊んだり。ペットボトルを半分に切って、それに添わせてタイヤを転がして遊んだりと、おもちゃやゲームは持っていない分、自分たちで作り出すクリエイティブさを持っていました。

 

支援でいただいたフリスビーが割れたときは、自分たちで縫って修理をしていました!

 

(硬いフリスビーに穴を空け、割れてしまった部分を縫って補修!このクリエイティブな発想には脱帽!)

 

わたしはそんな風に遊ぶ子どもたちを見て、以前、アフリカには物がないから…なんて考えていた自分がとても恥ずかしくなって。

シンプルな生活の中で、工夫を凝らして生活をしている彼らは、

これも欲しい。あれも欲しい。と物に溢れた生活をしているわたしなんかより、もっと豊かな考えを持っていました。

 

「ただいま」と「おかえり」

その地で暮らすということは、気に入りの店や場所ができて、家族と呼べる人々ができることだと思っています。

 

わたしの暮らしていた街には、いつも卵を買うキヨスク、フレッシュジュースを買うお店、手作りヨーグルトを売っている牛乳屋さん、野菜を売るおばちゃんたちのマーケット、携帯のギガを売ってるお兄ちゃんのお店、どこよりも美味しいフライドチキンの屋台があります。

 

その日は用がなくても、前を通れば「ジェバレー!(おつかれ)」って挨拶をして、そのままちょっと立ち話をしたり。

わたしを娘と呼んでくれて、いつもトマトやアボカドを分けてくれるお母さんがいたり、赤ちゃんの世話するから、ちょっと店番してて〜って言われたり。

 

また、「クリカヨ(おかえり)」と言われ、「ンブッデヨ(ただいま)」と返す。

 

そんなシンプルなわたしの日常は、街の人みんなに作ってもらっていました。

 

(いつも卵を買うキヨスク前。買い物をしないときも、いつもこうやって外に座って談笑していました。)

 

そうやって人々と触れ合う生活をしていたおかげで、みんないつも気にかけてくれるし、自然とわたしも、誰かが困っていたときにさっと助けの手を差し伸べることが出来るようになっていました。

 

今であの街はわたしのホームで、帰りを待ってくれている家族や友達がたくさんいます。

次にウガンダに帰ったときは、まずは”帰ってきたよの挨拶で一日終わりそう(笑)

 

異国の地で暮らすということ

アフリカ、ウガンダに限らず、その地で暮らす。

ことで、その地を訪れただけでは見えてこない善し悪しを知ることが出来ます。

ただ、実際にそれを受け入れて生活をしていくかは自分次第です。

 

ここでは書ききれなかったけれど、苦労したことや残念に思ったこともあったことは確か。

全く異なった文化で生まれた私たちが、旅行で訪れるのはまだしも、その地で生活するというのは簡単なことじゃありません。

 

だけど、それ以上の驚きと学びがたくさんありました。

また、ウガンダで彼らと共に生活をしたことで、彼らの考え方に触れる体験ができ、彼らのことをもっともっと好きになることが出来ました。

 

そして何より、自分の考え方を見直すキッカケになりました。

そして受け入れることで、日本から遠く離れた場所に

ただいま」が言える場所が出来ました。

 

 (仲良し家族と。家族の証として、帰国前にお揃いのアフリカ布「チテンジ」で服を作りました。帰国後も、この服が彼らと繋ぎ合わせてくれています。)

これからアフリカで生活をするかもしれない人は、是非とも自分の凝り固まった頭を柔らかくして、とりあえず知るということから始めて欲しいなと思います。

 

それから、自分に無理のないレベルで、思いっきり楽しんでみてください!

 

次回予告!

今回は、EP2「ウガンダで暮らす。ということ」をテーマに、わたしの感じたことを紹介させて頂きました!

 

特にアフリカは不便だったり、怖いっていうイメージが強いので、それを覆すべく、ポイントを絞って書かせてもらったつもりです^^

次回はEpisode3: ウガンダの子どもたち】です。

わたしの学校で、経験したエピソードを踏まえながら書いていきます!

お楽しみに!

 

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