突然ですがアフリカと言えば何を思い浮かべますか。
この先を読む前に少し考えてみてください。
サバンナ、動物などの広大な自然環境、伝統の音楽や多種多様な民族などの文化、それとも貧困や飢餓などの社会問題でしょうか。
人それぞれ思い浮かべるものは違うかもしれませんが、ほとんどの人は現在メディアでもよく放送されている社会問題のようなマイナスなイメージではないでしょうか。
私もごく最近までは、そのようなイメージしかありませんでした。
しかし、あることをきっかけにアフリカの印象がガラッと変わり、今ではそのように思うことはなくなりました。
今回はこのことについてほんの一部ですが書いてみたので、特に私と同じ世代の高校生に読んでもらいたいと思っています。
この記事の目次
高校のプログラムでエチオピアへ
私は現在、高校二年生で今年の3月にアフリカのエチオピア という国に1週間学校のスタディーツアーに参加しました。
このツアーは校内から13人の生徒が、1週間とは思えないほど下記のようなたくさんの予定がつまった貴重な経験でした。
- エチオピア に行き山の上の小学校
- 日本の技術を取り入れてKAIZEN(改善)に力を入れている工場への訪問
- 伝統の踊りと共に生演奏の歌
- コーヒーやエチオピア伝統の食べ物であるインジェラの作り方を学ぶ
- AUの中に特別に行かせていただく
- 現地の高校に1日留学を体験する
この経験を通して私は、よりたくさんの人に伝えたいメッセージがあります。
それは、アフリカの偏見はほんの一部のことで、実際はステレオタイプで定着してしまったイメージとは、全然違うということです。
私はエチオピアの首都のアディスアベバにしか行っていないので、まだアフリカの一面しか見ていないし専門家のように語れるわけではありません。しかし、たった1週間でも私の中にあったアフリカの世界が360度変わり、そこにはどのような意味があるのか読んでいただければ嬉しいです。
もっと関心をアフリカの人に向けて欲しい
私が今回このように記事にして伝えようとしたのは、もちろんたくさんの人にアフリカの偏見に対しての意識を少しでも変えて欲しいという理由もありますが、それ以上に、私は「少しでも彼らの本当の姿について知ってもらい、もっと関心をアフリカの人に向けて欲しい」と願っているからです。
インターネットでアフリカについて調べてみた時によく見る記事は、アフリカの現在の貧困問題、〇〇団体の支援、「私たちにできること」など一面から捉えているものが多いのではないでしょうか。
もちろん他のことに触れているものもたくさんありますが、上に出てくるサイトはこのようなものが多い印象がありませんか?
このように見ると、日本に出回っているアフリカの情報は一部分に偏っていて、狭い部分に注目しすぎているのではないか?と思うことがよくありました。
支援団体で使われている子供達の写真をみてよく「かわいそう」「幸せになって欲しい」という声を聞くことがあります。
私も今までアフリカのことを聞くたびに、「かわいそう」と思うことがよくあり、「助けたい!」という一心で、今まで「将来は国際機関で働きたい!」と思っていました。
しかしこれは、とんでもない私の勘違いだったということを現地に足を踏み入れたときに気づかされました。
小学校訪問での気づき
山の上にある小学校訪問に行った時、私たちはその学校を支援している団体紹介があった後に、授業の様子を見学させていただきました。
支援機関から配布された教科書とノートで、黒板に先生がチョークで教える、という日本でもよくあるスタイルでの教育でした。
建物や机、椅子などは使い込まれていたようなものでしたが、学習する際に不便な様子はありませんでした。
そんな中、私たちは現地の生徒に質問させていただく機会を得ました。
その中で友達が「将来の夢は何?」という質問を投げかけました。
するとたくさんの手が上がり
など元気よく答えてくれました。これが仮に日本だったらどうでしょうか。
高度な教育を受けられる生徒たちの中には「医者なんで無理だよ」「いや、私になんてなれないから諦める」などと、冗談半分でいうことを、耳にすることもあるのではないでしょうか。
私はエチオピアの子供達が、さほど優れた教育環境ではない中で、自分の夢を戸惑いやためらいもなく堂々と発言している姿を見て、本気で「この子達は私たちにない何かを持っているな」と感じました。
夢を語っている子供達の目は、キラキラと輝いていました。よくキラキラしてるという例えをしますが初めてこういうことなんだなと実感しました。
そして授業の後には子供達と遊ぶ時間がありました。
たくさんの子供達が手を繋いだり、抱きついてくれたり、今までにないくらいの子達が寄ってきてくれて、驚きと可愛さで心がいっぱいでした。
子供たちに囲まれながら、私はとても幸せな気持ちで、日本では感じられない幸せの感覚で、今でもその気持ちは忘れられません。
そうして私たちの小学校訪問が終わりましたが、最後に先生からある一言をもらい、それは私たちスタディーツアーのメンバー全員が悩まされるものでした。
それは「なんであなたたちは小学校訪問に来たと思う?」という質問でした。
子供達との時間を振り返ると、私は楽しい思い出でいっぱいでしたが、それだけではないと言われました。
「ただ子供達と遊ぶならわざわざ山の上まで来なくても、公園でもできることだから小、学校訪問をプログラムにいれた理由をもう一度考えてみて」と言われました。
私はこの問いに対する答えがはっきりわからなくて、最後まで頭に残るものでした。
帰国後もずっと考えていましたが、自分の中でモヤモヤしたものが、書いていくうちに少しづつ、私なりの答えを見つけることができました。
「私なりの答え」とは
それは、アフリカの学校や教育の現状を目で見るという物理的なことももちろんあると思いますが、私はそれ以上に人間として忘れてはいけないものを改めて実感するためではないかと思いました。
私は、子供たちに将来の夢を聞いた時の反応だったり、顔に常にスマイルがあるのを見て、幸せそうだなと思ったし、その幸せは私にも伝わり自分自身もそういう気持ちになれました。
今まで日本で見ていた子供達の写真を見るときの「かわいそう」という気持ちは消えていて、今はむしろ子供達から学べることがたくさんあったし、もう一度会いたいと思っています。
広い環境の中で伸び伸びと動いて生活している子供達を見て、何に対しても「私こうしたら、どう思われるのかな」とか「これ言ったらみんなから引かれるかな」といったようなものは一切なく、幼いにも関わらずそれぞれがはっきり自分の意思を示し、物事を純粋に楽しんでいる姿を見て、私たちにはこれがまだ足りてないんだなと学べる部分が多くありました。
ネットが普及している今の世の中は一見便利に見えますが、逆にSNSによる優越感で、実際に何かを体験するときに物事の純粋な楽しみ方や感じ方を忘れていて、人間性が欠けてしまうことがよくあるのではないでしょうか。
周りを気にせず自分の意見を主張できる環境が小さい時からあるのは貴重ですし、日本ではなかなかない環境なのではないかと思います。
そしてキラキラして自分に自信を持っている子供達を見て、私が勝手に「きっと幸せじゃないんだろうな」というラインを心の中に持っていて、ある程度の条件を満たし一定のラインを超していたらこの子は幸せ、それよりも低かったらかわいそう、と思うようになっていたのだ、と今まで思いもしなかった新たな気づきが自分の中でありました。
その一定のラインも、おそらく日本やアメリカなどいわゆる先進国にいて最先端の情報を入手できる環境にいるというのが前提で、私の中でラインが作られていたのではないかと思います。
幸せとは誰かが決めたものではないし、他人から決めつけられるものでもないということに改めて思い出した時に、自分の考えの未熟さに痛感しました。
前知識のない「支援したい」は失礼なのではないか
世の中「支援支援」と言っているけれど、知識が何もないのにただ写真やメディアだけからの情報でかわいそうだなと思い込み「助けたい」と思うのはアフリカの子供達に対して失礼だし、少し違うような気もします。
もちろん正しい知識を持っていて、かつそれを有効に活用できるようであればいいのですが、何も知らずにただ「紛争多いよね」「かわいそう」と思って助けたいと思うのは少しおこがましいのではないでしょうか。
幼なくて可愛いなと思っていた子供達だけれど、私たちと全く違う環境で育っているからこそ、私たちの当たり前の中にあった、忘れかけていたものを気づかせてくれる存在でもあり、生き方を見ていて尊敬できる部分がたくさんありました。
これは私が1週間のエチオピアでの滞在で感じたり経験してきたことであり、これが正しいわけでもないし「アフリカ」について全てを書けたわけではありません。
しかし私が一番伝えたかった「幸せとアフリカへの偏見」について、少しは皆さんの意識を変えたり考えていただけたでしょうか。
アフリカにはまだ私たちが知らないことがたくさん詰まっている未知の大陸です。が、同時に私たちが学べることもたくさんあります。
先進国だからといって私たちがより優れている、知識があるというわけでは決してありません。
違う大陸で多様な環境で生活しているからこそ相違点があり、人間はお互いに刺激をし合える関係になるのではないでしょうか。