一枚の写真に憧れて。女子医学部生、休学してルワンダへ【日本人宿KISEKIインターン】

なぜアフリカへ?

私のアフリカへのあこがれは、ある先輩が見せてくれた1枚の写真から始まった。

ヨシダナギさんが撮影した、アフリカの少数民族の写真だ。

大学1年生も終わりそうな当時の私は、アフリカの人々はみんな、ヨシダナギさんの写真のような民族なんだと想像していた。

 

最終的には、ルワンダのKISEKIという日本料理レストランのインターンシップで行くことになったけれど、そのインターンシップに採用されたときのビデオ面談でもヨシダナギさんの話をして、

 

「少数民族の人たちと同じ生態系にはいって生活してみたいんです!そうやって彼らがどんな生活をしているのか。どんなものを食べているのか、栄養状態はどうなのか、普段何を考えているのか、彼らにとっての幸せは何か、何を大切にして何を夢見て生きているのか、など知りたいことがたくさんあるんです!」

のような事を言った。

 

その結果、

「おまえは、実際に来て現実を自分の目で見て見た方が良い。」

と言われ、即「採用!」と言ってもらえたことが全ての始まり。

将来の目標

「世界中でその土地の食べ物の力で人々のココロとカラダを元気にしたい」

ルワンダの野菜たち。

 

この目標を持ち始めたのは大学1年の夏が終わるころ。この目標は今でも変わらない。

しかし、大学1年が終わるころ、私はこの目標を人に語るたびにモヤモヤが大きくなっていった。

 

今振り返ってみると、それは手触り感がなかったからだと思う。

 

当時の私は、

「実際に、世界中の国々を自分の目で見て問題意識を持って立てた目標でもないし。私はまだまだ経験が浅く、世界中のことは全然知らない。そんな私がこんな大きな目標を語っても説得力がない。」

そう思っていた。

 

そんなモヤモヤをどうしても晴らしたくて、自分の目で見て肌で感じてきたくて、自分にとって一番未知の大陸であった「アフリカ」という場所に魅力を感じていた。

 

そんな時に先輩に魅せられたのがヨシダナギさんの撮影した写真。

 

「どうしてもアフリカに行きたい!」

その思いが日に日に増していった。

新たな選択肢

そんなある日。ちょっとしたことがきっかけで「休学」という選択肢があることを知った。

 

「休学してアフリカに行くのもありかも…。」

そう考え始めた。

 

最初は、相談した人全員に見事に反対された。

 

でも、諦めかけていた時、たった一人、賛成してくれた人がいた。ヨシダナギさんの撮影した写真を教えてくれた先輩だ。その人に背中を押され、休学を決意し、次の日には休学届を取りに行き、両親に相談していた。

 

不思議なことに、決意してからは、驚きはしても反対する人はほとんどいなかった。だから、無事に休学届を提出し、1年間の休学が決定した。

 

休学届を提出した次に日にはインドネシアへ向かっていた。2週間のボランティアプログラムに申し込んでいたのだ。

インドネシアの学校で特別授業を行った後の集合写真。

 

帰国後も、帰国したその日から、jaih-sという団体の国際保健トレーニング合宿に参加し、そんなこんなで、落ち着いたことには3月も半ばを過ぎていた。

焦り

休学届を提出したのが2月末だから、提出からすでに1ヶ月弱が経っていた。

「休学期間中、何をするか早く決めないと・・・」

私は、かなり焦っていた。

 

インドネシアでも、合宿でも、アフリカに行ったことがある人が何人かいた。合宿ではアフリカ出身の先生にも会い、アフリカに行きたくて休学したこと、でも、まだ何をするか決まっていないこと、などたくさん相談した。

 

多くの人は応援してくれて、ボランティアやインターンシップを募集している組織やNPOなどを教えてくれた。また、アフリカで気を付けることや、航空券のこと、予防注射のことなど様々な価値のある情報を教えてくれた。

酪農を営む家族。休日を利用して田舎の村に住む友達の所へ遊びに行った時の写真。

 

自分でも、インターネットでボランティアやインターンシップ、留学などを探し、何か見つけ、良いと思ったら、手あたり次第に応募していった。

 

でも、まだ決められないでいた。

 

休学届を出す前、両親に電話して相談したときのことを思い出すと、ますます焦った。両親が心から応援してくれていたからだ。

 

「今しかできないことだね!精一杯頑張っておいで!」

 

正直、両親には、反対されると思っていた。

「反対されてもがんばって説得して絶対にアフリカに行くぞ!」

そう意気込んで、説得するための材料をたくさん用意して電話をかけた。

 

だから、あっさりと承諾し、応援してくれた両親に驚くと同時に、「この1年、絶対に濃い一年にしよう。この1年、1秒たりとも無駄な時間は過ごせない。」と、私を本気にさせた。

酢キャベツダイエットのモニターとして応募してくれたトルコ人たちに事前説明を行ったときの写真。

とんとん拍子

そんな時、大学のある徳島で、知り合いが知り合いを繋いでくれて、ルワンダの日本料理レストランKISEKIを紹介してもらえた。

 

 

早速、メッセンジャーで連絡を取り、ビデオ面談をすることに。

 

それまで応募していた様々な組織や企業からは、連絡がなかなか来なかったり、一方的な申込フォームだけで、直接的なやり取りができなかったりしたから、KISEKIの女将、山田美緒さんと直接やり取りができ、面白いくらいにスピーディーに話が決まっていき、遂に私は、1年間のルワンダでのインターンシップの切符を手にした。

毎日行っていたスタッフミーティングの写真。MTGの後は阿波踊りを踊っていた。

明日何が起こるか分からない

 

休学届を提出してから約2か月後。私は、ルワンダにいた。

 

KISEKIの看板の前でシングルマザーたちととった集合写真。

 

2か月前は、普通に2年生に進級するつもりだったことを考えると、とんでもない変化である。自分でも、こんなにとんとん拍子に進むとは考えもしていなかった。

 

「明日は何が起こるか分からない。ましてや1週間後、1か月後なんて何が起こるか分かるはずがない」

この時に、身をもって実感した。

 

ルワンダでも、この時の感覚は続き、日々考えもつかないことが起こる毎日。毎日が緊急事態で、笑ったり、苦しんだり、悩んだり、楽しんだり・・・。今振り返ってみると本当に色々なことがあった。

伝統医療のお医者さんに、外科手術のデモンストレーションをしてもらっている写真。

 

だから、帰国してから友人や知り合いなどにルワンダでの話をしても、話しても話しても話しきれない。

 

そんな私のルワンダライフをここでの記事やnote、Twitterなどで発信していくために準備をしているため、もし興味があったら、読んでいただけたら嬉しい。

 

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