あなたも他人事でない。原油に翻弄されるスーダンからの声 -リヤード斎木-

スーダン在住の日本人・リヤード齊木のスーダン実録第2編。言論統制や政情不安、日本に入る情報が極端に少ない今、現地に住む齊木さんが第1編に続きさらにリアルな内情を綴ってくれた。

第1編はこちら

スーダンからガソリンが消えた

地面が揺れている。下を向き揺れているのは地面ではなく自分の身体だと気付く。電解質が体から失われ発せられるSOSサイン。スーダンの首都ハルツームは今日も気温は軽く40度を超える。額に溜まった汗が地面に落ち、潤いを与える前に乾いて消えた。

 

そんな猛暑の中、決して外で運動しているわけではない。ただバスを待っているのだ。待てども待てどもバスは来ない。ようやく来たと思っても乗客で溢れかえって片足を置くスペースすら残されていない。これはスーダンの田舎町の話ではなく、首都ハルツームで起こっている話である。

 

かつて全世界の11%の原油を埋蔵していたスーダンからガソリンが消えた。

 

なんとも皮肉的な話をしたい。

「分割して統治せよ」宗主国の目論見通り都市・地方が対立

ガソリンの話しに入る前に、ごく簡単にスーダンという国の成り立ちを見ていこうと思う。

 

スーダンという国の形が歴史に登場するのは大英帝国植民地時代からである。それ以前は、スーダン方言のアラビア語で「黒い大地」を意味するビラードッスーダンと呼ばれる肌の黒い人達が住む広範囲の土地の略称を指すだけであった。

 

それが、大英帝国のスエズ運河を貿易の中心とする政策が打ち出され、ナイル川流域の確保は優先課題となり、多様な部族社会をひっくるめて領土を画定しスーダンという国を作り実効支配を始めた。ここで始めてスーダンという国が歴史に登場する。もちろん当時の人たちは国という概念を理解できたかどうかはわからないが。

 

ナイル川には大きな支流が二つあり、一つはビクトリア湖を源流に流れるホワイトナイル、もう一つはエチオピアのタナ湖を源流とし流れるブルーナイルで、その二つが合流する地点に政治の中心が置かれた。それが現在の首都ハルツームである。

 

この地点に住んでいた人々は土地の所有権を得て、開発の恩恵を受けた。一方、首都から離れた地域は開発とは無縁で、電気水道はおろか人的な交流さえ禁止された地域もある。

 

これがいわゆる「分割して統治せよ」という大英帝国植民地政策の特徴である。人の憎悪は大英帝国ではなく、特権を甘受する現地の人間に向けられる狡猾な手口である。

植民地から独立も、終わらない悲劇

アフリカで植民地独立の機運が高まると、スーダンにおいても開発の不公平さからくる不満と権利を求める動きが内戦という形で表出。宗教や人種の違いも争いに拍車をかけ、南北の内戦は40年近く続くことになった。

 

最終的には2011年にスーダンから南部地域は国名を南スーダンとして分離独立を果たした。多くの尊い命を代償に。

 

さらに南北の内戦だけでなくスーダン西部地域のダルフール地方も開発の恩恵がなく内戦が勃発した。このようにスーダンでは、長く続いた内戦によって軍事費の歳出が増え、本来経済を発展させる使い道をしなければならない予算が無駄に消費されていった。

スーダンの誤算

話がわき道にそれたので本題をガソリンに戻そう。

 

かつてスーダンには豊富な原油資源があった。かつてと過去形になっているのは石油資源の75%が現在の南スーダンの所有へと国の独立と共に移ったためである。

 

 

それでもスーダンが原油という外貨獲得の手段をみすみす手放したわけではない。

 

南スーダンで産出された原油を港に運ぶ方法にその答えがある。もともと利用していたパイプラインはもちろんスーダン国内を通っており、紅海沿いのポートスーダンという港から世界に輸出されていた。

 

そのため、スーダンは油田の所有権を失っても、パイプラインの使用料や原油による収入の分け前を南スーダンから取れると睨んでいた。

 

ところが、南スーダンは政情が安定せず稼働できない油田も多く、また高額なパイプの使用料に抗議し生産を中止するなどした結果、スーダンの収入は大きく減ってしまった。さらに南スーダンでは新たにケニアの港を利用するパイプラインの計画を立てており、この計画に日本も加わっている。もしこのパイプラインが完成するとスーダンが混乱に陥るのは間違いない。

 

また、スーダン領土に残った残りの25%の原油も全てがスーダンのものにはならない。これは石油会社の株の半数以上を中国資本が握っているからだ

 

スーダンで原油が見つかった際、スーダンには遠く離れた港まで原油を運ぶ技術もお金もなく、中国資本の手によってパイプラインなどの設備が整備され、権利のほとんどを売ってしまった。そのため原油の多くはパイプラインを流れ中国へと運ばれる。

 

スーダンにはハルツームとポートスーダンに精製所があり、他国へ流れた後に残った原油を精製して国内で使っているが、まったく足りずに海外からガソリンを輸入して賄っている。

 

原油は今もスーダン国内のパイプを通っているが、それはスーダンのものではなく、パイプ使用料という形でお金に変わり、そのお金で他国からガソリンを買っているという何とも皮肉的な状況となっているのだ。

これは遠い国の話ではない。

原油資源を使って新たな産業を創出し人材を育成し、未来へ種を蒔かなければならなかったのに、この地では原油は人を翻弄しているだけに終わっている。

 

この状況を作り出しているのはスーダン人だけではなく、これを読んでいるあなたもその1人だ。

 

日本は長年スーダンの原油を輸入してきた。そして南スーダンの分離に手を貸したのは中国のアフリカでの石油戦略を恐れたアメリカだと言われ、そのアメリカを援助しているのが日本に他ならない。こうしてみると自衛隊が南スーダンに派遣された意味が見えてくるだろう。

 

日本人はスーダンで産出される原油の恩恵を受けてきた。そして新たなパイプラインの建設に加わろうとしている。

 

いまスーダンで起きていることは、もう他人事ではない。

 

 

「大学前まで、大学前まで。運賃はいらない。乗りたい奴は乗れ」


野太い声が辺りに響くと、バスを待っていた人たちはトヨタ製のHiluxの荷台に飛び乗る。きっとパンドラの箱は開かれているが、この過酷な現実を助け合って乗り越えようとする人の力に希望を託して私も荷台へと飛び乗る。

 

猛スピードで乾いた空気を浴びて乾燥した目から、一筋の涙が零れ落ち、決して乾いて消えることはなかった。