魅惑の食べ物パン。スーダンにおける「主食」市場のジレンマ -リヤード齊木‐

スーダン在住の日本人・リヤード齊木のスーダン実録第3編。言論統制や政情不安、日本に入る情報が極端に少ない今、現地に住む齊木さんがリアルな内情を綴る。

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国民意識を芽生えさせた転換点

2018年、30年以上続いたスーダンの利権を貪る政治体制に終止符を打ったのは、パンの値上げに対する抗議デモを発端とする、市民の非暴力不服従の断固たる変革を求める声だった。

30年間スーダンを支配した政権が不正腐敗に満ちていたことは、逮捕された大統領の自宅に1億ドル相当の外貨が隠されていたことからも明らかであった。苦しむ国民など顧みることなく国家を私物化し、私腹を肥やし続けた罪は重い。

 

そんな腐敗した政府に長年敵対してきた人々が受けてきた苦難は、アヨッド(現在は南スーダンに属する)という場所で撮られた「ハゲワシと少女」という一枚の写真が全てを物語っている。

 

そして抑圧された周辺部だけでなく、比較的恩恵を受けていた都市部を含め全国民が政権にNOを突きつけたことは、スーダン人という国民意識を人々に初めて芽生えさせた歴史の大きな転換点として語り継がれていくだろう。

 

そんな輝かしい革命の発端となったパンに焦点を当て、国民がパンを食べ続けることでスーダンの財政を逼迫させている構造上の問題点を浮き彫りにしていきたいと思う。

 

「パンを買う前に私が焼けちまうよ」

「パンを買う前に私が焼けちまうよ」

そう笑って話す老婆の、くしゃっと笑ってできた顔の皺には、この地の高い気温と強い日光を受け生きてきた証が浮かぶ。スーダンの首都ハルツームでは、主食であるパンを買うために40度を超す猛暑の中、数時間パンが焼けるのをひたすら待たなければならない。

 

20203月、スーダンの物価は3年前に比べて6倍になっているが、パンの値段は3年前の2個で1ポンドから1個1ポンドと2倍の価格上昇でとどまっている。

 

これは政府がパンの原料である小麦粉に補助金をだし価格を安定させているからである。この補助金によってパンは、ソルガムやパスタ、米といった他の主食よりも遥かに安く腹を満たすことができる。そして調理に必要な燃料を買うこともできない貧しい人も店頭で買ってすぐに食べられることから政府による福祉政策の側面もあると考えられてきた。

 

かつて南スーダン分離後は原油問題が生じて政府の収入が減り、財政の苦しさから補助金を撤廃してパン1個を他の物価と同じように3年前の6倍にあたる1個3ポンドにしようというパンの値上げ策が打ち出されていたが、これは市民の革命によって取り消され、新しい政府が誕生することになった。

 

しかし新政府に変わっても財政は苦しく、値上げではなくパンを小さくする政策がとられており、実質は値上げという形となっている。

 

皆が口を揃えて言うにはパンの大きさは以前に比べて半分になったという。パンが小さくなれば食べる個数が増えるから、もちろん一度に買うパンの数も増えた。

一人の客の購入量は平均して40個ほどになっている。大人の男性なら一度に5個は食べる。スーダンはひとつの家に10人ほどで住む大家族がほとんどで、買ったパンはその日のうちに消費してしまう。だから毎日パンを買い求めなければならない。

また、パン屋に並んでいるのは半数が子どもだ。朝パンを買うために、学校に遅れることもある。また学校に行けない貧しい子どもが、代理でパンを買い、わずかなお金を稼いでいる。

 

ただ、オーブン1台で経営されている町の小さなパン屋がどんなに頑張っても、パンが焼ける個数はたいして変わらない。追い打ちをかけるように外貨不足は停電をもたらす。停電になるとオーブンも止まり、ディーゼルの自家発電装置を使うがこれが古くて出力がないものだから、パンが焼けるまでに長い時間を要する。

 

そういったことで炎天下ひたすらパンを待たねばならない状況に陥っている。

どうせ同じ待つなら楽しんでと井戸端会議ならぬパン屋会議が開催され、私も列に並び会話に混ぜてもらいスーダンの食卓について話を聞くことにした。

 

スーダン本来の主食とその難点

おばあちゃんたちが昔を懐かしみながらスーダンの食卓の歴史を語ってくれた。

彼女たちが子どもの頃はパンが食卓には並ぶことは少なく、ソルガムという雑穀の粉を水で練ってつくるアスィーダや、発酵させ薄く延ばして焼いたキスラが食卓の主役だったという。

 

ムラーハ(とろみのあるソース)をかけたアスィーダ

 

これらはムラーハと呼ばれるオクラパウダーでとろみをつけたソースをかけて食べる。このムラーハの味がおふくろの味で、作り方を母親から教わることで各家庭の味というものが継承されてきた。

 

ソルガムは乾燥や病気に非常に強い穀物で、スーダンの乾燥した地域でも栽培が容易なことから古くから主食として食べられていた。ところが、このソルガムの調理には時間と労力を要するという難点がある。

アスィーダの場合は、粉と水を混ぜたものを弱火で焦げないように練り上げて好みの硬さになるまで火にかけていくのだが、水分が減るにしたがいとろみがついてどんどん重たくなっていく。しかも、焦げないようにずっと火の前にいて混ぜ続けないといけない。

 

 

日中の気温が40度を軽く超すスーダンにおいて、火の前に付きっきりで調理しなければならないアスィーダを作るのはかなりの重労働だ。キスラは、ソルガムの粉と水と酵母菌を混ぜ合わせ数時間放置し発酵させる必要がある。生地ができたら、鉄板で一枚一枚薄く延ばして焼いていく。キスラは薄く焼かれるため満腹になるにはある程度の枚数が必要で、一つの家に大家族で暮らすスーダンでは大量に焼く必要があり、これまた火の前での調理を長時間強いられることになる。

 

もう後には戻れないパンの普及の原点

パンがスーダンに広まったのは、植民地独立から40年の長きに渡る内戦によって食料自給率の下がったスーダンに海外援助で持ち込まれたのが大量の小麦によるものである。

 

アメリカやヨーロッパ各国は余剰作物を捨てるよりもそれを使って新たな市場の開拓と国際援助を両立できる政策を実施した。日本でも戦後給食にパンが出されたのも、アメリカのPL480という法律を基にした市場開拓の意味合いが強い。

スーダンも同様に政府の管理のもとパン屋が全土に作られ、持ち込まれた小麦を安く提供すると瞬く間に普及した。なぜなら庶民にとってパンは政府の補助金で安く、店頭で買えて調理の手間がかからず、しかも美味しいという魅力的な食べ物だからだ。

 

もちろんアスィーダもキスラも現在でも食卓に並ぶが、パンは毎度の食事に欠かせない食卓の中心となりこれまでのスーダンの食文化が大きく変わった

 

長年の困窮者救済と財政圧迫のジレンマ

スーダンの小麦の需要は高まる一方だが、残念ながらスーダンの気候は小麦の栽培に適さない。

 

国土の大半が乾燥地域で、年間の降雨量は100ミリから多いところで300ミリと雨量が少なく、さらに雨季以外はほとんど降らない。そのため年間降雨量が最低でも500ミリ以上の土地が生育条件となっている小麦は、ナイル川流域の一部地域でしか栽培ができない。

 

実際、現在の小麦の使用料は1970年に比べて10倍となっているが、生産量は2倍に増えただけである。現在の小麦の自給率は20%を切っており、年間4億ドルを使い主食となった小麦を輸入に頼るという危ない橋を渡っている。

そうして世界の小麦価格が上がっても、小麦は先進国から無料同然で持ちこまれ今まで困窮者救済の役割を担っていたため、パンの価格を上げることは難しかった。つまり、今スーダン人がパンを食べれば食べるほど国庫から金が消えていくのだ。

 

自給率の低い小麦がスーダンで広まったのは、小麦需要を高め市場を開拓したいという裏の顔をもった食料援助が原因だ。直接的な暴力だけでなく、構造的な問題を相手に与えることもまた暴力となりうる事例といえる。

 

 

しかし、人間は困難を乗り越える力も持っている。現在、スーダン農業研究機構と日本の鳥取大学が共同研究で高温乾燥に強い小麦の品種改良に取り組んでいる。もし、スーダンという気候の厳しい環境でも生育できる小麦が開発されれば世界の食料事情を大きく変化させる大発明になると期待されている。

スーダンと日本が足並みを揃え、未来へ種を蒔いているのである。