タンザニアに移住して、アフリカで一生ボランティアしていく、たいしです。
神戸市出身の22歳です。
僕は大阪工業技術専門学校に通っていて建設業に就職したんですが、半年でやめちゃいました笑
YouTubeの活動もしています。
YouTubeの動画を見ていただければ、すぐに僕の顔を覚えていただけるかと思います!笑
オリジナルTシャツが完成し、これからもアフリカ×YouTubeでいろいろ作っていく予定です。
それと、小学校、中学校でアフリカに関する授業をしに行く予定にもなっています!
まあそんなことは置いといて、今回は3本の連載で行きます。
さっそく一つ目にいきましょう。
この記事の目次
■ProjectsAbroad タンザニア建築ボランティア
タンザニアへ行くことになったきっかけ
それは僕が専門学校2年の時やったんですが、卒業制作に追われていて提出期限に間に合わないという状況になっていました。
それに、周りの友達を見てたら、「自分は建築が向いていない、建築を辞めようか」と悩んでいた時でした。
その時、仲が良かった(建築とは全く関係ない)先輩が電話で僕に
「留年したら貧しい国行って来いや笑」
って言ったんです。
その時は僕も笑ってノリで受け取っていたんですが、そこから何日か考えてたらせっかく建築やってるし建築で何かできるんじゃないかって思ったんです。
それから本気で考えるようになって、専門学校3年の時に二級建築士を取って終わってから就職までの間に1人でカンボジアとネパールに現状を見に行こうと思いました。
なぜカンボジアとネパールかと言うと東南アジアの貧困国ランキングが1位と2位やったからなんです。
また同じ先輩と電話で話していると、ネットで色々探してくれて建築ボランティアがあるっていうのを聞いたんです。
それが、ProjectsAbroadやったんですがそのホームページを見ているとアフリカが何ヶ国かありました。
ボランティア団体なので安全やろうと思ってその瞬間にアフリカにしようと決めました。すぐに電話をして1番貧しい国はどこですか?って聞きました。
すると、タンザニアですかね!?と言われたんで、タンザニアに決めました。
でもその先輩にはホンマに行くんか?って言われて、元々の僕はあまり行動に移すことができなかったんですが、この時は手続きを進めて飛行機も取ってしまって、もう行かないといけない状態に持っていきました。
このような流れでタンザニアの建築ボランティアに行くことになりました。
先輩のおかげってことです。めっちゃ感謝してます。
タンザニアでの生活でビックリした事・活動
僕がタンザニアの生活でビックリした事はありすぎてキリがないんですが、その中でも僕の中で印象が強かった3つを上げようと思います。
①水道、電気が止まること
泊まっていたホームステイ先は大きくて、タンザニアではお金持ちの家だと思います。(僕の想像)それでも週に1回ぐらいは水道も電気も止まっていました。
日本ではあり得ないので、最初はビックリしてトイレをどうやって流したらいいのか戸惑いましたね笑
たった1ヶ月ではあったのですが、最後の方には慣れて「もうそろそろ止まりそうやから早めにしとこ」と考えることもありました。慣れました笑
②頭の上に物を乗っけている姿
みなさんも1回ぐらいはテレビで見たことあると思うんですが、僕もテレビで見たことがあって
「あれはホンマなんか」
「絶対なんかで落ちんようにしてるやろ」
って思っていたんですよね。
でも、どうなっているのかちゃんとは分かりませんが僕が見たのはそのまま乗っているだけでした。
1回目見たときはテンション上がりましたね。
そりゃテレビで見たのが生で見れたらテンション上がりますよね!笑
③ダラダラ(乗り合いバス)の人の量
僕たちが活動場所に行くときにダラダラを使っていたんですが、バス停みたいな所に行って乗ると、まず人がパンパンにならないと発車しません笑
助手席にも客を乗せ、細い人が4人でもちょっときついぐらいのとこに、でかい人達が4人ぎゅうぎゅうになって乗っていました。
走行中でもお金を受け取る人が窓から顔を出しながら乗る人を見つけると、車体を叩いて運転手に合図し車を止めていました。
人の多い所では、指笛や口笛みたいなものを鳴らして乗客を探していました。
僕ら外人を見ると走ってきて乗せようと、他のダラダラと取り合いしているようでした笑
車内はパンパンにもかかわらずまだまだパンパンに乗せていました。
日本では嫌な顔をする人が絶対に出てくると思いますが、タンザニアではみんなで協力して荷物を持ったりしていました。
ニワトリを足元に置いたりとすごい光景でしたね。
まさにアフリカらしい感じがしました。
皆さんどうでしたか?
いろんな方に1回はぜひ行ってもらいたいです!
1回行ったら何かが変わります。
何も怖くありません。
日本語しか話せない僕でも行けたんです笑
現地での活動
そして活動がスタートしました。
穴掘り→石運び→鉄筋組み→コンクリート練り
僕たちの作業はこれで終了しました。
そして活動場所、ホームステイ先がアルーシャと言う町で、そこから歩きとダラダラと現地のスタッフの車に乗り換えてマサイスクールと言う学校に行っていました。
日本で言うほんとに田舎の何にもないところでした。
そこの子供達はいろんなボランティアの方が来ているので、僕にもすぐ懐いてくれましたね。
やっぱり子供は会話が出来なくても笑顔で通じるもんがあるんだと思いました。
活動はその学校の敷地の中にダイニングホールを建てるという事でした。
僕は英語が全然分からないので、何を建てているのか、最後の方まで全く知りませんでした笑
全部手作業で活動時間もほんとに短いので2週間ぐらいはひたすら穴掘りの作業でした。
めちゃめちゃしんどかったんですが休憩時間の子供達と遊ぶのが1番の癒しで子供達の笑顔がたまらなかったです。
そして僕達は途中までで、続きはまた次来た建築ボランティアの子達に引き継いでいくと言う形になっているみたいです。
次回は、タンザニアからの帰国後そして現在の私についてお話ししたいと思います!!