《最終章》セネガルで養鶏を始めた話

はじめに

 

こんにちは、「Gueneu(ゲヌ)」というアフリカ布ブランドをしています、宮村暢子(みやむらのぶこ)と申します。

 

 

これまでAll About Africa3本の記事を書かせていただきました。

今回は最終章、ということで、202010月に開始した養鶏のお話をして終わろうと思います。

 

 

 

あるセネガル人からのSOS

『ビジネスを立ち上げたいから、PCを買ってくれないか』

 

数年前、あるセネガル人から私にメッセージが届きました。

 

彼の名前はブバカといい、10年前に私がセネガルでストリートチルドレンのお世話をするボランティアをしていたときに一緒に働いていたスタッフの1人です。最も真面目で誠実に子どもたちを可愛がっていたスタッフでした。

 

↑子どもたちのケガの消毒を用意するブバカと私。

 

 

私はそのとき、詳しい理由を聞かないまま、買ってあげることはできないと即答してしまいました。

セネガルで毎日のようにお金をせがまれ、「日本に連れて行ってくれ」「結婚してくれ」「お酒を買ってくれ」「チケットを買ってくれ」とあらゆるお願い事をされてきた私にとっては、ああ、またか、と思うような依頼だったのです。

また、セネガルに来て最初の頃は数々の依頼に困惑していた私も、滞在期間が長くなるにつれ、断ることにも慣れていきました。

 

 

彼は、決して怒りませんでした。

私が日本に帰国した後も、私のことを気にかけ、連絡を取り続けてくれました。

 

 

2回目のSOS

2020年、久々にセネガルを訪れて彼に会ったとき、彼の生活が非常に苦しいことを知りました。彼に10年前の笑顔がないことは明らかでした。

 

 

帰宅中に、彼からメッセージが届きました。

 

『養鶏ビジネスを始めたいから、資金援助をしてくれないか』

 

 

1回目のSOSとは異なり、私は理由を聞かず断ろうとは思いませんでした。

 

10年前の私は気付いていませんでしたが、国際協力に関心のある人間が、目の前にいる人の声を聞かないのはとても恥ずかしいことだと思ったからです。私は翌日、彼の家に行き、事情を聞くことにしました。

 

 

2014年、西アフリカで大規模にエボラ出血熱が流行り、セネガルでは流行がありませんでしたが、観光客が激減しました。海外からのボランティアスタッフも集まらなくなり、ボランティアからの参加費用で活動資金をまかなっていた私たちの職場では、多くの現地人スタッフが首を切られることになりました。そして、スタッフに給料を支払われないなど問題が次々と起こり、彼も職を離れることになりました。

 

セネガルでは一度失業してしまうと次の仕事を見つけることは容易くありません。

もちろん、日本のように失業手当も再就職支援もありません。

 

彼は嫁と幼い子ども2人を抱えたまま、何年も仕事に就くことができず、親戚に頼ってなんとか生活していました。

 

彼は、自分の家族を養いたいこと、偉大な起業家になりたいこと、そして偉大な起業家になるためにどんな努力も惜しまないことを熱弁しました。

口だけで言うのは簡単ですが、彼の熱意は他のセネガル人のそれとは違いました。

 

私は彼を助けたいと思いました。もっと言うなら、1つの家族が豊かになり、幸せを掴んでいく姿を見てみたい。

 

私のブランド「ゲヌ」の理念は、人々に出口を提供することです。

ブランドとして、女性のための避難所の建設支援を続けるかたわら、彼の養鶏ビジネスを支援することに決めました。

 

養鶏に詳しいジブリルという男性にコンサルを依頼し、3ヶ月間の活動資金を援助し、4ヶ月目からは売上からビジネスが回るように予算を立てました。私も養鶏について色々と調べ、勉強しました。

 

↑養鶏のチームメンバー。”Mame Diarra”(マムジャーラ)は私のセネガル名です。セネガルに行けば、友達からセネガルの名前をもらえますよ!

 

養鶏ビジネスが始まった!

記念すべき2020108日(木)、ブバカの養鶏ビジネスがスタートしました。

 

セネガルでは約45日間で販売可能な鶏の大きさになります。(食肉用です)

 

 

↑3種類のエサ。15日ごとにエサが変わります。

 

 

かなり小規模ですが、まずは50羽から養鶏を始めました。

ブバカは当初、200羽から始めたいと言いました。

毎月200羽を養鶏できれば、一家の生活がなんとか成り立つレベルになるからです。

 

しかし、コンサル担当のジブリル(20代で若いですが、とてもしっかりしています)と話し合い、50羽から始めることにしました。

 

ジブリルの言う事には、

『人は最初から大きなことをやりたがる。でもどんなビジネスも小さなことから積み重ねていくべきだ。養鶏に慣れていくこと、そしてそれを徐々に大きくしていくことが大事だ』と。

 

私もそれには納得でした。

偉大な起業家になりたいと思うなら、全てを与えるよりもきっかけを与える方がいいのかもしれないし、まずは50羽から様子を見よう、と。

 

 

現在は少しずつ数を増やしています。

↑ヒヨコから30日たって、トサカが生え始めた頃。

 

さいごに

ここまで読んでくださった皆さん、ありがとうございます!

 

私の活動は、すべて2020年に始まったばかりです。

それまで、何かしたいと思いながら、何もできずにいました。

まだまだ活動としてはこれからですし、自分のしていることが本当に社会に役立つことなのか、答えが見えているわけではありません。

 

でも、ブランド名を決めるときにずっと感じていたこと。

それは、「一生、変わらない理念を立てたい」ということでした。

 

私のモチベーションは、いつも「誰かの助けになりたい」です。

それは他の人にとっての理念ではなく、私にとっての理念です。

だから、この先も、それを叶える手段を選択し続けたいと思っています。

 

何かを始めたいと思っている人は、完璧な正解を求めるよりも、やりながら考えてみてもいいかもしれません。やってみると、答えはいい意味でどんどん変わってくると気づきました。

 

私もそれを楽しみながら活動を続けていきたいと思っています!

 

 

ゲヌオンラインサイト:http://www.gueneu.tokyo

 

 

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