マネすることがだけが異文化理解なのか、ケニアで教わった自分の軸。

▼前回のコラムはこちら▼

 

 

みるきーです!今回は第二弾!!

 

ケニアで味わった挫折、自分とたっくさん向き合った話を書きたいと思います。

◎マネすること=相手の文化を尊重、これって正しいのか?

 

いきなりですが…。

 

私は、アフリカンレディーに憧れていました!!!!

 

 

じゃーん!

 

友達に髪の毛編んでもらった!(でもこれ、あまりに痛くて寝れなくて速攻ほどいちゃったけど笑)

 

そう、私はとにかく、みんながやっていることやってみたくて、考えていること知りたくて、友達のマネばっかりしてました。

 

アフリカンレディーに憧れていたのもその一つ。

 

友達の後ろについて回って、いろ~んなアフリカ文化教えてもらった。

 

最初はそれが楽しくて、楽しくて。

 

本でも、ネットでも知ることのできない、リアルなアフリカ文化のなかに今自分はいるんだ~~~!って。

 

…でもね、だんだん「マネ」することに疲れてきちゃって。

 

◎マネすることに疲れてきた、これってほんとの異文化交流なの?

 

  • みんなが髪の毛編みこんでいるから、私もやってみる。
  • みんなが教会に行くから、私はクリスチャンじゃないけど、ついていく。
  • みんなが保湿クリーム体中にぬりたくっているから、私もぬってみる。
  • みんなが聖書読んでるから、つられて私も買っちゃった。

 

今考えると、どれもほんとにちっちゃなことばっかりだけど笑、このちっちゃなマネごとに疲れてしまって。

 

だってこれ、よく考えてみたら“自分”ってものがないんです。

 

“自分”をどこかに置き去りにして、みんなのやることに合わせているだけだってことに気づいた。

 

あれ?私の考えや気持ちはどこ?

 

なんかマネすることが苦しい…。

 

マネすることだけが異文化理解だと勘違いしていました。

 

ケニアのみんなとは、考え方や価値観、習慣が違うのに、それを無理やり乗り越えようとしていました。

 

マネすることだけが、相手の文化を尊重することだと思ってました。

 

そこで一度立ち止まって考えてみた、“私って何者?”

 

◎マネして気づいた、私にとっての大事なもの

 

例えば、みんなが信じているキリスト教。

 

私は知りたくて知りたくて、毎週のようにいろんな教会についていってました。

 

讃美歌を歌ったり、踊ったり。

 

みんなからさんざん聞いた、全知全能の神様の話。

 

「あなたは誰がつくったと思う?―そう、神様よ。」

 

でも、どんなに話を聞いても、知ろうと思っても、やっぱりわからなかった。

 

私にとっては、キリスト教、未知なことだらけだった。

(↑友達の使い込んだ聖書を読んでいる私。)

 

 

そこで考えてみた、私にとってのモノの見方。

 

私にとっては、神道のように、山に神様、海に神様、木に神様といった「八百万の神」の存在のほうがしっくりくるなぁ。

 

別に神様は一人じゃなくて、もっと身近にいる気がする。

 

恋愛成就の時は、恋愛の神様のところに行って、受験の時は勉強の神様のところに行って…。」

 

「あぁ。日本人にとって、私にとって、ご先祖様の存在も大事よなぁ。そうそう、お盆にはご先祖様がおうちに帰ってくるんだっけ。亡くなった方の写真を家に飾っているなぁ。」

 

「私は、人の話を聞かずに、これが正しい!って決めつけてくる人と話すのはちょっと苦手かも…。」

 

こうやって、自分とひとつひとつ向き合っていきました。

 

自分を知るって作業は、今まで考えたことないから苦しくもあり、でも楽しくもあり。

 

その中で見つけた、私の大事にしている価値観や、これだけは譲れない!みたいな自分の芯。

 

これは、アフリカっていう、ケニアっていう、文化のまったく異なる環境に身を置いたからこそ見えてきたこと。

 

◎だんだんわかってきた、これが異文化交流かも。

 

“自分”っていうものをわかってきたら、友達との関係性も変わってきた!

 

それは、“わたし”をちゃんと伝えることができるようになったから。

 

みんなのマネばっかりしていたあの頃。

 

“自分”を見せずに、相手のことをわかろう、知ろうと勝手に追いかけ回して(笑)

 

たぶん、うざいヤツでした、私。

 

“自分”の意見や考えを伝える前に、そもそも私自身が私のことわかってなかったら、できるわけなかったんだけどね。

 

「私は、こういう風に考えるから、これいいと思う。」

とか、

「これは素晴らしいと思うけど、私にはちょっと合わないかなあ」

とか、

 

自分の基準や芯に照らし合わせて物事いえるようになってきた!

 

ちゃんと自分の腹を割って見せると、相手は信用してくれるんだ。

 

肌で感じた、みんなとの距離がぐんっと近くなった。

 

異文化理解って、まず“自分”を知ることから始まるんだ。

 

って学びました。

 

異文化理解って聞くと、なんだか外に外に、交流することだと思いがち。

 

それも正しいんだけど、その前に、「自分のことを知る、自分の芯を持つ」って作業が必要だったんだって気づきました。

 

でもね、これは、自分の意見を相手に押し付けるのとは違う。

 

自分ってのがわかって初めて、相手のことも尊重できるようになるような気がするんだ。

 

◎アフリカに行ったからこそ、自分を知れた。

 

私は、アフリカに行く前に、4か月タイでボランティアしてました。

 

そのときは、ここまで自分と向き合うことは正直ありませんでした。

 

だって自分の価値観で、現地の人とわかりあえちゃうから。

 

わかりあえないような困難に見えても、ちゃんと話せは分かり合えることがほとんど。

 

それは私もタイ人も同じアジア人

 

やっぱり、習慣、宗教、考え方、似てるところがたくさんあって。

 

アフリカはそう簡単にはいかなかった。

 

私の今までの常識がぜんぜん通じない。

 

私は私ととことん向き合わざるを得なかった。

 

でも、この経験を通して、学んだ異文化理解の大切な第一歩。

 

自分と対話をしたこと。自分の芯を見つけたこと。

 

この作業に終わりはないんだけど、その基礎を築くことができたって胸を張って言える。

 

これからもっともっと、自分と異なる文化背景を持つ人と交流するのが、楽しみ。

 

次はどんな出会いがあるかな~??

 

ここまで読んでくださってありがとうございました!!!!

 

私のケニアライフの楽しさ、苦労、ワクワク感、少しでも感じてもらえていたら嬉しいです。

 

 

 

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