障害観と国際協力で必要な[異なるもの]への理解②障害は社会の側にもある

はじめに

前回の記事では、教育の文脈で障害を分類する意図、そして医学モデルに基づく障害観が障害者に対する偏見やスティグマを助長してしまったことについてご紹介しました。

 

前回の記事はこちら↓

 

後編である本記事では、障害という考えのもとになるもの、国際協力を行う上で必要なことを考えてみます。

何が「障害」を生み出すのか?

そもそも障害という概念自体は何から生まれるのでしょうか。1つおおきな要因として挙げられるのは社会の価値観です。

 

たとえば、古典では、フーコーが『狂気の歴史』という本で近代ヨーロッパにおいて狂気がいかにして精神病と認識されていったのかを分析しました。彼の主な主張は、狂気は時代普遍的に存在したものではなく、その当時の西欧の価値観によってとらえられ方が変わる、というものでした。「理性」を重んじた古典主義時代、近代科学が誕生した近代以降では、狂気は「非理性」として捉えられ病として治療の対象になっていきます。しかし、古典主義時代よりも前、ルネサンス以前においては、狂気はむしろ神聖視されてもいたとしています(スマート 1991)。

 

時代による違いのほかに、地域による障害のとらえかたの違いも存在します。

たとえば、Talle(1995)はケニア、タンザニアのマサイ族コミュニティでは、スティグマと一緒に語られることの多い障害の捉え方は適用しにくく、また英語のdisabilityに最も近い単語は身体障害を意味する語だとしています。これは伝統的に遊牧を行ってきたマサイにとって長い距離を歩くことは生きるうえでの前提であるからです(もちろん、今は遊牧をせず生活スタイルを変化させているマサイもいます)。彼らにとっては、日頃生活するうえで必要なことができるかどうかが障害の捉え方に大きくかかわっており、その意味で、先に触れた精神病はむしろ「異常」(abnormal)として捉えられているのです(Talle 1995)。

 

このように、社会の障害の捉え方(障害観)によって、何をもって障害とするかの基準、ニュアンスが変わってくるのです。

 

現代の障害観とICF(※1)

医学的なアプローチに基づく社会の障害観は、障害を個人の中で完結しているもの、という前提に立っていました。これは障害の環境的な要因を見逃しているという点で、批判があったことは先述の通りです。

 

2000年になると、障害を個人と環境の相互作用から捉える障害観が登場します。これが障害の社会モデル(bio-psycho-social model)です。
例を一つ挙げると、日本では近視の人の多くは眼鏡やコンタクトを使用しており、それらがあれば日常生活で文字が読めないなどといったことはまずありません。しかし、まだ眼鏡やコンタクトがない時代、地域では、近視の人は生活に不具合を抱えるかもしれません。従来の障害観と最も違う点は、前者は近視でない人と同じ様に日常生活を送れるため「障害」とはとらえられず、後者は「障害」と捉えられ得る点です。このように、近視という個人の状態だけで障害となるのではなく、環境的な要因を考慮して「障害」なのかどうかを判断するのが障害の社会モデルです。

 

この記事内ではdisabilityを障害の一般的な訳語として使っていましたが、この障害の社会モデルを完成させた世界保健機関(WHO)の国際生活機能分類(※1)(ICF:International Classification of Functioning, Disability and Health)は、disabilityは個人の心身機能の障害を表す言葉ではなく、個人の持つ機能障害だけでなく、個人の活動や社会参加の制限をも含んだ言葉として使われています(個人の心身の機能障害はimpairment)(World Health Organization)。

 

障害を生み出すのはその人を取り巻く環境でもある、と理念レベルで障害観が転換したのです。

ペットボトルに砂を入れ、手指の運動をする児童

 

「異なるもの」への理解と国際協力で必要なこと

この障害観に基づき、2006年には国際社会で「障害者の権利に関する条約」が結ばれ、障害が「進化する概念(evolving concept)」であると明記されました(United Nations 2006)。社会や環境が、ある人を「障害者」とみなしている1つの要因であれば、100年後にはだれが「障害者」と捉えられるのかも変わり、そもそも「障害」という概念がなくなっていることも考えられます。

 

一方で、これまでいくら理念レベルで障害理解が変化しても、障害者に対する差別や偏見が続いているのは事実です。栗田(2015)は、日本における差別を未然に防ぐさまざまな取り組みが、実際には差別を表面化させず、むしろ見えにくくしている側面もあると指摘しています。
また、障害者への偏見の背後にあるものの1つに、「ずっと健康でいたい」「病気やけがは避けたい」といった、「死に直結するものの感染源を回避したい」という人間の心理が、障害者に対して抱く感情とリンクしていることを挙げています(栗田 2015)。社会の価値観といったマクロな要因だけでなく、人間ひとりひとりの心理や本能までもが要因になり得ます。それだけ、障害者に対する差別意識は根深いものです。

 

これまで見たように、障害は個人の中で完結するものではなく、社会と深く関連しているものであり、これは一人ひとりの何気ない行動が何らかの形で障害者を否定してしまうことを意味しているのだと思います。裏を返せば、「障害」という概念を見つめることは、自分が普段どのように自分とは「異なる」他者を判断しているのかを改めて見つめさせることに繋がってもいます。

 

ただ、「偏見は良くない!偏見はなくさなければならない!」と主張できればいいのですが、私自身、障害者に限らず他人に対して偏見がないかといわれれば、自信を持って「ない」と答えることができない自分もいます。
人は気づかぬうちに他者をこういうもの、と固定化することがあり、それがいつの間にか偏見に繋がり得ます。他方で健常者も障害者も単純に一括りにしてみんな均質であると主張するのではなく、日常生活に困難を抱える人を適切に認識することが、その人が快適に暮らせるような工夫を提供することにも繋がります。このバランスをどう取るかが肝なのでしょう。

 

だれもが快適な社会で過ごすには、つまるところ、その社会を構成する一人ひとりが相手を苦しめるような偏見・態度で他者と接していないかを常に自問する、反省的な姿勢が必要なのだと思います。

 

「障害」という、健常者と区別する概念が社会によって構成されているように、異なるものをラベリングする力は誰にでもあります。いくら偏見や差別意識を糾弾しようと言おうとも、その差別を助長するような構造に自分もまた身を置いている場合もあります。

 

これは「異なる」人と接するうえでの心構えとして、異なる文化圏の人と接することが多い国際協力分野でも特に必要なことなのだと思います。

 

ロストウという経済学者はかつて途上国の経済発展モデルを提唱しました。しかし、そのモデルは暗黙裡に欧米諸国を「発展した国々」、アフリカ地域などの国々を「未発展の国」と位置付けたモデルであり、さらにどんな文化的特徴を持つ国であっても欧米諸国がたどった近代化のルートをたどって発展していく、という思い込みにも基づいていたため、のちに批判されることとなりました。

さいごに

今年大学に入学する方の中には、国際協力の分野に興味を持っている方もたくさんいらっしゃると思います。国際協力分野では、語学力や知識として覚える他国のマナー、異文化理解力が必要だ、とよく言われます。

私が初めて海外に行ったのは大学入学後で、それまで国際協力とは全く無縁の暮らしをしていたこともあり、異文化に身を置く機会もなく、初めての海外渡航でアフリカのマラウイに訪れたときは驚くことばかりでした。正直自分に異文化理解力があるかといったら微妙なところです(そもそも異文化理解力ってなにを意味しているんだとも思いますが)。ただ、確かにそれらも大事なのですが、上のような心構えについては、だれでも始められることでありながら、意外と忘れやすいことなのではないでしょうか

 

自分とは「異なる」人々に偏見を持って接していないかどうか、常に認識を更新する姿勢こそ国際協力を行う上では求められるんだ、と改めて提案したいと思います。自戒の意味を込めて。

 

マサイの小学校からみるキリマンジャロ山

 

参考文献
  • 栗田季佳(2015)『見えない偏見の科学-心に潜む障害者への偏見を可視化する』校と大学学術出版会.
  • スマート,バリー〈山本学 訳〉(1991)『ミシェル・フーコー入門』新曜社. 〔原著〕Smart, Barry. (1985) Michel Foucault. London: Ellis Horwood.
  • Talle, Aud (1995) A child Is a child: Disability and Equality among the Kenya Maasai. Ingstad, Benedicte. and Whyte, Susan Reynolds. (1995) Disability and Culture. pp.56-72. Berkeley, Los Angeles, London: University of California Press.
  • United Nations (2006) ‘Convention on the Rights of Persons with Disabilities (CRPD)’. https://www.un.org/development/desa/disabilities/convention-on-the-rights-of-persons-with-disabilities.html(2019年4月閲覧)
  • World Health Organization. ‘International Classification of Functioning, Disability and Health (ICF)’. https://www.who.int/classifications/icf/en/(2019年4月閲覧)

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