JICA海外協力隊として2年過ごしたベナンに戻り、ベナン人の相方ダウダと、街の衛生環境改善に向けて活動します。
専門の公衆衛生で社会貢献したいという夢がある相方は、私と同じ25歳。
私がやりたいことができる環境にいて、彼がやりたいことができない環境にいるのは、私が日本の平尾家に生まれたから、彼がベナンの彼の家に生まれたからなのでしょうか。
そんなのって、悔しすぎる。
だから、私は彼の夢を応援したい。そして私自身も彼と働き、隊員の頃のようにまたワクワクしたい!
支援して頂いたお金は活動資金の一部とし、主にゴミ収集車購入費(23万円〜)にあてます。
ベナンでの私と彼の挑戦を応援して下さる方、どうかお力添え頂きたいです。
この記事の目次
わたしのプロフィール
今回の活動のきっかけ
ベナンでの協力隊としての2年間
協力隊としてベナンにいた時、楽しいことや嫌なこと、落ち込むことの嵐で、毎日がとても濃かったです。
私は、ベナン北部の都市ジュグーの市役所でボランティアとして働き、小中学校で衛生啓発を行ったり、複数の学校を巻き込んだ学校清掃コンクールなどを企画していました。
協力隊で派遣された「ジュグー市役所のボランティア」は私が行きたかったポストではなく、JICAが私に選んだポストでした。
衛生やゴミ問題、感染症の予防など、行く前はまったく興味も知識もなく、私自身も手洗いの習慣が身についていないような人間でした。
ですが、取り組んでいるうちに、公衆衛生の分野の面白さと大切さに気が付きました。
同時にジュグーの衛生状況について私に何ができるか考え、そのアイディアで周りを巻き込み、実現していく過程がすごく楽しくなりました。
自分が思う通りには進まない現場で奮闘しながら、どうにかこうにかアイディアを形にしていくのがとても楽しかったです。
ベナンから帰ってきて思ったこと
実は、ベナンでの任期を終えて帰国してから1週間後には、ぼんやりと「ベナンに戻りたいかも」と思っていました。ですが、日本社会の働き方から外れるのが怖くて2~3週間は決めきれずに迷っていました。
私はベナンでの任期も残り3ヶ月というあたりから少しずつ求人を見て、いくつか応募もしていました。2年現場でやってすごく楽しかったし、これからも国際協力の世界でやっていきたいと強く感じました。特に、西アフリカとは関わり続けていたかったです。
帰国した当初はベナンにすぐ戻るという選択肢はありませんでしたが、当時興味のあった開発コンサルの求人を眺めていて「どの企業に入っても、ジュグーの、私が知っている人たちに届く仕事ができないんだな」と思うにつれ、ジュグーで今の私にもできることがあるのに、なぜわざわざよそのフィールドを探す必要があるのか疑問に思いました。
そして、私はベナンで、というかジュグーでまた活動したいんだとやっと自分で受け入れることができました。
ダウダをこのまま放っておくのが悔しい
「ジュグーで今の私にもできることがある」と感じたと書きました。
私は、仲間がいれば私にもジュグーで働くことはできると実感したし、加えて隊員時代に一緒に活動したある市役所のインターン生のパッションをこのまま埋もれたままにさせるのがイヤでした。
彼の名前は、ゴミナ・ダウダ。
記事の冒頭で紹介した、ジュグーの農村部で生まれた、私と同じ25歳の青年です。
市の奨学金で医療系専門学校で公衆衛生学を学びましたが、学校を出ても仕事がありませんでした。
「社会に貢献する仕事で生計を立てられるようになりたい」との思いがあっても、まさに社会に役立つ公衆衛生の知識を活かせる仕事は見つからず、とはいえ毎日の生活費を稼がなければ生きていけないので、バイクタクシーの運転手をしています。
彼は、彼と同様職にあぶれる公衆衛生の技術士を結集させて団体を設立しようと試みたことがありますが、彼以外のメンバーのモチベーションが低かったことと、彼のパソコンが盗まれて書類作成などの事務作業ができなくなったことで、団体設立はそのまま流れたそうです。
私は有り余るほどの現地生活費をJICAからもらい、市役所のボランティアとして活動していました。
他方ダウダは、日中はインターン生として私との活動、夕方以降深夜までバイクタクシーでお金を稼ぐ毎日です。
市役所のインターン生は無給で、私たちが行ったプロジェクトも最低限必要な物品の分しかお金を集めることができなかったので、一緒に活動する彼らへの給料はゼロでした。そして私が帰国し、ダウダはまた活動をする場をなくしました。
協力隊としてベナンで2年間活動をすることができたことを含め、私は声をあげればやりたいことができる環境にいます。
でも、私と同い年のダウダは、やりたいことがあっても実行するのは難しいです。
自分で新しい事業を始めようにも、日々の生活に精一杯なのでそんなお金はありません。じゃあ活動資金を寄付してもらおうと思っても、ベナンのエライ人はたいてい無名の若者の話を聞きません。
それはきっと私が、日本という先進国の、私の家族に生まれて、彼が後発開発途上国のベナンのとある村の、彼の家族のもとに生まれたからです。
人は、生まれる環境を選べないのに、生まれた環境によって人生が大きく左右されます。
とにかく不条理だと思いました。そして、そんな現実であることが悔しかった。
どこかの組織や企業に就職したら世界をよりよくする仕事がもっと大きなスケールでできるかもしれないけど、ジュグーの、私の知っている人たちには届かない。ダウダには、届かない。
そう思いました。
なぜ、街の衛生環境改善なのか?
ジュグーの衛生環境改善に再び取り組む理由は、それがダウダと私がやりたいことだからです。ダウダの言う「社会に貢献する仕事」でもあるし、私自身も街の衛生環境改善はいわば縁の下の力持ち的な、誇れる仕事だと思っています。
お医者さんは患者の病気を治して感謝されますが、下水道を整備した人たちは、水洗トイレを普段使っている住民から感謝されません。でも、下水道と水洗トイレが普及したことで、排泄物を介してかかる糞口感染症への感染と、それにより苦しむ人は格段に減りました。
感謝されないけど、社会に確実に必要なのが公衆衛生です。かっこよくないですか?
ジュグーの街を歩けば、目立つのはゴミ。そもそもポイ捨てが日常的なので散らかるゴミが目に付きますが、家庭ゴミ収集システムが小規模にしか機能していないため、ゴミの行き場がないのだと私たちは考えています。
どのくらい小規模かというと、人口およそ30万人のジュグーで、家庭ゴミ収集の対象となっているのはおよそ3,000人程度だと言われています。
収集されない家庭ゴミはどうなるかというと、住宅街の空き地に近隣住民のゴミがたまっており、時々誰かが燃やします。
そうしたゴミ山では子供たちによる野外排泄も日常的に見られ、ゴミの悪臭がするほか、ハエやネズミなどの害虫・害獣を招き、雨がたまると蚊の発生源にもなります。
生活環境のすぐ近くにあるこうしたゴミ山を、私たちはなくしたいです。
また、家庭ゴミ収集という仕組み以外にも計画中の活動があります。地域の代表者やモスクに協力してもらって住民をグループ化し、グループ内で各家の清潔さやゴミ捨ての仕方についてチェックしあったり、住宅街の道の清掃活動を促そうという試みです。
ポルカ支援のお願い
こうした経緯で、私はダウダと再びジュグーで活動します。彼が活躍できる場を作りたくて、街の衛生環境改善に一緒に取り組みます。
まずは家庭ゴミ収集事業が資金面で自己完結するよう、事業を始め、規模を拡大することが当面の目標です。
今回、ゴミ収集事業の肝心の初期投資であるゴミ収集車の購入のために、polcaでみなさんにご支援をお願いしております。
初めはすべて自腹でやろうと思っていたのですが、ゴミ収集車が予想以上に高く厳しいため、ご支援を募っております。
購入するゴミ収集車を決めるのは私が現地に行って現物を見てからですが、現在購入を検討しているものは23万4800円のものか、45万1600円のもの。値段の違いは、容量と耐久性、デザインの違いによるものです。
私の想いに共感し、応援してくださる方々からいただいたお金は責任をもってゴミ収集車の購入に使わせていただきます。
ベナンの村に生まれたから、やりたいことに挑戦できなくて当然なのでしょうか。彼を応援する私の挑戦に、どうかお力添え頂けますと幸いです。