ベナン共和国、コドワリ村に青年海外協力隊、コミュニティ開発で派遣されている福井沙織です。
前回はコドワリ村について簡単に紹介させていただきました。
今回からは村に住んでいて感じ、考えたことを書いていきたいと思います。
皆さん、題名の「食べ物シェア」と聞いてどのようなイメージを持ちましたか?
日本だとみんなで取り分けて食べる、半分ずつ食べるなどでシェアするという言葉を使うと思います。
このシェア、実はコドワリ村でもあるんです!笑
コドワリ村に配属されてからは、村人に顔を覚えてもらう、村の様子を知るために毎日村中を歩き回っていました。
お昼近くになるとご飯の準備をし始めるのですが、そろそろ帰ろうと思って立つと、「もうすぐできるから、食べていくでしょ?」と言われてご飯を頂いたり、朝ご飯を食べているおじいさんと目が合い、挨拶を交わしたついでに、「一緒に食べよう!」と勧められて一緒に食べさせてもらったり、ほとんど毎日食に困らない日々が続きました(笑)
そして今もそうですが、夜ご飯は毎晩隣のお家にお邪魔して一緒に食べさせてもらっています。
はじめの頃はこんなに食べるのを勧められたことはないので、正直戸惑い、断ったりもしていましたが、断ると「怖がっているの?」と言われたり、残念がられることが多く、断ることも辛いなと思い、一緒に食べるようにしたら、やはり関係性も深まっていき、できるだけ一緒に食べるようになりました。
そしてこのシェアは外国人の私だけではなく、村人同士でも行われます。
自分が食べるときに誰かがいたら、「食べましょう」と声かけを行っている光景はよく見ます。
挨拶みたいなものですね。
このような経験から、
・毎晩夜ご飯を食べに来るって迷惑と感じていないのだろうか?
と思うことも多く、特に夜ご飯は食べに行かない方が良いのかなと思うこともありました。
そして日々このような疑問を持ちながら過ごしていると、あることに気づきました。
それはご飯をくれるというのは村人にとってコミュニケーションツールであるということ。
言葉が通じなくても、ジェスチャーで「食べなさい」とも言えるし、おいしいも伝わるし、自分が作ったもの、おいしいと思ったものを外国人にも「おいしい」と言ってもらえると嬉しいというのは、村人の中にもあるのかなと思いました。
村を歩いていて、「普段何食べているの?」と聞かれて「ベナン食を食べているよ!」とか実際に私が外でベナン食を食べている姿を見てとても喜んでくれる人がたくさんいることに気がつき、
・私も日本食を「おいしい」と言ってもらえたら嬉しくなるのと同じだな!
・自分も日本にいたら、日本食を食べてもらいたいと思うのと同じだ!と思いました。
最近は村での生活も慣れたということもあり、ご飯をもらうことも少なくなりましたが、「食べる」ことを通じて、村人から最高のおもてなしを受けていたのだなと振り返ります。
そして夜ご飯については、夜ご飯をくれるマダムに思い切って聞いてみました。
確かにお世話になっている分、都市へ出かけたときはできるだけお土産のパンを買って帰ったり、携帯電話の充電をしてあげたりなど、自分もできることはやっていて、相互依存の関係ではあるなと思っています。
思い切って話をすることで、改めて相手の気持ちも知ることができ、話して良かったなと思った出来事でした。
(↑数人で同じお皿のご飯を手で食べるのはこちらでは普通。よって私は(皿)の表現の方が気に入っています笑)
◆食からコミュニケーションは生まれる
◆依存することも時には大事
◆人間の豊かさはお金で決まるのではなく、人とのつながりの中で生まれる
◆お金がなくても、儲けにならなくてもシェアしてくれる。
◆損得関係なしに素直に人とつながりをちゃんと持つことができる。
だから村人は力強く生きることができているのかなと思います。
そんな人で私もありたい。
「食べ物シェア」編、いかがでしたでしょうか?
日本とは少し違うシェアかと思いますが、ベナンの文化も知ってもらいつつ、改めて「食」についても考えるきっかけになれば幸いです!
次回の投稿もお楽しみに♪