牧野拓朗と申します
自己紹介
現在29歳・東洋大学生(夜間生)、2回目の大学生、離職経験2回。今後の目標は「途上国で教育の普及」。突然西アフリカのセネガルに移住して養鶏場を始めたアラサー。いずれ、セネガルでサッカーチームやダンスチームをつくり地域の活性化に繋げることを画策中。ポリシーとして、ものごとを楽しんでやることが最優先事項。
下記のものが前回の投稿記事になります。ご覧になられていない方は、先にお読みいただいた方が今回の記事を理解しやすいと思いますので、よければご覧になられて下さい。
▼前回記事はこちらです▼
初めに皆さんの固定観念を払拭させて頂きたいのであえて言わせて頂きます!!
セネガル人「西アフリカ」(アフリカ人)は日本人と習慣や環境、思考、骨格の面で異なる面があるかもしれませんが、
当たり前のことなので言うまでもないですが、アフリカ大陸上で生きているセネガル人も私達と同じ様な感情を抱き、同じように食べて寝て、笑う同じ人間です!
上記の根拠は
日本の都市部ならまだしも、地方であればアフリカ人を見かけることは稀有に等しいかと思います。大半の日本人の方はテレビや雑誌、SNSなどのメディアからの情報を頼りにアフリカやアフリカ人に対して漠然としたイメージを抱いているのではないかと思います。
そのため、私達は頭のどこかで日本人とアフリカ人は全く異なった人種なのでは?といったことをふと思うことがあるかもしれません。
ですが皆さん聞いて下さい!
私はセネガルのごく一部の地域しか知りませんが、その方々も私達と似たような体型の方もいますし、より良い生活環境を求めて働きますし、困っている人がいれば助けますし、お洒落もしますし、恋愛結婚もしますし、お米も食べて毎日体も洗います、携帯も大半の方が持っています。
確かにアフリカを一括りにすることは出来ませんが、住んでいる大陸が異なるだけで、私達と思うことすることは似たり寄ったりです。
今回は、直近のセネガルでの鶏販売模様について書かせて頂きます。
西アフリカ・セネガルで今まで450羽の鶏(ブロイラー)を売らせて頂きました
普段の出荷前の様子
鶏の命に敬意をはらい書かせて頂きます。
現地語や公用語が5%ほどしか話せない私が鶏をどの様な方法で現地の方に販売を行ったかについて書いていきたいと思います。
私は今まで2回鶏を出荷しています。(私の鶏は飼育開始から30~40日程で出荷可能)今回は第2回目の出荷時の販売模様について。
第2回目の羽数は、第1回目の飼育羽数の2倍である300羽ということもあり、今回は300羽を売り切ることは凄く困難だと販売前は不安を抱いていました。
もし、鶏が販売できないと牧野養鶏場の経営難の可能性(汗)、または鶏の死という問題が発生してしまうので、、、ある日「どうにかして売り切ってみせる」と自分の中で勝手に誓いました。
第2回目の販売時期に誓はないといけなかった理由は、第1回目の販売の際は極僅かな現地の知り合いの方が牧野養鶏場オープン祝いとして鶏を購入して下さったり、相場より凄く低い価格で他の方に販売を行いました。だから第2回目からは純利益が出る価格設定で売り切りたかったからです。
そうです!!第1回目は大部赤字だったんです。(貯金が減っていく~)
ですが、この結果も予想の範囲内ではありました。といいますのも、私のアンテナによるとセネガルで養鶏場ビジネスはいけるとは思っていましたが、活動地での鶏の詳しい市場状況も知りませんでしたし、現地の方の知り合いも無に等し状況だったからです。
事前につかんでいた活動地の情報としては、「空港の近くでこれから経済発展していく地域」であるといったことだけでした。よくこんな情報しかないのにセネガルでの養鶏場ビジネスによく飛び込んだなと、、、今改めて思いにふけっている牧野です。(独り身だからこそ出来る賭けですかね)
なので、私は第1回目の販売を通して活動地の住民の方に対して「牧野養鶏場」を少しでも多くの方に認知してもらうことを最優先事項に考え、私の鶏を買って頂ける方にはご愛敬の価格で販売しようと考えていました。(ことわざにある「損をして得をとれ」ですかね。得をとれたかは定かですが、、、)
第2回目の販売時期を迎えた時は、第1回目の販売や現地で1ヵ月程生活を送ったことで、養鶏場周辺の事情が少しずつ分かってきていました。
また、自分の力でどこまで出来るかやどんなことが出来るのかを知りたかったので牧野なりのやり方で、第2回目の鶏が出荷時期を迎えてからはがむしゃらに動きだしました。
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