単身アフリカに飛び込んだ高2女子が考える「希望を授ける教育」とは?

 

こんにちは!鈴木希授(まれじゅ)です。

私は高2の夏に、タンザニアとウガンダへ教育ボランティアを行うために留学しました!前回は主に渡航前の準備やこれからアフリカへ行かれる方へのアドバイスなどを記事にさせていただきました。まだご覧になっていない方はこちらもチェックしてみてくださいね。

 

私の夢

私には希授という名前の通り、「世界中の子どもに希望を授ける国際人になる」という夢があります。この夢を持った時、私は全ての子どもが教育を受けられることだけが正義だと信じていました。

 

しかし、深く考えていくうちに、そうは言いきれないのではないかと思うようになりました。その一例が少数民族や部族の子どもたちだと思います。そこで私は「伝統と教育の両立」をテーマに留学を決意しました。

 

Ndoto yako ni nini?の答え

"Ndoto yako ni nini?"

私が東アフリカで挨拶以外に一番使ったスワヒリ語です。

 

意味は、あなたの夢はなんですか?」

 

 

「希望を授ける」ためには子どもたちの夢を知る必要があると思い、夢のインタビューを始めました。子どもたちは簡単な英語は話せましたが、通じない部分はスワヒリ語を使ったり先生に通訳をお願いしたりしていました。

 

その中でも印象に残っているのは一人の6歳の少年の夢です。彼はホームステイ先の近所に住んでいて、ホストマザーと仲が良かったので毎晩一緒に夕食を食べており、夕食ができるのを待っている間、暗い中庭でサッカーをするのが日課でした。

 

この日も同じようにサッカーをしていましたが、ふと、今夢を聞いてみようと思いました。

 

Ndoto yako ni nini?」と尋ねると、彼は「This!」と空を指さしました。指の先には満点の星。空になりたいの?星になりたいの?スワヒリ語が流暢でない私は英語で尋ねましたが、彼は分かっていない様子でした。諦めてホストマザーに聞こうかと思いましたが、彼の真剣な目を見ると、何としても自分で理解したいと思いました。

 

その後ジェスチャーを交えてたどり着いた彼の夢は、「空を飛ぶこと」でした。私は飛行機から撮った写真を見せて、パイロットになったら空を飛べるよ、と教えました。

 

 

私にとって初めて誰かに希望を授けられた瞬間でした。あの時、彼が指さした満天の星空と星以上に輝いていた彼の瞳が忘れられません。彼の夢がこの先も空を飛ぶことであるにしてもこの先他の夢を持つにしても、彼の夢が叶うことを願っています。

 

マサイの村で知った伝統の重み

アルーシャ近郊のマサイ族の村でも活動をしました。この村の3歳から6歳が通う学校で教えていた時、疑問に思うことがありました。名簿には男女同数ほどの名前があるのに、出席しているのはほとんどが女の子だったのです。

 

先生にそのことについて訪ねると、男の子たちはお父さんと一緒に牛の放牧に行っていると言われました。伝統的にマサイ族は牛を大切にしており、結婚できるかどうかは牛の数で決まることもあると言われるほどです。学校が終わってから、クラスの子のお家を訪問し、そのお母さんとお話した時もそういわれました。

 

「牛をたくさん買うのがマサイの男にとって一番幸せだから、10歳になったら息子は学校に行かせない。」

 

衝撃でした。でもその時の私は、「よそから来た、彼らの伝統や習慣をわかっていない私がこの伝統を壊してはならないし、壊すことは出来ない」と思いました。

 

教育は可能性を広げるものでなくてはなりません。マサイ族や少数民族として生きる道も、都市部で働く道も、どんな小さな可能性でも教育によって削られるものがあってはなりません。そんな教育ができる人になるために、この経験は忘れられないものとなりました。

 

映画上映を通じて見つけた2つの教育

ウガンダではcinema starsさんという団体のツアーに参加させていただきました。タンザニアでは学校教育を主に学んでいましたが、ウガンダでは学校で教えるような教科の教育ではなく、子どもたちに経験を通して学んでもらう教育が知りたいと思い、参加しました。

ツアー中は映画を知らない子どもたちに初めての映画体験を届けるという活動をしました。また、子どもたちと共に一つの映画館を作りあげるワークショップも行いました。ワークショップを通して子どもたちの目がどんどん輝いていく感覚は新鮮でした。

 

この経験から、私は「希望を授ける教育」ができる人になりたいとより強く思うようになりました。タンザニアで学んだのは夢を叶えるための教育、ウガンダで学んだのは夢を持つための教育だったと思います。私は将来この二つを取り入れて子どもたちに希望を授けたいと思います。

 

ムネニア村への道中感じたアフリカらしさ(苦笑)

私はアルーシャという都市部の街でホームステイをしていたのですが、週末と祝日を使ってアルーシャからバスで6時間半ほどかけてムネニアという村へ行ってきました。

 

「コロって駅に行きたい。」と言うと「5時間で着くよ。着いたら教えてあげるから一番前に座りなよ。」というチケット売り場のお兄さん。運転席のすぐ後ろの席に座らせてもらった・・・ところまでは良かったんですが。

バスの発車を待っている間、お菓子や飲み物をもった人たちが次々に乗り込んできては、「ニイハオ!チナ!ソーダ!スナック!」と商品を売りつけてきます。

 

Mjapani! (日本人!)」と言いつつも、ファンタ一本くらいいいかと思って買ったところ、どんどん増えていく売り子さんたち。「安くしとくから時計買わない?」「電話番号教えてよ。」「日本に旦那か彼氏いる?」人懐っこいタンザニア人は大好きなんですが、あれはさすがにしつこかった!(笑)

 

そんなこんなでバスは出発し、車窓を見ているとあっという間に5時間が経ち…「もう着く?」「あと15分。」この会話を何度したことか。6時間半が経った後、やっと私が下りる駅、コロに到着しました。

知り合いの元青年海外協力隊の方が村の子どもと一緒に待っていてくださっており、そこからバイクタクシーで村へ向かいました。

 

カラフルな村ムネニアでの忘れられない経験

アルーシャのホストマザーはホームステイの受け入れに慣れていたので、食べ物も日本での食事に近いものでした。ムネニア村でウガリ(トウモロコシなどの粉から作ったおもちのようなもの)をホームステイ先のママと一緒に作ったのですが、それまでウガリを食べたことがないというと「タンザニアで1週間何を食べて過ごしてたの?」と驚かれるくらい全くと言っていいほどアフリカのリアルな暮らしを知りませんでした。

この村で一番印象に残っているのは何と言ってもこのカラフルさです。私もムネニア絞りと呼ばれる染め方を体験させてもらいました。

 

 

この村ではほとんど電波が来ず、近くの街へ行くのも一苦労。決して便利とは言えない生活を送っていました。それでも村の人たちの絶え間ない笑顔のびのびと育っている子どもたちの様子、畑を案内していただいた時に見た自給自足の生活に、経済的な指標では測ることができない豊かさを感じました。

 

たった二日間でしたが、またここに帰ってきたいと思えるほどの幸せな時間でした。ほかにも地元の学校に行ったり、ダンスをしたりと6週間の中でも一番充実した二日間でした。

 

私の経験を楽しんで読んでいただけましたか?

私が見てきたのは決してアフリカのいい側面だけではありません。そして私が書いたものだけがアフリカのすべてではありません。それでも私の記事を通して、少しでもアフリカのことを知っていただけたら幸いです。

 

そして、少しでもアフリカに行きたいと思っている方、私は高校生で、女性で、家も特別裕福というわけではありません。それでもいろいろな偶然が重なって、たくさんの協力を得て、アフリカへ行って人生が変わったと思っています。子どもだから、女性だから、お金がないからなんて理由で行くのを諦めないでください。

 

私と同じようにアフリカへ行って魅了される人を少しでも増やすために、これからも私の経験を発信し続けられたらいいなと思います。もっと私の活動が知りたいと思ってくださった方はInstagramのアカウントへお願いします!

 

それではいつかアフリカでお会いしましょう!ありがとうございました!Asante sana!