お好み焼きを焼くことも医療。スーダンで感じた「背景を治療する」医者の心

こんにちは。秋田大学医学部医学科4年の宮地貴士です。

 

今回は医学生挑戦記の第二弾となります。前回の記事はこちら↓

 

第二弾
原体験はスーダンにあり!?
お好み焼きを焼く医学生の誕生物語

 

 

「本当に医者になるの?」

 

お好み焼きを焼いているとよく言われます。私はなぜ、こんなにもお好み焼きを焼き続けることができるのか。そこには、医者になることを決意した瞬間から今日までぶれない思いがあります。

 

それは

「病の”背景“を治療したい」

ということです。

 

では、私が言う病の“背景”とは何か。それを、本記事で紹介していきます。

ザンビア風お好み焼き出店の様子

国境なき医師団を見て医師に憧れるが・・・

私は中学二年生の時に国境なき医師団を知りました。

「目の前の命つなぐため、身を粉にして活動する。そこには、国家や人種・宗教といった枠組みはない。」

上記は、国境なき医師団の掲げる理念です。

 

この崇高な理念に共感し、私もその一員になることを決めました。

 

しかしながら、高校生になると大きく進路に迷いました。世界の歴史や経済を学び、貧困、紛争、テロ、移民、難民などの諸問題が複雑に絡み合う構造に驚嘆したのです。

 

「医師として目の前の一人を救うことが病の元凶、ひいては諸問題の解決に向けたアプローチとなるのか。」

 

自問自答する日々が続きました。

お好み焼きを焼くことだって医療

 

そんなある日、「病の背景を治療する医師」という文章が飛び込んできました。

 

私がその文章を初めて目にしたのはNHKの「プロフェッショナル仕事の流儀」でした。

 

この言葉は、スーダン共和国で活動する国際NGOロシナンテスの代表であり医師の川原尚之先生の言葉です。

 

後日、先生に直接お会いし、「病の背景を治療する医師」についてご説明いただきました。

 

「医療とは病気を治すことだけではなく、その人の生活をより良いものへとすることである。その意味では、衛生環境を改善することや教育だって医療に含まれる。ロシナンテスのやっていることは、病の“背景”を治療することなんだ。」

 

このメッセージを聞いたとき、私の心がすっきりと晴れました。医療の本質は、

 

人々の命を支えることであり、医者というのは肩書でしかない

 

ことを知ったのです。

 

大学2年生の夏、私は念願を叶え、ロシナンテスの活動地であるスーダンへ渡りました。川原先生の話す「病の“背景“を治療する」とは具体的に何を意味するのか。自分の目と耳で体感したかったのです。

 

ロシナンテスの活動は想像以上に多岐に及んでいました。巡回診療や病院建設に加え、井戸開発、スーダンという国の事情に合った医療機器開発、南スーダン出身の学生との交流事業などです。

 

ここでは「疾病を治す」といった狭義の医療ではなく、人生を豊かにするものとしての医療が広がっていました。

スーダンでナンバーワンの観光地、タカ山を背景に

 

スーダンでの活動を通して、「病の背景を治療すること」「発展途上国と呼ばれる国にも多くの魅力がある」ということを実感しました。

 

この経験をもとに、僕はお好み焼きを焼くことも医療であると考えるようになりました。
スーダンでの経験が今の私の考えの根底にあります。

 

経済的な格差という病の背景を治療する、つまり、お好み焼きを販売し、お金を集めることで、ザンビアのマケニ村の人たちの生活を支えることができるからです。

 

ではなぜ、「ザンビア風お好み焼き」なのでしょうか。お金が必要ならば、メンバーが一生懸命バイトした方が早いでしょう。実はその理由もスーダンでの滞在経験にあります。

 

“発展途上国”で感じた幸福のモノサシ

いわゆる発展途上国に初めて訪れた私は、自分がこれまで抱いていたイメージと現実とのギャップに心の底から驚きました

 

最も驚いたのは、貧しくてかわいそうな生活を強いられていると思い込んでいたスーダン人の人柄です。お節介の精神で他人に全力で介入してくる人々。大らかで寛容な気性。

 

人と人のつながりが強く、うつ病や自殺が起きるような風潮もほとんどありません。またスーダンには、日本人も見習うべき程のおもてなしの心がありました。

 

私たち部外者に対して、幾度となくお茶を振る舞い歓迎してくれたのです。さらに驚くことに、スーダンはシリア難民をビザなしで受け入れ、教育や医療サービスを自国民と同様に提供しているのです。

 

確かに経済的にみればスーダンは発展途上国、貧しい国として定義されるかもしれません。日本は先進国、豊かな国なのかもしれません。

 

しかしスーダンでは、人と人のつながり、コミュニティの完成度、生きることへの泥臭さという点に置いて、私たちには測りがたい“幸福のモノサシ”があると感じたのです。

 

一人一人価値観は違い、どちらが正しいとは言い切ることができません。それでも、お互いの社会を尊重し学び合えるような関係性を作っていきたいと思いました。

 

スーダンでナイル川に飛び込み魚を捕る私

 

ザンビアの村にもスーダンのそれと同じように温かいコミュニティが広がっていました。

 

だからこそ、「病院がなくて困っているから支援してください。」ではなく、日本人に現地の文化を伝え、それが自然と支援になる形を創っていきたいと思っています。その想いが“ザンビア・ブリッジ”という企画名に込められています。

 

(ザンビア・ブリッジの詳細は第一弾の記事をご覧ください。)

 

医学生がザンビア風お好み焼きを焼き続ける理由。

 

それは、

この行為も幅広い意味での医療だと考えているから。そして、この活動によって現地の良さを日本人に伝えたい。

という思いがあるからなのです。

 

次回は活動から学んだ教訓、そしてザンビアブリッジの今後

一方で、私たちの取り組む支援のカタチは従来と変わりありません。どんなきれいごとを並べたとしても、日本でお金を集めて現地に送り届けるという古典的な支援方法です。

 

支援活動を始めてから一年が経った今年の春、私は2回目となるザンビアを訪問しました。

 

診療所建設の進捗確認、そして村の人たちの喜ぶ姿を見たかったからです。しかしながら、プロジェクト発足当初見られた村の人たちの積極的な姿勢はどこかにいってしまっていました。

 

日本国内で資金集めをしてきた私たちと現地の人たちとの間に大きな温度差が生まれていたのです。

 

第三弾は、その温度差の正体と、そこから学んだ教訓・今後の展望をご紹介します!

 

 

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