海外渡航経験ゼロ、英語力ゼロだった私がなんでJICAに就職したのか

こんにちは青柳直希(あおやぎなおき)と申します。大学卒業後、新卒から国際協力機構JICAで働いています。

 

JICAに就職するのって、特別な英語スキルがあって、かつNGOの立ち上げやバックパッカー世界一周のような特別な経験がないとなれないんでしょう、国際協力を仕事にするのって敷居が高いよね。

 

という考えを変えたくて寄稿しました。

この記事を読んでくれた人が、少しでも海外に関心を向けて行動してくれると嬉しいです。

 

特別な選ばれた人たちが世界を変えるんじゃなくて、本当は自分たち一人一人が世界を変える可能性を持っているんだよ!ってことを気づいてくれると嬉しいです。

プロフィール

青柳直希(あおやぎ なおき)
1991年 福岡県出身
マラウイ在住|大学卒業後、2015年JICA入構|国際緊急援助隊事務局、人間開発部基礎教育グループを経て、マラウイ事務所|アフリカ盆通りBON for AFRICA実行委員会|24歳まで海外経験ほぼ無し。初めてアフリカ大陸に足を踏み入れたのは26歳

JICAってどんなことしているの?

独立行政法人国際協力機構(JICA:Japan International Cooperation Agency)は、日本の政府開発援助(ODA:Official Development Assistance)を行う実施機関として、開発途上国への国際協力を行っています。

 

組織のビジョンは、「信頼で世界をつなぐ」です。(https://www.jica.go.jp/about/vision/index.html

「JICAは、人々が明るい未来を信じ多様な可能性を追求できる、自由で平和かつ豊かな世界を希求し、パートナーと手を携えて、信頼で世界をつなぎます。」

 

国内15拠点https://www.jica.go.jp/about/structure/domestic/index.html
海外約100拠点https://www.jica.go.jp/about/structure/overseas/)存在しています。

 

それぞれの国や地域で、有償資金協力、無償資金協力、技術協力プロジェクト、研修事業、草の根協力などを実施しています。

なんで国際協力機構(JICA)で働こうと思ったのか?

学生時代

大学では、体育会のアメリカンフットボール部に所属していました。この部活で精神的にもかなり鍛えられたので、今は大抵のことがあってもヘコたれない性格になっています。

 

この部活では、日本一を目指して取り組んでいましたが、大学の間に日本一を達成することはできませんでした。

 

しかし、一緒に戦う仲間(選手・マネージャー・トレーナー)や食堂のおばちゃん、病院の先生など色んな人に支えられて4年間を終えて、いろんな人への感謝の気持ちを感じました。

 

この部活を通じてもらった色んな感謝を、社会に出たらより多くの人に返していきたい!そんな気持ちで就職活動に突入することになりました。

 

ちなみに勉強面ではこんな研究をしていました。
(論文:
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jmps/111/6/111_160506/_article

しかし、入学から4年間は、ほぼ研究はしていなかったので、留年することとなりました。

就職活動

部活引退後に、就職活動を始めることにしました。

 

周りの就活生はインターンをしてて、自己分析もバッチリしていて、すごく準備が進んでいるなと思いました。

 

ちなみに僕はインターンをしたことがありません。何もしていない、そして将来何をしないかもよくわらかない自分に焦っていました。

 

その時に、大学で開かれていたセミナーにてJICAがブースを出展しており、「JICAも就職できるんだ。」ということを知りました。

 

そして、その時にふと自分の人生がいかに恵まれていたか、いかにラッキーだったかを考えました。

 

ヤギ
世界には自分よりはるかに若い年齢で戦争に行ったり、日本だと簡単に治る病気で命を落としたり、飢えで死ぬ人がいる。今、自分がここにいるのも、たまたま日本に生まれたから。もし自分が違う国に生まれていなかったら、こうはならなかった。そんな世界を変えたいな。

 

そんな思いで、JICAへの就職を希望することになりました。

 

就職活動はJICA以外にもメーカーや商社を受けていましたが、面接官の人柄に惹かれたこともあり、JICAのことが好きになりました。そして、運良くJICAからの内定を頂きました。

 

今になって分かりますが、僕がJICAに新卒で入社できたことは本当にただ運が良かっただけです。

JICAで働き始める

職務経歴
2015年4月 入構、国際緊急援助隊事務局配属
2015年8月 フィリピン事務所にて3ケ月研修
2015年11月  国際緊急援助隊事務局
2017年6月 人間開発部基礎教育グループ
2019年6月 マラウイ事務所

フィリピンでの研修

JICAの新卒では、1年目に海外での研修(OJT:On the Job Training)があります。
自分はフィリピン事務所での3ヶ月間のOJTを行いました。

 

主に防災分野を担当し、現場での活動モニタリングや事後評価を行いました。また協力隊の任地でのホームステイや開発コンサルタントの事務所でのインターンなどを経験しました。

 

前述の通り、英語レベル0の自分が、いきなり海外で英語を使って仕事です。

 

そしてフィリピン人は、めちゃくちゃ流暢に英語を話します。

 

本当に英語が話せず・聞き取れずに辛かったです。会議でのメモ取りにはレコーダーを持って行って、何十回も聞き直しながらメモを作りました

 

ヤギ
言語で辛いと、生きること全てが辛くなってくるのを肌で感じました。

 

そんな僕にも、何度でも丁寧かつ明るく教えてくれるフィリピン人の性格に救われました。

 

初めての海外生活は、英語を除いて楽しく送ることができました。

 

しかし、レストランでのサービスや公共交通機関の使用時に、ふとした不便を感じることもあり、様々なことで工夫が張り巡らされている日本の良さ・快適さを再認識しました。

 

一方で、日本は経済的には、フィリピンよりも恵まれているけど、心の豊かさではどうなのだろうか、と感じるようになりました。

 

ヤギ
本当にフィリピンの人々は輝いて見えました!

 

その一方で、NGOのフィールドツアーに行った際に、ゴミ山でお金になるゴミを拾って生活する人(スカベンジャーと言います。)の家庭を訪問した際に、自分の子どもを満足に学校に行かせてあげられないのお母さんの悲痛な話を聞き、「貧困状態にあるとその人自身の心は豊かであっても周りの人に何かを与えようとするのが困難である。」のだと感じました。

 

そしてやはり決して現状に満足するのでなく、何かあがき続ける可能性(武器)を提供していくことの重要性を感じました。

 

そして、子どもが自分たちの意思で貧困の連鎖を断ち切る希望は、教育にあるのではと思い、教育事業に興味を持つことになりました。

フィリピン研修時の思い出、NGOスタディツアーに参加した際に、震災地の小学校からフィリピンの子ども達に送られた手紙。

 

「こんな心を温めあう交流を増やして生きたい。」心からそう思いました。

1部署目:国際緊急援助隊事務局

世界の大規模な自然災害に対して、国際緊急援助を行う部署

 

医療活動をするチームで研修企画やイスラエルとの共同の国際イニシアチブを経験しました。

 

国際緊急援助隊医療チーム 2016年度機材展開訓練の実施
https://www.jica.go.jp/information/jdrt/2016/20170208_01.html

 

災害医療情報のWHO国際標準化−JDR医療チーム登録者が貢献−
https://www.jica.go.jp/information/jdrt/2016/20170209.html

 

2019年3月には、国際緊急援助隊の隊員としてモザンビークに派遣されました。

 

モザンビーク支援の国際緊急援助隊が帰国 現地の様子を公開 JICA
https://www.google.co.jp/amp/s/mainichi.jp/articles/20190419/k00/00m/040/288000c.amp

社会人になった初月の4月25日にネパールで大地震が発生。土日・GW関わらず、ネパールでの震災被害に苦しむ現地の人のに働きました。

その時に、東京での事務作業が、現場で役に立っていることを肌で感じました。今まさに起こっている何かのために、自分は東京でパソコンを叩いているのだ。

 

ヤギ
この体験が、私の仕事観を作りました。

2部署目:人間開発部基礎教育グループ

<基礎教育開発(就学前教育から中等教育までの児童が対象)を担当する部署>

 

前述の通り、教育事業に関心があり、かつ未開のアフリカという地に関心を持っていた自分は、アフリカの基礎教育を担当している部署に運良く配属(JICAでは、毎年進路意向調査がなされており、そこで希望の部署を申告することになっている。そこの第一希望に書いていた。)

 

マラウイ、ニジェール、ルワンダ、モザンビーク、南アフリカ国の教育プロジェクトを担当。

 

その他、分野横断のタスク活動としてICT教育タスクの立ち上げ・運営、スポーツと開発などに取り組みました。

 

アフリカ4万校に広がる「みんなの学校」——学校と地域コミュニティと保護者 “みんな”の協働で、子どもたちのより良い学びの場をつくる
https://www.jica.go.jp/topics/2016/20170104_01.html

 

ルワンダ教員研修のためのEラーニングコースを開発、導入研修を開催
https://www.jica.go.jp/project/rwanda/007/news/20181130.html


(全世界)ICTタスク活動報告-20XX年 オンラインVR教室で…

https://www.jica.go.jp/activities/issues/education/ku57pq000027dz1y-att/education_news_201903.pdf

 

ちなみに初めてアフリカ大陸に渡航したのは、このグループに配属された2017年8月です。

 

そんな自分がAAAに寄稿することになるとは。

プライベートではこんなことをやっています

休日は、土曜日に会社の部活動(ビーチラグビー)、日曜日に社会人アメフトチームという生活を送っていました。

 

ちなみにこのビーチラグビー部の活動は、JICA以外の人でも誰でも参加可能です。学生もちろん参加可能なので、スポーツを通じてJICAの人と交友しようと思ったらオススメです。(興味があれば連絡ください。)

 

あとは、海外での経験を通じて日本のことをもっと知りたいと思って、日本の巡りをしていました。

 

社会人になってから四国以外は、ほぼ制覇しました。

 

そして、フィリピン研修の際にお世話になった協力隊の人たちとの交流は未だに続いています。

 

今年の5月にも、ミャンマーで再会しました。

マラウイに転勤

マラウイってこんな国

マラウイのJICA海外協力隊の交流会におじゃましました。なんど、協力隊の累計派遣者数は世界一です!

 

Warm Heart of Africaと呼ばれるほど人が穏やかなことが特徴です。

AAAでもマラウイの紹介記事がありましたので、こちら紹介します

 

 

仕事

マラウイ事務所では、総務を担当しています。

 

予算管理や調達、また現地職員(マラウイ人)の労務管理や能力強化研修など、表には見えにくいけど重要なことを行なっています。

 

さて、総務の仕事の他には、青年海外協力隊と日本の民間企業をつなげる新規事業にも関わっています。これはAAA読者の力も借りたいので、またご紹介します。

 

実行委員として携わっているBON for AFRICAは先日、ついに動画の公開に至りました!

 

 

この音楽映像作品は、2019年8月28日~8月30日に横浜で開催される、アフリカの開発をテーマとした国際会議「第7回 アフリカ開発会議(TICAD7)」に向けて、アフリカに対する人々の関心を高めることを目的として制作しました。

 

BONが持つ「和」と「輪」の力で、アフリカと日本をつなぎたいという想いをアフリカ盆踊りチームで込めています。


アフリカと日本を盆踊りで繋ぐBon for Africaについてはこちらの記事を!

 

 

現地でのコミュニケーション

さて、事務所での現地職員とのコミュニケーションは全て英語です。

 

文書もほぼ全て英語です。

入構当時レベル全く英語が話せなかった自分が大丈夫なのかという疑問もあるかと思います。

 

確かに、JICAでは英語が入る前では必須ではないのですが、入った後には必ず必要になるということは、これまでの話でも十分伝わっていると思います。

 

ちなみにJICAでは、TOEIC入社1年以内に800点 、入社3年以内860点以上取ることが目安とされています!この860点の達してないと何度でも人事部から連絡が来ます。

 

英語については、フィリピンから帰国した後、これはやばい!と思って、オンライン英会話を始めました。

 

それから毎日30分のオンライン英会話を4年間行っていました。

 

そして、その甲斐あって何とか事務所での業務に支障がない程度に英語力を身につけることができました。

 

プライベートinマラウイ

マラウイでは、健康に気を使って筋トレや料理を積極的に行なっています。料理は一生ものなのでこれを機に極めたいと思っています。

 

Twitterで、マラウイの生活情報を共有しているのでよかったら見てください。

 

ちなみにおうちは東京でシェアハウスに住んでいた時には、2段ベットの下段と押入れのワンスペースが僕のプライベート空間でしたが、今では2LDKの広々としたおうちになりました。

 

これからやりたいこと

JICAに入った時から、思い描いていたビジョン「どんな環境に生まれてもチャンスを掴める世界」を目指し続けたいです。

 

そのカギはやはり教育だと考えているので、教育の専門性は深めていきたいです。

 

また、生まれたところによる環境の違いは、日本国内でも同じが言えます。日本においても地方と都市では情報の格差や機会の格差があると思っています。

 

そういった格差を埋めるべく、海外との接点を日本国内に作っていければと思います。

 

上の写真は、2019年5月に群馬で行ったアフリカ研修員との田植え。海外の人たちと日本の人たちが手を取り合う、そんな光景を増やしていきたいです。

 

 ※記事は次のページへ続きます。

 

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