シエラレオネに挑戦することの難しさ

今回の連載を担当することになった、NPO法人アラジの下里夢美です!

 

私は、山梨県笛吹市に生まれ、山梨高校を卒業後は、桜美林大学LA/国際協力専攻にて国際協力を学び、卒業後にアラジの活動をスタートさせました。現在26歳で、はじめてのシエラレオネ渡航は24歳の時でした。

下里さんとシエラレオネの子供たち

日本で民間ベースでNGO活動をしている団体がなく、継続して支援していくことはとっても困難なように思えたシエラレオネでの挑戦。しかし、なんとか周りで応援してくださるサポーターの皆さんのご支援あり、現在までに4度の現地活動ができています。

 

シエラレオネの街並み

シエラレオネに挑戦することの大変さはたくさんあります。まず、アフリカはアジア地域と違って物理的に距離が遠い。20本以上のワクチンを接種しながらも、毎度往復20万円以上の航空券で3か国経由しながら、やっとシエラレオネに辿りついたと思ったら…

ルンギ国際空港

なんと、首都のフリータウンとシエラレオネ唯一の国際空港「ルンギ国際空港」が湾で隔てられているのです!笑

世界一「不便な空港」

飛行機の時刻表

シエラレオネの国際空港の案内ボード。一日3便程度しか飛行機が飛びません。

 

「Cancelld」の文字が4つ縦に並んでいます。おかげで私は3度自分の乗る飛行機が欠航しました。

 

さらに、ルンギ国際空港から20分ほど凸凹の道を進み、フェリーターミナルへ。荷物を担いで、びしょびしょになりながら船を乗って海を越えなければなりません。

シエラレオネの港の風景

フェリーターミナルでフェリーを撮影しようとしたら勝手に写真に写ってきた兄ちゃん。「2,000リオン(約30円)俺によこせ!」と言ってきました。笑 ここは現地マネージャーと顔を見合わせ笑ってスルー。

荷物を頭で運ぶシエラレオネの男性

基本的に優しい性格で協力的なシエラレオネ人。いくらかお駄賃をあげて荷物を運んでもらうのはアリです。レシートとかでないから後々困るんですけれど…笑

 

きっかけは「夢ちゃんの着ているドレスを私にも作って!」の一言。

アラジのソーシャルビジネス

2018年のミッションは、首都:フリータウンのテイラーストリートで働く、12名のテイラーの収入を支えること。

 

シエラレオネでどんな活動ができるか調査を続けていた2016年。たまたま滞在しているゲストハウスのすぐ近くに、仕立て屋さんが密集しているエリアがあり、そこでアフリカの布を使ってドレスを作って、SNSに投稿したことがきっかけでした。

シエラレオネ発の洋服

ドレスを作ってくれたアルサイン、今ではとっても仲良しな友達であると同時に、よきビジネスパートナーです。彼の夢はいつか日本に行くこと!

テイラーのシエラレオネ男性

極度の貧困が目立ち、なかなかシエラレオネならではの魅力を発信することが困難なように思えたとき、目に入ったのは鮮やかなアフリカの布たちでした。

 

布を持ち微笑むシエラレオネ男性

植民地時代よりもずっと前、解放された奴隷たちの最終目的地となっていたフリータウン。そして茶色の服しか着ることの許されていなかった植民地時代を経て、彼らが身にまとう色鮮やかなアフリカの布は、人々の希望と解放が表現されているようでした。

 

現在は、ベテランテイラーと一緒にビジネスをし、若手テイラーを指導していく過程で、新たに職のないホームレスの女性たちにも研修をしていき、シエラレオネの人々の収入を支え、そして日本にもその魅力を発信して行くことが私たちのミッションです。

ネクタイを持つ下里さんとシエラレオネ男性

「雇用」や「支援」ではなく「応援」がしたい

私たちは彼らに機会と材料与え、雇用をするのではありません。いずれは「就労支援」から脱却し、彼らと対等にビジネスができる仕組みをつくっていきます。

 

お金やモノ、機会の提供を続ければいつか国は発展していくだろうけれど、発展のお手本として日本はロールモデルにはならないと考えてます。

 

アフリカの布を使って、日本では主流ではなくなったテイラー(仕立て屋)さんたちの収入を支え、商品開発の過程で一緒に成長していくこの取り組みは、シエラレオネの文化を保存する活動であるとも思っています。

シエラレオネの女性たち

 

次回は、現地で突然起こった大火事と「現地の人々との意外な価値観の違い」ついて連載していきたいと思います!

 

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