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クラウドファンディングの期限も余すところ10日ほどとなりました。最後まで、全力で取り組みたいと思っています。今回のコラムでは、ルワンダという国について、少し踏み込んで紹介します。というのも、内戦後のルワンダをどう評価するかをめぐって、世界的に論争になっているからです。
よく知られているように、ルワンダでは1994年に少数派のトゥチに対する大量殺戮が起こりました。それは内戦のなかで起こったのですが、内戦を制して政権を獲得したのは、やはりトゥチを主体とした「ルワンダ愛国戦線」(RPF)でした。RPFは、隣国ウガンダにいたトゥチの難民たちが中心になって組織されたゲリラでした。彼らは内戦に勝利して政権を獲得し、今日まで政治的な安定を維持しています。2000年から大統領を務めるポール・カガメ氏は、内戦時にRPFの総司令官を務めていました。
大統領選挙で、カガメのポスターを掲げる自動車
内戦終結から今日まで、RPFは一貫してルワンダの政権与党です。RPF政権の下で、ルワンダは急速な経済成長を遂げました。それは「ルワンダの奇跡」と呼ばれるほどで、内戦で崩壊した国土は急速に復興しました。一人当たり国民所得は毎年7~8%の高成長を遂げ、教育や保健衛生の面でも状況は急速に改善しました。安定した政権の下で、国民和解にも積極的に取り組んできました。
カガメに投票を呼び掛けるTシャツ
しかし、RPFとカガメの統治に関しては、強権的だ、独裁だという批判がしばしばなされてきました。実際、RPF政権の下で、有力な野党が解党を命じられたり、批判的な新聞が取りつぶされたりしています。政権批判を公然と行うことは難しく、RPFのメンバーであってもカガメの意向に合わず亡命した人も少なくありません。表現の自由や結社の自由に関して、ルワンダが相当の制約を抱えた国であることは間違いないでしょう。
選挙演説会の風景。カガメの選挙演説を待つ人々。青、白、赤はRPFのカラー
こうしたルワンダをどう評価するか、様々な意見が出されてきました。カガメについて、ジェノサイドを克服し奇跡の復興を成し遂げた功労者だと高く評価する声がある一方で、人権侵害を繰り返す独裁者だと批判する人も少なくありません。内戦後のルワンダでは多数派のフトゥが抑圧されているので、彼らの不満がいずれ爆発して紛争が再発すると、ルワンダの将来に悲観的な見方をする人もいます。
私自身は、内戦後ルワンダの経験を一刀両断に評価できないと思っています。1994年の大量殺戮は、トゥチとフトゥの差異が極端な形で利用され、動員された結果として起こりました。その後、RPFとカガメが行った一連の政策は、確かに強権的で多くの問題を孕んでいますが、政治秩序の確立という点では成功してきました。それによって、さらなる混乱が避けられ、経済成長が可能になったのです。その点は評価に値すると思います。
キガリ・コンベンションセンター。首都の発展のシンボル。
しかし、こうした政治秩序の安定を最優先するやり方が、どこまで持続可能なのか、私は懐疑的です。ソフトランディングのための措置はどこかで必要です。そうした措置がとられるのかどうか、どのような形でとられるのかに注目して、私はルワンダを観察しています。
内戦に伴う国民の亀裂を克服するという課題は、私たち日本人も経験したものです。明治初年の戊辰戦争では、新政府派と幕府派との間で大規模な戦闘があり、多くの犠牲者が出ました。幸い今日、ほとんどの日本人は戊辰戦争の傷跡を気にせず生きていますが、その背景には数えきれない人々の努力や辛苦があったのだと思います。
変わらぬ農村の風景
私たちはルワンダの大学から留学生を呼ぼうとしています。彼らは当然、自分の国のあり方や日本の経験に強い関心を持っているでしょう。どの国にも複雑な歴史があり、単純な成功、失敗で語れるものではありません。ルワンダから来る留学生には、そうした日本の経験を深く知ってほしいですし、私たちも彼らの経験や考え方から学ぶことがたくさんあるはずだと思っています。
クラウドファンディング「紛争を乗り越えて。ルワンダの大学から日本へ留学生を招こう」はこちら。
https://readyfor.jp/projects/asc-piass
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