英語が話せるという自信だけを胸に渡った初めてのアフリカ大陸・ウガンダで出逢った初めての感情💭

 

こんにちは!NPO法人コンフロントワールドで活動をしている亀ケ川愛と申します。

 

現在山梨の大学に通う5年生です。

 

私は2018年夏、大学を休学し、コンフロントワールドの事業を行うために2か月間ウガンダ共和国へ滞在していました。

 

先日コンフロントワールドの理事2人の記事が公開され、その繋がりで今回わたしも記事を書かせていただきます!人の繋がりに感謝〜〜!

 

▽コンフロントワールド理事2人の記事はこちらから!


 

実は昨年のウガンダ渡航は、私にとって生まれて初めてのアフリカ大陸への渡航でした。

国際協力の関連でいうと、いわゆる従来の”途上国”と呼ばれる国へ行くこと自体が初めての経験でした!

 

今回は、初めてのウガンダ共和国で自分が悩んだことと、そこから考えるこれからのこと、について書こうと思います。

 

あくまで、個人の体験と感情から、コンフロントワールドでの活動へかける想いを綴ります。

読んでくださった方の中の、ちょっとここ分かるなぁ。。という感情を掘り起こせていたら嬉しいです。

 

そんな私がなぜウガンダへ?

数年前にオーストラリアへ留学していたことがありました。

 

この期間に特に意気投合し仲良くなったのが、アフリカ諸国出身の友人たちでした。

 

大学入学当初からいつか国際関係のお仕事がしたいと思っていましたが、友人たちとの出会いから、学生のうちに一度アフリカのどこかの国で、難民支援の現場に触れたい、そう思ったのでした。

 

そして、地元の大学を休学し、アフリカで国際協力の現場に立ち会える機会を探していたところ、現在のNPO法人コンフロントワールドに出会い、、今に至っています。

“私にできること”を見つけたい。降り立ったウガンダでの葛藤。

初めてのアフリカとは言え、アフリカ出身の友人の存在や、渡航経験のある人たちからのアドバイスを沢山頂き、

向こうの空港に着いてしまえば、あとは成るように成るだろう。新しい世界、楽しみ!

と飛行機に乗りました。

 

そして降り立った初めての地。

今だからこそ正直に言えるのですが、実は、滞在期間の前半はなかなか楽しめずに過ごしていました

ウガンダで過ごす中で一番気にかかっていたことが、“どこにいても自分が外国人だと感じさせられること”でした。

 

お金についても、ちょっとした会話についても。

 

どこか生きづらいと感じていました。“外国人”であることが。

 

例えば肌の色目の色体格、見るからに違いますよね。でもそれは、他の海外どこの国へ行っても感じてきました。

 

言葉が通じづらいと、大変ですよね。

でもこれも、どの国へ行っても毎回直面し、どうにかしてきました。

 

私にとって何よりも馴染めなかったのは、 “感性や、金銭感覚や、習慣が全く違う、外もの” という体裁で、接せられる場面が多いように感じること、でした。

 

もしかしたら、読んでいる方の中で「当たり前でしょ」と思われる方もいらっしゃるかもしれません。

でも、私にとってはとてもとても悩んだ点でした。

 

 

今まで自分が経験してきた海外では、移民や留学生が当たり前に隣で同じ社会保障の上で生活していて、「多様な人種が集まっている=豊かな社会」みたいな空間に身を置くことが多かったのです。

 

そのような“違う人たち”が当たり前に集まる空間では、他の人と違う私自身も自然とその空間の一部になります。

 

しかしウガンダで身を置いた空間では、自分が明らかに不自然な存在そのものであるかのように感じました。

 

改めて言いますが、これは私が、今まで自分が積んできた経験から感じたことです。

多様な人種が集まった方が良い悪い、不自然なのかどうか、という話には、正解はないと思います。

 

ただ私にとって、自分自身が不自然な存在として在ること、それがどうしても慣れなくて心がざわざわしっぱなしだったのです。

 

 

自分の役割

一方で、ウガンダで時間を過ごす中で徐々に、外国人だから喜ばれた瞬間に気がつけるようになっていきました。

 

例えば、首都から離れた農村部に滞在中、集落や小学校を訪問したとき、「こんなところに村の外から人が来ること自体が珍しい」と住民人たちがとても丁寧に迎えてくれました。

 

ものすごいエネルギーで私を取り囲んだあの子供たちは、きっとあの夜家に帰って家族に私の話をしただろうな。どんな風に話すんだろう。

そんな風に思いながら彼らと接するようになりました。

 

そして農村部を離れる時に、「外国人の私に、今この瞬間この地に住む彼らに残せるものって、珍しい記憶と楽しく話しをする時間の、話の“ネタ”になること、なのかなぁ」と思いました。

 

そうやって、非日常的な存在だからこそ、珍しい記憶として彼らの心に少しでも残るとしたら、

いつか彼らがふと思い出した時に、「面白かったな」とか「すげー笑ってて楽しそうにしてたな」とか、少しでもポジティブになる記憶として残っていたら、今私がここに居たことに少しは社会的意義があったと思えるなぁと感じて。

 

それからは心機一転、楽しく時間を過ごせるようになっていました。

初めての感覚を沢山くれたウガンダと、これから。

学生生活ももうすぐ終わりを迎えるわけですが、これからも自分自身は国際協力を続けたいと思っています。

 

国際協力というとなんだか果てし無く遠い概念のように聞こえるので、言い換えると、「初めての感覚を沢山くれたウガンダと、そこに暮らすあの人たちと、これからも繋がって生きていきたい」と思っています。

 

ウガンダに行ったからこそ改めて深く考えられた「外国人で在ること」

 

悩んだ時間があって今、「外国人」というステータス自体をコンプレックスに感じる自分を、終わりにすることができました。

 

お互いがお互いにとって「外国人」。

ここからは、お互いにとってポジティブな影響をもたらせ続けられる関係性を作っていきたいと思います。

コンフロントワールドの”役割分担”

少しコンフロントワールドの具体的な活動のお話をすると、ウガンダ人による現地NGOと共にプロジェクトを行なっています。

 

この体制について、個人的に一番腑に落ちる部分が「役割分担」という側面です。

 

現地のコミュニティで暮らし、毎日顔を合わせ、対話し、その中で課題解釈と解決を住民とともに行ってきたNGOの方々に出会いました。

その姿を見て、地域に根付いたNGOってこういうことなんだなと思わされました。

 

そう感じた時に、「その空間において自然か不自然か」という、自分がウガンダ渡航で痛感した一視点を思い出しました。

 

この村では、外国人である私は本来、住民たちにとっては非日常。

 

そうであれば、日常的でもっと身近な存在である現地NGOに現場の深いところは任せて、自分は現地NGOの活動を後押しする。

そして結果的に力になりたい「誰か」に変化を届ける

 

今まさにコンフロントワールドの事業は、この体制で進んでいます。

 

たぶん、時間と共にお互いのコンディションや社会の傾向などが変わっていき、私たちのベストな関係性や体制も変わってくと思っています。

 

それに適応しながら、役割分担をどんどんアップデートさせていきたいですね。

 

もしかしたら、“適応していく“のではなく、”新しい最適解を作り出す“チームになっているかもしれません。

 

 

最後に、

役割分担”で、もっともっといろんな世界と繋がりたいなぁ。

 

初めてのアフリカ大陸・ウガンダ共和国は、新しい感情と葛藤とで、私をアップデートさせてくれた大切な地です。

 

読んでくださった方の中で1人に、こんな考え方・繋がり方があるんだなぁと感じていただけていたら、とても嬉しいです。

 

最後までお読みいただきありがとうございました!

 

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