小学生の頃、部族間の争いが引き金となり1994年に起こった、ルワンダ大虐殺をテーマにした映画「ホテル・ルワンダ」を観た。この映画に大きな衝撃を受けた私は、国際協力やアフリカ支援に興味を持つようになった。
2020年初め、ルワンダの首都キガリに1週間滞在した。かなり時間が経ってしまったが、改めてその時の体験を記したい。
この記事の目次
スラムにある家を訪問
最初に、スラムにある極貧のシングルマザーの家を訪ねた。
家の中は狭く薄暗く、かなり蒸し暑い。水も電気も通っておらず、家具や調理器具もない。固い床の上にマットなしで寝ている子もいた。
それでも屋根がある家に住めればまだ良い方で、大雨や川の氾濫による洪水被害で、家が倒壊したり、流されたりしてしまった方もいた。
貧しい中で助け合う心
スラムに住むシングルマザーに話を聞いた。
彼女は昔レイプされてエイズに感染し、子どもを産めない体になってしまった。しかし、貧しいながらも周りの反対を押し切り、捨てられていた孤児を引き取って、一人で育てているそうだ。体が弱く、働くことが出来ない彼女に、同じスラムに住む別のママが毎日食事をつくって運んでいる。そのママにも9人の子どもがおり、毎日の生活はぎりぎりのはずである。
困っている人を見捨てないママの優しさに感動した。
誰よりも貧困に苦しみ、人の心の痛みが分かるからこそ、自分が大変な状況にあっても、自然に人を助ける道を選ぶ。
生活に余裕ができて初めて人助けができるのではなく、恵まれない環境下にあっても、利他的な生き方は実現できると感じた。
将来の夢
スラムに暮らす子どもたちはいつも幸せそうで、彼らと接していると、逆にこちらがパワーをもらった。
食べるものや着るものが十分になく、大変な状況にも関わらず、けして不満を漏らすことはない。
その笑顔は将来への希望に溢れていた。
子どもたちに「将来の夢」を聞いてみた。
パイロット、ダンサー、ドライバー・・様々な答えが返ってきたが、特に印象的だったのは、まだ小学校に通い始めたばかりの幼い子どもたちが
と語っていたことだ。労苦の中で助け合う母親の背中を見て育った影響からか、子どもたちの胸には、すでに他人に貢献する人生が描かれていた。
子どもたちにとっての幸せ
(↑写真:元気いっぱい、いつも最高の笑顔を見せてくれたルワンダの子どもたち)
続けて 子どもたちに「どんな時が一番幸せ?」と聞いてみると、真っ先に「学校にいる時」との答えが返ってきた。
その瞬間、彼らの表情はぱっと明るくなり、瞳はキラキラ輝き、本当に学校が大好きなことが分かった。
貧困により、授業料が払えず学校を追い出される子どもや、出稼ぎに出ざるをえない子どももいる。学校で学べることが当たり前でないからこそ、彼らにとって学校で過ごす時間は本当に特別だ。
改めて学校教育の大切さを実感するとともに、もっと多くの子どもたちに学ぶ喜びを届けたいと思った。それがそのまま、子どもたちの輝く瞳や笑顔を守ることに繋がるからだ。
ルワンダの教育
滞在中、キガリの幼稚園をボランティアで清掃する機会があった。塵やホコリを拭き取り、壊れた机やイスを直して、教室が見違えるほど綺麗になった。
この幼稚園は、子ども約100人に対して教師の数はたった3人と少ない。ノート、鉛筆などの文房具類や教材も不足している。
私がルワンダを訪問した後から、残念なことにコロナ感染症が全世界に広がりを見せ、ルワンダも大きな被害を受けたと聞く。
学校も閉鎖となり、学校での給食が唯一の食事であった子どもたちの栄養不足も心配だ。また経済悪化により、親が子どもの学費を払えず、退学を迫られる子どもが増えてしまう恐れもある。
一日も早く事態が収束することを願っている。
現在、コロナの影響で世界中の学校でオンライン授業が導入されている。かなりの時間やコストを要すると思うが、いつかアフリカにもオンライン授業のプラットフォームが整備されてほしい。
郊外には、学校が遠く通学が難しい子どもたちが多くいるし、教師の数が不足している地域もある。
教室をオンラインで繋げば、郊外に住む子どもたちも学べるし、1人の先生がより多くの子どもに教えられる。
ちなみにルワンダでは、ある青年のアイデアがもとになり、理科の実験をバーチャル体験できるプログラムが開発されているそうだ。これが普及すれば、実験器具が揃わなかったり、危険を伴うため学校で実験を行えない場合でも、パソコン上で実験をバーチャル体験ができる。
このように、様々な制約をオンライン授業で取り除ければ、より多くの子どもに、より広い世界に触れてもらうことができる。
シングルマザーの夢
ルワンダで教育の機会を求めているのは、子どもたちだけではない。
3人のシングルマザーに、これまでの人生で一番悲しかった出来事を聞いたところ、寂しそうな表情をしながら「家が貧しくて学業を断念しなければならなかったこと」と答えてくれた。
彼女たちは、親の都合により強制的に退学させられたため、もし機会があれば、もう一度勉強してみたいとの意欲を持っていた。自分の興味のある学問について語る彼女たちの表情は、スラムの子どもたちと同じように、どんどん明るくなっていった。
ルワンダでは、虐殺があった当時まだ幼く、孤児になったり、学校を中退したりしたことで、大人になってから仕事を見つけるのに苦労している人が多いと聞く。
夢を諦めざるを得なかった悔しさや悲しみは消えずに、いつまでも心に残る。
日本のように、大人になってから興味のある分野を学び直すチャンスがあることは、とても幸運なことだ。
子どもたちへの教育は本当に重要だが、その陰で、学ぶ機会を奪われたシングルマザーの女性たちの想いが置き去りにされるのは、とても悲しい。再び勉学に挑戦したいという彼女たちの夢がいつか実現されてほしい。
感銘を受けた言葉
キガリでテイラーの仕事をしている男性に話を聞いた。
彼の願いは、洋服を作るだけでなく、その技術を人に伝えて、1人でも多くの自立したテイラーを育てること。
彼はこう語る。
「人に知識を与えることほど大切なことはない。誰かのスキルや才能を伸ばし、成長を手助けすることは本当に気持ちが良い。最大の悲劇の1つは、人生が “自分"のためだけにあると考える人がいること。そのような人々は、呼吸するこの空気さえ、天の慈悲により与えられていることを忘れている。
利己主義の時代に生きる我々は、自分たちにとって必要なものばかりを話すが、他人が必要とするものについて考えられているだろうか。朝目覚めて、周りの人が何を求めているかに思いを巡らせることはあるだろうか。」
自分の利益ではなく、“他人の幸せ”を人生の目的とする彼の言葉は心に響いた。
最後に
たった1度のルワンダ訪問で、本当に多くの気づきや感動を得ることができた。
まさに「百聞は一見に如かず」だった。
ルワンダでは大人も子どもも皆が笑顔だったが、中には「虐殺という悲しい過去から立ち直るために、人に悲しみを見せないように、あえて笑顔で明るく振る舞っている」と語る人もいた。
いつも幸せそうに見えた子どもたちの中にも、本当は心の中に寂しさや虚しさなど色々な感情を抱えた子が多くいたのかもしれない。
将来、ルワンダを再び訪れることができれば、今度はもっと時間をかけて、笑顔の裏に隠された子どもたちの本当の声に耳を傾けたい。
またルワンダで改めて、教育が持つ影響力の強さを実感し、今後、1人でも多くの子どもに教育を届ける手助けをしたいとの想いを強くした。
教育を通じて、子どもたちが将来への希望を持ち続けてほしい。
自分の存在価値や可能性を信じ、夢を追い続けてほしい。
そのために、ルワンダの人たちから学んだ、「自分がいかに大変な状況にあっても、他人に貢献する生き方を貫く」との姿勢を忘れず、たとえ小さなことの積み重ねであっても、自分にできることを見つけ、挑戦し続けていきたい。