スーダン在住の日本人・リヤード齊木のスーダン実録第4章。言論統制や政情不安、日本に入る情報が極端に少ない今、現地に住む齊木さんがリアルな内情を綴る。
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「異文化共生」との矛盾
海を渡れば外の世界、というわかりやすい島国日本にいると難民というものについて考えることは滅多にない。それは難民申請1万件のうち、1%にも届かない認定率に社会の関心が向けられてこなかったことにも表れている。
長年、友好外交として行ってきた青年海外協力隊事業の目的の一つに「異文化社会における相互理解の深化と共生」という崇高な理念が掲げられているが、あくまでこれは日本の外でのこと。共生と謳っていながら彼らが日本に来ることはまずない。
相手の家には遊びに行くが、相手は招かない。
シリアで青年海外協力隊が草の根で活動し税金を使ってきたが、シリアで内戦が起き路頭に迷う人がいても日本は扉を開けることはない。
もちろん難民流入後のヨーロッパの現状を目の当たりにすると積極的に門戸を開けとは言い難い。このような外交や国際交流の矛盾にどう立ち向かっていくかは永遠の課題だ。
そして私は、構造的に作り出された利益を貪る暴力的なシステム(2章、3章参照)と、そのシステムによって利益を得て先進国となった国から人道的な理念を掲げ支援にやってくる国際団体という矛盾した関係性から離れてスーダンで活動したいと考えている。
スーダンで難民として生きるということ。
前置きが長くなったが、話の焦点をスーダンに合わせよう。スーダンのように国境が陸続きの国では人の流出入が合法、非合法に関わらず身近な問題となる。
国際協力NGOワールドビジョンによるとスーダンは全世界で4番目に難民が流入する一方で、隣国へ難民を大量に送り出してきた国であるとしている。
スーダンには南スーダン、エリトリア、ソマリアといった政情の安定しない周辺国から難民が流入してきた。その数は正確には把握されていないが110万人程いると言われている。その多くはスーダンからリビアに抜け海を渡り、非合法でもヨーロッパへ行くことを夢見ている。
しかし、現在リビアの政情も安定せず、身柄を拘束され人身売買で強制労働、武装組織の強制加入等の人権侵害が起きている。無事にリビアを抜けて地中海を渡る輸送船に乗れたとしても粗末なゴムボートに命を託すことになる。
水難事故で毎年多くの命が犠牲となっていることは日本のテレビではあまり報道されない。
また、無事に彼らがヨーロッパへ渡れたとしても安泰なわけではない。良い仕事にありつけるものは少なく、その時の政治方針に翻弄され、否を突きつけられれば暴力を受け居場所を求め彷徨うこととなる。
スーダンでもエリトリアとの国境の町カッサラで不法に流入したエリトリア人を誘拐する事件が報告されている。そのためエリトリア人はカッサラの街を避け、一度エチオピアに抜け、エチオピアからスーダンのガダーレフに入るルートを使っている。
これらの流入民は移動の途中でお金がなくなると、その土地でお金を稼ぐ必要が生じる。
流入民の多くはスーダンの首都ハルツームに留まり、首都の人口増加は上下水道整備不足や廃棄物処理のキャパオーバーなど様々な社会問題を引き起こす。特に貧しい人が住みスラム化している地域では排泄物の匂いが辺りに立ち込め、処理されない大量のゴミと相まって非常に衛生状態が悪い。
お金を稼ぐといっても、ハルツームに流れ着き良い職に就けるのはほんのわずかだ。女性は、露天のお茶屋さんや家政婦として一定の需要があり、私も南スーダンから来た少女を家の掃除人として雇い、週に1度の掃除で1ドルほどの料金を支払っている。
しかし、男性は厳しい。特にスーダンの言葉が話せなければ職に就けず、ごみを漁って日銭を稼ぐ生活を余儀なくされる。生活が苦しくなれば犯罪に手を染める。そのため、貧しい難民は毛嫌いされ、蔑まされている。
スーダンという貧困国とされる場所でも、さらに立場の弱い人々が見下されている現実はあまりにも残酷だ。
背反するシリア人コミュニティの形成と内情
ところが、全ての難民がこのような状態に置かれているわけではない。
スーダンの首都ハルツームを歩いているとシリアの内戦から避難してきたシリア人たちの集団を、経済が悪くなる前ほどではないにしろ、よく見かける。国境が陸続きな場所から流入する難民のイメージはつきやすいが、飛行機でスーダンへと避難して来たシリア人のことはあまり知られていない。
スーダン政府はシリア内戦が勃発した当初から一貫して門戸を開き続けてきた。これは難民を受け入れない湾岸諸国とは対照的である。イスラム教の聖地メッカがあるサウジアラビアはシリアのアサド政権に反対し反体制派を指示しているためシリア人の入国を拒否している。そのためシリア人のイスラム教徒はメッカ巡礼に行くことができずにいる。
神の前で人は平等であるはずなのだが、政治的な問題が優先する。人間は愚かである。
シリア人がスーダンへと大量に流入してきたのはスーダンの難民受け入れの手続きが非常に簡単だったからだ。スーダンでは滞在ビザの取得だけでよく、トルコ入国等で必要な複雑な難民申請を踏む必要がない。
トルコやヨルダン、レバノンは多くのシリア難民を受け入れているが、数が増えすぎて流入を抑えようとした時期や、国境で足止めされるケースも多く、そこへ武装組織が襲撃し、命を落とした事例もある。
それに比べ、スーダンへの避難は安全だ。さらにかつてはシリアに比べ物価も安く、お金を持っているシリア人にとっては手持ちのお金でビジネスを始めやすく避難先として打ってつけだった。
こうしてスーダンにはシリア人コミュニティが出来上がり、スーパーマーケット、レストランや床屋といったシリア人経営の店が激増した。レストランは美味しい食事を提供するし、床屋は腕が良いため結婚式など特別な場面ではスーダン人も信頼を置いて利用している。
しかし、スーダン人にとって商売上手なシリア人は、見て良い気持ちがしないという。シリア人は泥棒だとか、彼らは悪い人間だとスーダン人は言う。そしてシリア人はシリア人でスーダン人から距離を置きスーダン人は黒くて汚い、怠け者などと見下している。
スーダン人からしたら能力も金もあるシリア人に嫌悪感を抱くのは仕方のないことなのかもしれない。もともとアラブ世界ではアフリカという僻地にあるスーダンを見下す風潮があるので、シリア人がスーダンを見下すことも仕方ないのかもしれない。どこの世界にも矛盾が存在するのである。
国を捨てる覚悟
私の家には二十歳のシリア・ダマスカス出身の青年が1年ほど居候していた。あどけなさが残る彼は高校を卒業してすぐに兄のつてを頼りにスーダンへやってきた。
シリアでは高校を卒業すると兵役が義務付けられ、アサド政権に敵対する同胞と対峙しなければならない。無益な徴兵から逃れるためにシリア人の若者は国を捨て、家族をシリアに残し他国へ移っていく。
彼が高校を卒業した時期には、隣国の難民が増えすぎて国境が封鎖されていた。スーダン以外に選択肢がなかったという。長いこと仕事も決まらず行き先がなかった彼だったが大学に潜り込むことに成功し、寮に入れることになって私の家を去って行った。
夜中に未来が不安になり、死んで天国へ行きたいと言っていた彼が、今では勉学に励み自分の手でよりよい未来を掴み取ろうとしている。
最後に、2019年日本に申請された難民申請は10375件、認定数は44名である。
ここでの難民の定義は難民条約で定められた定義を用いています。