【最終章】僕が東証上場企業勤務と結婚と大学院進学をやめ、アフリカで働く理由-内藤獅友-

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援助じゃアフリカは発展しないなら何が必要なのか?

 

僕が青年海外協力隊で2013年から2015年までの間、悩み続けたことです。

 

2010年にはアフリカのザンビア出身の女性エコノミストから「援助じゃアフリカは発展しない」という本が出版され、アフリカ=援助という概念を覆しました。

 

またポバティーインク(貧困産業)というドキュメンタリー映画も話題になりました。

 

どちらも言っていることは、お金や物資の支援は一部の人達のみが恩恵を受け、大半人達には届いていないか、さらなる貧困や問題を作り出している。ということです。

 

連載させて頂いた【僕が東証上場企業勤務と結婚と大学院進学をやめ、アフリカで働く理由】は今回で最終章です。

 

今回は、自分なりに考えた援助ではなくアフリカに必要なものと、僕の覚悟についてお話ししたいと思います。

 

 

アフリカに関わりたいけど関われない葛藤

 

このトピックについては、一時期本当に自分のアフリカに対する活動をやめるかどうかまで考えさせられたものでした。

 

このシリーズでも既にお話しした通り、自分がアフリカに来たモチベーションは、アフリカの持つワクワク感と日本も関連していた問題解決です。

 

実際に青年海外協力隊としてルワンダで活動をすると、想像よりもさらにルワンダやアフリカの持つ可能性や魅力に惹かれ、「一生アフリカに関わっていたいな」とさえ感じていました。

 

一方で、アフリカの抱えている問題に対して僕が何をできるのか、すべきなのかという事に対して壁にぶちあたっていました。

 

まず一つは死に近い貧困の環境にいる人達に対して、何の経験もない僕がむやみに介入することは、かえって現地の人やそこで活動されるプロの方に負担をかけてしまう可能性がありました。

 

次に考えたのは、死には近くないが経済発展が必要な方々への支援です。

 

確かに外国企業が入ったり海外からのODAを中心とした援助は、見た目や経済指標でこそ向上していきますが、現地の人達に届いていなかったり、せっかく起きていた競争や自立心を壊してしまうことすらある事実を見てきました。

 

そこで度々思ったことが、

 

彼らは僕が何もしない方が長期的に発展するのではないか?

 

ということです。

 

実際に僕が隊員時代に支援していたお土産屋さんも、僕がいた事で少し早くプロジェクトが進んだりということはありましたが、僕が体調を崩し2週間ほどまともに動けなかった時も、何とか自分達で問題解決をしていました。そしてその時の方がはるかに彼らの経験値が磨かれていることに気がつきました。

 

金銭的援助が人々に援助慣れを促し、自立心を失わせることは近年も言われていますが、技術的支援ですら、過剰にすることで同様に自立心や創造性などを抑制してしまうケースがあるということが分かりました。

 

このことから、アフリカのことを好きになればなるほど、アフリカに居続けたい気持ちと、アフリカから離れた方が良いのでは?という矛盾的発想が僕を押し潰しそうになりました。

 

しかしながら、最後のフロンティアと呼ばれるアフリカには、ODAや外資による海外からのヒト・モノ・カネが年々多く流れてきているので、僕一人が離れたところで、何も変わらないのも分かっていました。

 




ゾマホンとの出会い

そんな僕をある種救ってくれたのが、現在僕が副代表と副社長を兼任しているNPO法人AYINAと株式会社Africa Networkの代表を務めるゾマホン·スールレレです。

 

30歳以上の方は、ゾマホンという名前を聞いたことある方もいるかも知れません。

 

ゾマホンは一時期日本のバラエティ番組でも人気だったベナン共和国出身のタレントさんです。その後彼はベナン大使となりました。

 

ゾマホン·スールレレは彼の甥にあたります。彼もベナンから日本へ国費留学生として山形大学に在籍。卒業後日立製作所に入社するも、アフリカと日本を繋ぐことと、Africa by Africanの実現の為にNPOと会社を起業しました。

 

アフリカと日本が繋がる大切さには気づいていましたし、僕が東証上場企業勤務と結婚と大学院進学をやめ、アフリカで働く理由①でも述べさせて頂いた通り、偏見をなくしたい思いがありましたので、新しい発見というよりは共感という想いでした。

 

しかし、Africa by Africanの考え方をゾマホンから聞いた瞬間、僕の中でずっと矛盾的発想と戦っていたものに対して、突如手を差し伸べてもらったような感覚でした。

 

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