今回は、動詞のお話でしたね。
スワヒリ語の基本動詞は、すべて -a で終わります。
辞書にも、この形で載っていますね。
penda「愛する」とか、nunua「買う」とか。
動詞は、否定形になったり、受身形になったり変化しますが、そのような変化を観察すると、動詞が「語幹」と「語尾」に分かれることが分かります。
たとえば、penda「愛する」の受身形は pendwa「愛される」ですが、能動形と比較すると、受身形は pend-w-a と分析できるので、pend が語幹、-w が受身形接辞、-a が語尾だと分かるのです。
penda「愛する」の語幹は pend で、子音で終わっているので「子音語幹」と呼びます。
la「食べる」や fa「死ぬ」は「単音節動詞」と呼ばれますが、これはつまり、子音1つからなる子音語幹の動詞、というわけですね。
nywa「飲む」は、nyという子音と、wという2つの子音からなっている子音語幹の動詞です。
「母音語幹」もあります。nunua「買う」とか tembea「歩く」とか。
nunu- 、tembe- というふうに、語幹が母音で終わっていますよね?
「子音語幹とか、母音語幹とか、なんやねん。そんなん、どっちでもええんちゃう?」と思った人。
これから下の話は、もう、全然興味ないと思うので、ここで、さよならしてもらっていいです。
「え、子音語幹とか、母音語幹って、なに? なんで、そんな風に分けるの?」と、ちょっと興味をひかれた人。
まぁ、そういう人は、10人に1人か2人くらいしかいませんが、そういう人はぜひ「言語学」という学問を学びにきてください!(と、これは、あくまでも宣伝。)
さて、子音語幹とか母音語幹というのは、日本語にとっても、大変重要です。
小学校の時、動詞の活用を勉強しませんでしたか?
「未然、連用、終始、連体、仮定、命令」というやつです。
たとえば、「切る」という動詞を活用させると、
「切らない、切ります、切る、切る時、切れば、切れ」となりますね。
ローマ字で書けば、同じ kiru となる「着る」を活用させれば、どうなりますか?
「着ない、着ます、着る、着るとき、着れば、着ろ」
いや、だから、それがなんやねんって。
あー、いやな学校の勉強、思い出したわ。興味ない。
と思った人。はい、ここで、さようなら、です。
ん? と思った、残りの方々。
これをローマ字で書いて、縦に並べてみますね。
kiru「切る」 kiru「着る」
kiranai kinai
kirimasu kimasu
kiru kiru
kirutoki kirutoki
kireba kireba
kire kiro
はい、ここで問題です。
(実際、これは、言語学の授業でやる問題です)
左のkiru の語幹は、どの部分でしょう?
右のkiru の語幹は、どの部分でしょう?
「語幹」というのは、どの活用形にも共通してある、変わらない部分です。
(はい、もう一度よく、上の一覧を見比べてみてくださ~い。)
そうすると、左のkiru「切る」の、共通してある部分は、kir- と分析できますね。
右のkiru「着る」の共通部分は、ki-だけですね。
ということは、つまり?
はい、そうです。
「切る」の語幹は kir- で、子音語幹、
「着る」の語幹は ki- で、母音語幹、ということになります。
日本語にも、子音語幹と母音語幹の動詞があって、それによって活用が異なってくる、というわけです。これって、けっこう、驚きの発見ではありませんか?
スワヒリ語も、子音語幹と母音語幹では、活用が異なります。
動詞の活用というのは、各言語でそれぞれに複雑な仕組みをもっていますが、「子音語幹と母音語幹で異なる活用をする」という共通点が、スワヒリ語と日本語にあるということも、驚きの一つですね。
子音語幹と母音語幹の話、まだもう少し興味深いことがありますが、それは、また別のコラムの機会に!
(待ちきれない!という人は、ぜひ言語学(あるいは日本語学)を紐解いてみてください(^^)/)